魂の進化 | コメント受付中

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非常に興味のある記事を書かれている方をクローズUPします。

葦原瑞穂氏について感じたことを率直に紐解いておられる方で、本質に触れている部分ダス。

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葦原瑞穂さんと言えば4年程前に黎明の上・下を拝読しましたが、その本を買うキッカケが「あんでるせん」の久村さんのシンクロナドでした。

聖白色同胞団の本当の目的

不思議な共鳴で繋がっているシグナルがある。



この方もキチガイの振動共鳴が増幅中かと思われるダス。

宇宙のこっくり亭
●●●●●●●●●●以下転記はじめ●●●●●●●●●●

どんな本でもそうだけど、葦原瑞穂氏の「黎明」を読むためには、使われている独特の用語に慣れなきゃいけない。その最たるものは「物質的ヴァイブレーション」という言葉だろう。これが、実に良く出てくる。では、「物質的ヴァイブレーション」とは何を意味しているのか。本文からアチコチ引用してみると、

>このように粒子という概念は、自然界に表現されている物質レヴェルの波動を、ある時間軸にそった瞬間の断面で参照していった時に観測される状態を、心の中に理解できるような形で投影した映像のひとつなのですが、人間がより高いエネルギーの領域に意識を向けるにつれて、その領域を表現するために、さらに「細かく精妙な粒子」という解釈が造られ続けてきたという事情があります。

は波としての側面と、粒子としての側面をあわせて持っていると書きましたが、物質を構成するあらゆる粒子もまた、粒子としての表現の他に、波としての表現という、2つの側面を持っています。

>本来、自然界の現象面には、無限に続く波動領域が重なって表現されているだけで、境界のようなものが存在しているわけではないのですが、これまでの科学で取り扱ってきたような、人間の五官を通して知覚している世界の範囲を、便宜上、「物質的ヴァイブレーション」と呼ぶことにします。

>私たちの多くは物質というと、何か恒久的な存在とか、確かな実体があるものというイメージを思い浮かべがちですが、これまで何度も述べてきましたように、これらのイメージは心の中で作り上げた固定観念に過ぎないことを、よくよく理解していただくことが重要です。

>私たち人間の多くは、自然界の膨大な表現領域の中から、物質的ヴァイブレーションというごく限られた側面を、五官の小さな窓を通して見ているにすぎない・・・(以下略)。
  
 
・・・つまり、葦原氏いわく、「物質」とか「粒子」といったものは、「心の中で作り上げた固定観念」もしくは「心の中に投影された映像」といったようなものにすぎず、実体のあるものではない。物質世界とは、無限に広がっている波動領域の中のごく一部、人間の意識によってとらえられる範囲におさまった、一定の狭い波動領域を指しているにすぎない。普通なら「物質世界」と言えばすむところを、あえて「物質的ヴァイブレーション」と呼ぶのは、そういう面を強調するため。
 
なんだか、カントの「純粋理性批判」のような認識論を、現代的に突き詰めたという感じだ。でも、ここでは「認識論」というより、「物質世界とは何なのか」ということに重点がある。それはつまり、物質とは、実体のない幻影(マーヤー)なのである・・・ということ。いかにも物質っぽく見えるような、波動(ヴァイブレーション)の一定領域にすぎないんですぞ・・・ということになるだろう。

とはいうものの、頭では分かっていても、目の前にそびえる物質世界の堅牢さには、ついつい圧倒的な実在感を覚えてしまうというのが日常生活の常。いつの間にか、地球の物質世界という牢獄につながれた囚人と化してしまう。そう、それはまさしく、遠い宇宙のサイハテで過ごす懲役囚そのものだ・・・。

では、そんな物質的ヴァイブレーションよりも、上にある波動領域とは何だろうか。

葦原氏によれば、その少し上には、「エーテル体」と呼ばれる波動領域がある。これは、神智学の言葉。エーテル体は、物質的なヴァイブレーションによって表現された体(・・・要するに、肉体)と重なり合って存在している。エーテル体は、肉眼では見えず、潜在意識として機能している。われわれが、自律神経の働きによって、日頃は意識しなくても呼吸や内臓がコントロールされているのは、このエーテル体のおかげ。

ヨガの行者には、常人にとっては潜在意識でしかないエーテル体をも顕在意識とすることにより、自律神経を自在にコントロールできる者がいるという。呼吸や脈拍、体温まで思い通りにできるというから、まるで変温動物だ。カエルのように、寒くなったら体温を下げて冬眠すれば良いのだから、さぞかし冬には便利なことだろう。

