2005年度 研究予定/報告
09/12 アンケート配布依頼(保育園2園・幼稚園1園に配布終了)
09/17 日本教育社会学会(出席)
11/26 中国四国教育学会(発表予定)
01/31 修士論文提出締切(提出予定)
中国四国教育学会 第57回プログラムより
更新が滞っており、すみません。
現在、来月にある学会発表に向けて、分析などをしているところです。
アンケートの集計などは進んでいるのですが、これをどの程度うまく料理できるか・・・
というところで、目下数字と分析ソフトとの格闘中です。
発表原稿などは、ここに提示していければとおもっています。
今回は、私が発表する部会についての簡単なお知らせをいたします。
第2日(11月27日)
「幼児教育II」部会
(1)ヴィゴツキーの「児童学」研究に関する一考察
(2)保育士の社会的ネットワークに関する研究
(3)母親の「育児不安」の規定要因に関する研究(←私の発表)
(4)男性が子育てに関わる意味と余地
(5)『幼年倶楽部』にみる読者層の形成
私だけ幼児関係の研究室ではないのですが、部外ゆえの発想や着眼などができればと思っています。
基本的に私は批判者のスタンスなのですが、学会発表ということで
あまりラディカルになりすぎないように気をつけないといけませんね(苦笑)。
また分析が進み次第、ここに挙げても問題なさそうな事項に関しては発表していきたいと思います。
園の協力で行われた調査なので、公表にはいろいろと気を使わないと後から大変なことになると困りますし
回答してくださった保護者の方への配慮を十分にした上でここでのOutReachも進めていくつもりです。
アンケート速報①
更新が滞って来て頂いた皆様をガッカリさせております、りうじです。ごめんなさい。
今週の金曜日がいわゆるゼミの発表と言うやつで、てんやわんやしております。
しかし何か更新しなければ・・・ということで、今回は私が修士論文で調査したアンケートの
自由記述欄に書かれた内容の一部を取り上げてみようと思います。
質問Ⅵ.育児や支援・情報などについて何かありましたらご自由にお書きください。
・現在は共働きでないと子育てができない社会になっています。この不景気、高齢化社会、車社会の中、子供一人育てるのはいろいろな面で、昔と違って大変なことばかりです。反面、手はかかりますが、子育ては楽しいこともいっぱいあります。この子供たちが将来、夢がもてる社会を作っていってほしいです。
共働きでないと子育てができない=子育てにお金がかかるということだと思います。子育てのあらゆる領域に、市場化の波が押し寄せています。子育てにいったいどれほどのお金がかかり、なぜかけなければならないのか。
今年の日本教育社会学会において、「子育て世帯の教育費負担」に関する研究が発表されました(要望があれば報告します)。今後は社会の仕組みや子育てする人の意識などの面から、具体的に子育ての市場化の現状について考えていかなければならないと思います。
現代の子育ては昔と違って大変なことが多くなったと言います。具体的にどのように大変になったかは、今子育てをしている方のお話などを聞いて見なければ分かりません。おそらく家庭や地域の環境が変わって、子育てに必要な資源が失われていった(例えば核家族化や、地域住民との関係の希薄化など)ことが原因かなと思います。
子育てへの負担感は保護者の方が現実に感じていることなので、ここは疑いようがありません。では、それがなぜ感じられるのかについて検討する必要があります。
現在子育てしている人と、昔子育てしていた人の双方にアンケートとインタビューを行った調査があります(今手元に資料がないため、参照元は後日記入します)。核家族化により育児に関する知識が乏しくなるとされる現在の方が、過去よりも育児に関する知識は多いと、昔子育てしていた人たちには感じられています。現在の子育てが困難とされているのは、資源に乏しいためとは一概に言えないようです。
おそらく、子育ての困難を感じるのは、現代の子育ての方が昔よりも求められる水準が高いためだと思います。昔は、子育て(する親)に求められる水準は、親個人にとっても社会にとっても今ほど高くはなかったのではないでしょうか。今では、子どもの育ちは親の育て方次第だと見られ、親がなすべきこと、できることが知識的にも増えています。しかし現実にそれを全て遂行するには無理がある。
