映画ALWAYS三丁目の夕日の舞台は昭和33年頃の東京の下町
小さな自動車修理工場鈴木オートで繰り広げられる
戦後復興真っ最中の日々を描いた作品
鈴木オート社長(堤真一)の息子(一平)は小学4年生のヤンチャ盛り
その昭和33年頃といえば
私は東京とは遠く離れた小さな町の勝気な13歳の女の子
言ってくれればノーギャラで友情出演してあげたのに
鈴木オートの前で一平と遊んでる
オカッパ頭の私が石けりとかケンケンパーとかしていても
青年団の子役でお芝居に慣れている私は、なんの違和感もなかったはずなのに
あの鈴木オートの店先の光景は
私の父の実家の鉄工所とそっくりで、映画は面白かった
夢は大きくても
中々人気作家になれない主人公(茶川竜之介・吉岡秀隆)は
小説を書く傍ら、ヤル気の無い駄菓子の店をやっていた
竜之介を巡る夕日町界隈に住む人達の
日々巻き起こる大きな問題や小さなもめ事や
複雑な人間関係や恋愛が絡み合う平凡な日常のストーリーだけど
集団就職で青森から鈴木オートへやって来た六子(ムツコ・堀北真希)
通称ロクちゃんは
大きな工場で働くと期待に胸を膨らませていたのが
上野駅で出迎えてくれたのは
従業員もいないような町工場の自動車修理工場の親方にガッカリ。。。
それでも、持ち前の明るさで周囲の人達と打ち解けていくロクちゃん
東京で働く、大都会で働くんだ!という夢に燃える
中学を卒業した少年少女を乗せた集団就職列車が上野駅に入ってくる
映画と同じシーンを私はブラウン管テレビで観ていた
貧乏長屋を2軒借りて住んでいた千鳥町(三丁目)ではなく②丁目
我が家は商売をしていたので、周りに比べて多少は余裕があったのと
新しい物好きな両親のお陰で
というか…わがまま娘が欲しがって仕方なく買ってくれたのです
まだ、長屋集落でテレビがあるのは
風呂屋と二軒の八百屋と我が家だけだった
映画のシーンの中で、我が家と全く同じだったのが
力道山が大人気のプロレス中継で
プロレスがある日は、テレビを玄関へ向けて置くと
時間が近づくと、近所の人や子供までゾロゾロと集まってくる
放送が始まると、酒が入った男やガキ共は興奮して
空手チョップやれ~~~で襖はボロボロ。。。
いつも買い物に行っていた八百屋のおじさんも
プロレスがある日だけは、テレビを店先に置いて、外に向けていた
八百屋さんのテレビに集まる人達は
夏は蚊に刺されながら安い酒を飲み、子供たちはかき氷を削ってもらい
みんなでプロレスを楽しんでいた…
映画とリアルが一緒になった懐かしいあの頃
そんな頃のテレビのニュースで
毎日のように映る集団就職列車から降りてきて
それぞれが迎えに来た雇い主と一緒に新しい天地へと散らばっていく
たった一人で鈴木オートへ来た映画のロクちゃんもその一人だった。。。
どこかに故郷の香りを乗せて~入る列車のなつぅかぁしぃさ~
上野は俺らの心の駅だぁ~
あぁ上野駅を歌ったのは
高校球児のように爽やかな好青年の井沢八郎さん
昭和の日ということで
久しぶりに上野駅・集団就職列車の映像を見て
くじけちゃいけない人生に向かって行った彼らに改めて感動しました
そして…昭和は今も大好きです
ALWAYS 千鳥町②丁目の夕日?