エーテル体の上には、アストラル体がある。「アストラル」とは、「星のような」という意味。この波動領域まで見える視力を持つ人にとっては、煌めく星のように見えることから名付けられた。さらにその上にあるのは、メンタル体。
 
この辺りが、葦原瑞穂氏の「黎明」の中心となる世界観ということになるだろう。普通の人なら「物質世界と幽界」とでも呼ぶところを、この本では「物質的ヴァイブレーションとその近辺の波動領域」といったような表現になるので、ここに戸惑わないことが円滑に読み進めるコツとなる(笑)。ちなみに、この辺りは、まだ序論。まだまだ、本題には入っていない・・・・。
  

2001年の時点で、このような話をしていた葦原氏。たしかに、後に精神世界で流行することになる論調を、何年も先取りしていた。
 
でも、そんな「分離の実験場」としての地球生命系も、それほど長く続くわけではない。変容は、間近に迫っている。いわく、

>普遍意識の顕現は、過去の多くの時代においては、ほんの一握りの天才が、超人的な努力の結果として可能ならしめたものでしたが、地球人類の意識も徐々に進化していますので、次第に普通の人たちが普遍意識を顕現し始めるような時代に移っていき、やがては産まれてくるほとんどの子供たちが初めから普遍意識の中に在るようになって、それに伴い、地球は大きな変容を遂げることになります。
 
・・・これが、いわゆる「アセンション」だ。葦原氏は、それを地球人類の「黎明」と呼んでいる。しかも、それだけにとどまらない。「地球における生命の表現」の中心領域が、物質的ヴァイブレーションから、より高い波動領域へと移行するのだという。

地球での、特殊な体験は、どうやら終わることになりそうだ。ヤレヤレ・・・といったところだろう。ここで言う「地球での特殊な体験」というのは、異なった波動領域の魂たちが、物質および肉体という共通の表現媒体を持つことによって、一緒に生活できるということにある。つまり、普通だったら、存在する波動領域がカケ離れているおかげで、とてもコミュニケーションを取るどころでない人々とも、出会いの場が用意されているということだ。葦原氏いわく、

>地上では、意識の進化段階としては本来地上にやってくる必要のない高度な魂から、始めて地上を経験する若い魂まで、あらゆる意識レヴェルを表現するパーソナリティが、肉体という共通の波動領域の衣をまとうことによって、自由に出会うことができるようになります。このため偉大な大師から貴重な教えを受けたり未熟な人間から散々な目にあわされたり、といった顕著な体験をすることがここでは可能になっており、短期間に大幅な進化を遂げようとする魂にとっては、絶好の環境が用意されているわけです。
  
つまり、地球環境は、「偉大な大師から、未熟な人間に至るまで、あらゆるタイプの魂との出会いの場」ということになる。といっても、実際には、地球上に「偉大な大師」は極めて少なく、優曇華(ウドンゲ)の花よりも稀少なのに対して、「未熟な人間」は、地球上に極めて多い。蟻塚にいるアリよりも多いくらいだ。

悪い奴らや、貪欲な連中。その上、精神世界に無関心な人々や、新興宗教の信者たちとの貴重な出会いの場が得られるのも、地球の物質的ヴァイブレーションのおかげ。いやはや、まったくアリガタイというか、何というか・・・。
 
でも、そんな地球人類も、いまや急速な意識の変容の時期を迎えている。

人類の多くは、そんな地球生命系で、物質的ヴァイブレーションとその近辺の波動領域(要するに、物質世界と死後世界)を往ったり来たりする、輪廻転生ライフを送ってきた。もちろん、人類だけでなく、動物や植物も、その仲間。
 
地球生命系が、この先、どう変容するのか。最大のカギを握るのは、そこだろう。 

葦原瑞穂氏は、「地球生命系の変容は近い」としている。それも、「地球の死後世界が浄化される」という、ここ数年になって流行するようになった説を大幅に先取りして唱えている。浄化されるのは、モンロー研でいう「信念体系領域」だ。特定の信念にこりかたまった個人や、多くの場合、集団の強固な信念によって死後世界に作られた、閉ざされた領域。これを、高次のガイドたちがあの手この手で破壊し、浄化し続けているという。いわく、