高水準の子育てを目指すばかりに、困難感が増しているのではないでしょうか。他の方の自由記述では、「(子育てについて)まあいいか・・・を増やす」ことで、困難感から脱却したとあります。やはり、あれもこれも完璧にやらないと子どもの育ちによくない、と責任を感じすぎることでストレスになるのだと思われます。この辺りは、市場化による子育てへの需要喚起とも関連してくるでしょう(子どもの育ちにとって、この商品・サービスが必要ですというような企業戦略)。
これは一応、私の推論です。アンケートの分析結果から、これらのことが実証できればと、今頑張っています・・・うまく出るかどうかはまだわかりませんが(汗
・出産後18年間ずっとフルタイムでの仕事と、子供3人の子育てをしてきました(しています)。その中で仕事と家庭を両立することの辛さを一番強く感じています。これからはもっと母親に優しい社会になることを願っています。統計の結果はどのような形で知ることができるでしょうか。
こういうお話を聞くと、子育てをしている方には最大の敬意を払わなければならないといつも感じます。
某新聞社が報道したアンケートによると、現在求められている育児支援策は、子どもを育てながら仕事のできる環境整備にあるといいます。特に職場の支援環境を整備(託児施設の設置や出退勤時間の柔軟化)して欲しいとのことでした。
行政は、子育て支援のインフラ整備に対して企業にお金を払うなどしていくことも考えてみてはどうかと思います。
統計の結果については、協力していただいた園を始め、アンケートに答えてくださった方に発表していくことは私の責務だと考えていますので、もちろん還元させていただきたいと思います。
結果が大方出るのは11月下旬から12月にかけてかもしれませんが、論文執筆などが絡んでくるので、発表できるのはもうしばらく後かもしれません。論文の途中経過で執筆の終わったものは、ここで小出しにしていければと考えています。
つまり、なんというか、もうしばらくお待ちください(涙
まだまだ意見がたくさん書かれていまして、回収側としてはとても嬉しく思っています。
意識の高い保護者の方が多く、子育てについての意識はむしろ昔より強化されていると感じました。
こうした高い意識を、どのように実際の子育てに向けていけばよいのだろうか、ということを今後考えていきたいです。
課題研究1 育児・教育戦略から問う家族と現代社会
今日は、日本教育社会学会2日目の午後に行われた課題研究についてです。
課題研究というのは、まず3人の方がテーマに沿った内容を報告され、それに対してコメンテーターとフロアから質問などが寄せられ、さらにそれに報告者が回答するという形式です。
報告者、討論者は以下の通りでした。
- 育児戦略と現代のしつけ 天童 睦子(名城大学)
- 階層再生産と家族の教育戦略 青木 紀 (北海道大学)
- エスニシティと教育 ─多文化教育のなかの家族と学校─ 結城 恵 (群馬大学)
討論者: 渡辺 秀樹(慶応大学)
(引用:放送大学HP )
それぞれの報告を聞くと、家族を取り巻く状況は散在する問題の渦中にあるようです。
「戦略」という言葉は、一般の人には聞きなれない言葉かもしれません。
ここでの「戦略」の意味とは
意図的・無意図的に家族がとっている行為パターンであり、個人的かつ社会的なものである
つまり、どのように子育てをするかを選択し、実行する在り様を示す言葉だといえます。
個人がどうやって子育てしていくかを選択し実行するのは、個人的な価値や、周囲から期待されたり圧力を受けたりすることが関係してきます。
ではそうした育児行為の選択や実行にはどのような要素が関連するのか。それを読み取っていくのが、この課題研究の目的でした。
最初の報告者、天童氏は
1.育児戦略と現代のしつけ状況を、育児言説とジェンダーの視点から考察する
2.とくに、都市部の子育て専業の母親たちが抱える子育ての困難に着目し
3.子育て問題を社会的課題と位置づけ、育児行為に隠された権力関係を解きほぐす
ことを課題として報告しました。
2番目の報告者、青木氏は