>広大な幽界のヴァイブレーションの中には、今回の地球の表現領域の移行に伴って、ひとつの表現世界が根こそぎなくなってしまうところもかなりあります。こうした状況は、その波動領域の住人にとっては世界の終末ともいうべき大事件になるわけですから、必死になって地上にメッセージを送ってきたりします。

でもって、1990年代頃の平均的な地球人類の進化レヴェルでは、地上で行われるチャネリングの情報源の大半が、こうした幽界からのメッセージなのである・・・ということだ。

この「地球生命系の表現領域の移行」というのは、地球の生命活動の大半が表現されてきた、この「物質的ヴァイブレーション」という舞台が、いよいよ消滅するということを意味している。どうやら、地球生命系は、もっと非物質的な波動領域に、その軸足を移すことになるらしい。
それと同時に、「地球人類の卒業」が起きる。

地球圏で充分な経験を積んで生長し、卒業の準備が整った魂たちを、地球生命系全体として一世に地球圏から引き上げる時期があり、現在の地球生命系に関係のある大きな周期の中では、既にこれを27回経験して、本書が記された時点では28回目の最後の周期に入っています。この時期には、目覚める準備のできている魂や、既に自覚にいたった魂を通して、普遍意識の展開を促進させ、すべての波動領域にわたる媒体を浄化する目的で、膨大なエネルギーが地球圏に注がれるために、通常期に比べると個々のの解脱は大変に容易になります。

しかも、「地球を預かる大師たちと、他の恒星系の代表との会議」という、最高機密まで既に書かれている。

>この会議では、地球上の混乱を極めた状態を手厚く救っていこうとする大師たちに対して。「手ぬるい! 地球など消滅させてゼロからやり直させろ」等と強行な意見を吐く人たちもいます。かれらは地上に転生した経験がないために、肉体を持って意識が成約される状態がどういうものなのかということや、肉体を持って生活する人たちの心の痛みがどのようなものかという実情が理解できないのですが、地上経験のある大師たちの深い合いによって、なんとか人類の痛みを最小限に抑えて多くの魂たちを卒業させてやろうという方針が、基本線としては固まってきています。

他のアチコチの箇所でもそうなのだが、ここでも坂本政道氏やペトル・ホボット氏たちの話を何年も先取りしていることに驚かされる。2001年の時点でこんな本を書いておきながら、今も隠者のような境遇にとどまっているとは、世の中つくづくいろんな人がいるものだ・・・。
それはともかく、筆者はどうも上記のような話を見ると、「手ぬるい! 地球などさっさと消滅させろ」という、「過激な意見」のほうに共感を覚えてしまう。でも、それはネガティブ・サイドの発想なので、ここは距離を置いた方が賢明だ・・・(笑)。

この地球の変容に際して、個々人はいったいどうなるのか。いわく、

>ここで特に注意していただきたいことは、地球のヴァイブレーションが変化するときに、仮にそれについていくことができない人たちが、他の星に転生するような事態が生じ、地球人類の現象上の分離が起こったとしても、意識の未熟な人たちが、未来の地球から追放されると考えることは適切ではありません。このような考え方は分離感に基づくものであり、排他的、もしくは否定的な波動を含んでいますから、自分もまた同類となる準備をしているようなものだということを、肝に銘じておいていただきたいと思います。

ここでは、「仮にそれについていくことができない人たちが、他の星に転生するような事態が生じ、地球人類の現象上の分離が起こったとしても」という、「仮の話」ではあるけれども、それが起きること自体については否定していない。単に、「それによって分離感を持つな」と言っているだけ。ここは、その辺りの微妙なニュアンスを汲み取るべきところだろう(笑)。

●●●●●●●●●●以上転記おわり●●●●●●●●●●

いかがでしょうか?

まるで北野恵宝さんのコンタクト内容を思い出す。


宇宙人の来た目的はやはり地球救済ですか?
宇宙人の来た目的はやはり地球救済ですか?

「そうです。地球救済です。とにかくこの事件で感じたことは、地球の科学者の考える視野が狭いことでね。もっと宇宙に目を向けるべきですよ。私は誇大妄想狂と言われるかもしれないが、何事でも誇大妄想的なところがあって文化が発展するのではないでしょうか?。もう寿命なんて問題ではないね。死ぬことがあっても命は永遠だというし。やはり死んで他の惑星に生まれ変わることもあるらしいですね。その人のレベルに応じて・・・・。」



生命と魂の進化






魂の浄化ができた人にだけ、進化の奇跡が起こる









おまけ

2012年2月12日にメキシコで撮影されたすごいUFO