生活保護を受ける世帯など、いわゆる貧困層の子育てに焦点を当てた報告をしました。
最後の報告者、結城氏は
日本に住むブラジル人(マイノリティ)の子育てに関する実態や問題を報告しました。
最初の天童氏は日本の多数派の家族について、そして後の二人は少数派の家族について、論及しました。
以下、これらの報告や、討論を聞いて思ったことを書こうと思います。
現在、個々の家庭の子育ての在り様を類型化するときに、一つの大きなものさしになるのは「経済状態」だと私は考えています。それは、現代の子育てが実に商業化に飲まれているからです。お金をかけられる家庭の子育てと、かけられない家庭の子育てでは、問題点が変わってくるのではないでしょうか。
現在進められている子育て支援は、多様なライフスタイルを補助するためのシステムになりつつあります。これは、子育て支援が、まさに「子育て支援」=「子を育てる親の生活を助けること」であり、少子化に歯止めをかけるのが狙いだからです。
しかし、実際の子育てで困っているのがどういった層で、どのような問題がおきているのかを考えると、おそらく虐待などの社会問題の方が想定されやすいのではないでしょうか。
では、子育て支援は虐待を防止するでしょうか。虐待防止のためにとられた施策は「虐待防止法」が顕著な例ですが、虐待などについては子育て支援とは直接結びつかない独自のシステムを構築しているような気がします。
アンケート調査で保育園の園長先生とお話する機会がありました。そのときに先生は、「サービスと支援は違う」ということを言われました。今されようとしているのは「親にとって都合のいいサービスであって、子どものための支援ではない」と。保護者よりも子どもと接する時間の多い、保育士ならではの視点だと思いました。
この課題研究の場でも、「誰の/何のための子育て支援か」という話は出ました。しかし、子どもの育ちのため、という見地からの発言はなかったように思います。
経済状態によって層化され、特定の人に対して有効な子育て支援は、誰のための支援なのか。この課題研究にも来られていた牧野カツ子氏は、1982年自身の論文の中で、育児不安を解消することの先に、子どもの健全な育ちを見据えていたように思います。
私は、この問題に対して「子育ち支援」を社会が考えていくべきではないかと思います。
多数派の問題を取り上げることは、マスメディアにも可能です。
しかし、見落とされがちな少数派や弱者の問題は、研究者が取り上げなければ看過されます。
多数派の育児問題、少数派の育児問題、これを分ける経済状態の差。そしてこの前提を見過ごして供給過多になり、需要を喚起する市場化された子育て支援。
これについては今後、保護者・子ども・支援者・社会という多様な見地から研究を進めていく必要があるでしょう。
児童期の経験とDVの問題
今回から数回に渡って、日本教育社会学会で行われた研究発表に関する記事を掲載します。
最初は、常磐大学(非常勤)篠原清夫による「児童期の経験とDVの問題」についてです。
1.問題の所在(研究の目的)
家庭における暴力実態調査を行った結果をもとに、児童期の経験とDVの関連を解明すること
2.結論
①親から受けた暴力経験は学習されることがあり、将来配偶者や交際相手に同じような行為をする傾向にある。
②本人の被暴力経験よりも親同士の行為をモデルとして暴力的行為に至る可能性がある。
③両親間のDVと本人の攻撃性には関連性がある。特に父親の暴力的行為の方が母親の行為よりも、子どもの攻撃性に影響を与えているものと思われる。
→これらのことから、親の暴力的行為は子どもが学習する可能性が認められ、DV加害の連鎖が示唆された。
3.解説と考察
要するにこの報告によると、親が親同士又は子どもに暴力を振るうと、それを子どもが真似して将来暴力を振るうようになるかもしれない、ということです。
「虐待の連鎖」などはよく言われていることで、今回の報告はこれを支持する内容だったと言えます。
この報告の特徴は、「児童期の虐待経験・DV目撃」と「本人の虐待・DV経験」の関連を調べた点にあります。
私個人としては暴力を受けることへの態度についての調査を同時に行って欲しかったです。
普通に考えて、暴力を受けると、他者に攻撃されることへの防衛策を取ろうとします。
つまり、虐待を受けた人は、他者を攻撃するか、他者からの攻撃に順応するかという対応を取るのではないかというのが私の推測です。
今回の調査では、暴力に対して能動的な態度についてのみ調べていたので、被虐待経験よりも、DV目撃において、本人の攻撃性と強く結びついていたと考えます。
これを、一義に「家庭での暴力行為」として虐待とDVを一緒くたにして、「攻撃性が連鎖する」と結ぶのは少々強引ではないかと思います(あるいはそう取られるような帰結になっているように思われる)。
DV・児童虐待の定義は様々ですが、いくつか種類があります。
状況や家族のパターンも違うでしょう。
そうした文脈を考慮せず、暴力行為として虐待やDVを一つの括りにしてしまうようなやり方で
DV・虐待と暴力行為の関連を説明するのは無理があるように感じます。
今回の報告では、被虐待経験より、DV目撃経験が「DV加害の連鎖」につながるとして、子どもの攻撃性を助長する可能性があるというのが結論であり、それ以上は言えないのではないかと思います。
「攻撃性」という言葉を用いることで、虐待とDVが一緒くたにされてしまった感じがしますが、被虐待経験が虐待の連鎖を引き起こすかどうかは、この調査結果からはいえません。
子どもの攻撃性を発現させる要因は、学習理論でしか説明できないとは思えません。
文化的な要因や、階層的な要因がむしろ大きく影響を与えているのではないでしょうか。
回答者の属性に関する分析を行っていないとは考えにくいのですが、この辺りをもう少し考えていくことが必要でしょう。
保育所の福祉性と、直接契約制度の弊害
kenpapapa さんのコメントでいただいたご質問に、一緒に考えるというスタンスで回答したいと思います。
ご質問は、以下の2点でよかったでしょうか。
①経済的に福祉の対象とならない(ある程度豊かな)世帯がほとんどであるのに、こうした世帯が利用する認可保育所の制度全体が、「生活保護」として行われているのはなぜか
②認可保育所を生活保護という枠組みから外し、直接契約方式にした場合に想定される弊害について
日にちが経ってしまい、先送りになるのは問題だと思うので、簡潔にお答えできればと思います。
まず第1の疑問である保育所の制度についてです。
保育所の役割については、児童福祉法第24条に記載されています。
児童虐待の、本当の問題
退屈な30代が見るサイト さんの方で、「心」(2005/09/09)という記事がありました。内容は、最近の児童虐待に関する報道についてです。
コメントをして、それに対するコメントを返していただいたので、今回はそれについて論及しようと思います。
あちらの記事とコメントを読んだ上で読んでいただけると、内容がよりわかると思います。
例えば日本の現行の法律は、性的虐待をした親に対応できないという問題があります。
同時に、暴行などを加えた親を料刑しても、その後その家庭をどうするかという問題に対応できるだけのシステムが整備されていません。
アメリカでは、虐待する親に対する更正プログラムなどが行われ、不適格ならば子どもは返されません。それに対して日本ではこれまで、親権を重視する風潮がありました。かたおかさん
の危惧されることの根本は、この辺りの問題にあるのだと思います。
つまり、目の前にある問題への対処のための法的整備と同時に、問題そのものを解決するためのシステム作りをする必要があるように思います。そしてもっと言えば、報道で取上げられる問題は、実態としてどの程度法律に反映させるべき問題なのかということをもっと議論すべきだと思います。報道で事件が多く取上げられればすなわち、それが日本で深刻化している問題だと言う根拠にはなりません。
前回(のコメント)で言いたかったのは、そういうことです。親の被害者性とは、虐待してしまった側の理由という意味ではなく、社会で虐待が問題視されることで、その他ほとんどの家庭の親が、自分も虐待してしまうのではないか、しているように見られているのでは?という不安をあおるかもしれないという意味で使いましたが、誤解を生じる表現だったと思います。失礼しました。
(報道と社会問題に関する同様の問題が「ブラックジャックによろしく」の11巻でも描かれています)
児童虐待し、報道された親が、本来子育てしている家庭と同じものとして捉えられるべきなのか。報道されると言うこと自体、イレギュラーな存在であることは明白です。そうでなければ報道などされません。法律は、広く一般の家庭に対しても適用されるものです。
少年犯罪にしても議論された時期がありますが、刑罰を重くすれば犯罪は減るのか。更に言えば、少年犯罪はひどくなっているのか。どのようなものを犯罪とするのか。少年犯罪に関して言えば、昔に比べれば少年による犯罪は減少し、凶悪犯罪も軒並み比率が落ちています。
社会問題化される背景には、問題化されることで営利になる団体の運動などが絡んできます。慎重に議論し、迅速に対応できるといいのですが・・・。
現状認識を適確にした上で、法的整備・システム構築などをしてほしいと思います。そして世論が一義的に虐待などの社会問題を捉えることで、それを根拠にして問題に対処したとき新たに生じる問題性などを考えていくべきです。
家族の多様性と子育て支援
幸せのおけいこ kenpa理事長パパ日記 さんからトラックバックしていただいたので、
簡単ですが、私個人の見解を述べます。
前半部分、提供者側を支援していることについては、鋭い指摘だと思います。
(TB先の「認可」「無認可」など保育所の仕組みがよくわからない方は下の方に解説入れてますので読んでみてください)
先日新聞記事で、直接的な財政支援の強化を望む人というのが、少数派であったと書かれていました(主に子育て中の職場環境の改善が多数派でした)。これは私の書いていた元のブログ (8/24 掲載分)にも掲載していますのでご参照ください。
ただし、日本は見た目には中間層が多い(中間層にいることに固執する?)ため、量的には少数派というだけで、経済的に下層にいる人の存在を指摘する研究も出ています。いわゆる生活困難層は子育てにも消極的であると。こうした人に、適切な支援が出来るよう、考えていく必要があります。
また、適切な支援とは何か、という話にもつながってきます。どの程度の所得で、どの程度の財政支援をするか。公平性の問題や、現実には多様な家庭が存在することから、慎重に議論する必要があります。
ただし、難しいからと議論をしないのでは解決になりません。また、確かに現状の支援のやり方には無駄が多いのも間違いありません。
財政的な支援をどのように運営するかは、研究も含めて今後進めていく必要があると言えるでしょう。
前半に絡んで、後半部分の「ライフスタイルに合わせた支援」というのは近年言われ始めましたが、研究の中でも同様の指摘がされています。
かつての家族研究が「日本の家庭とはこんなものだ」というのを決めてかかっている、という批判がヒントになると思います。子育て支援に関しても、「子育てとはこうあるべき」「子育てする家族とはこういうものだ」という家族像に関する決め付けがあります。また、多くの人もその家族像に捕らわれています。
つまり、現在の子育て支援政策には、家族の多様性に対する認識が甘いと言えます(家族形態によって財政支援がありますが、同様の家族形態での多様性は認めていないと思います)。
しかし、個人・家庭ともに多様なライフスタイルを主張するようになり始めていること、あるいは社会構造的にやむなく下層に位置する人々の存在の発見から、子育て支援は今後変化する必要があります。
ここまで書いて、私自身感じたのは、多様なライフスタイルを選択できる家庭と、必然的に多数派から外れた家庭の存在があるのではないかということです。
多様なライフスタイルを主張する人々の中にも、多数派の暴力的な前提が潜んでいる可能性があるのではないでしょうか、というシニカルなコメントで締めくくります。
<コラム>
「認可・無認可・認証の保育所は何が違うの?」
簡単に言うとこれらの違いは、整備や保育士の人数などを国(認証は都自治体)が定めた基準をクリアしているかどうか、にあります。
認可保育所は、国の基準をクリアしており、免税などの支援を受けています。ゆえに、保育料が安く済むという利点があります。多くが公立ですが、私立もあるようです。
無認可保育所は、国の基準をクリアしていない保育所を指します。保育料は各所で設定するので、高額になることもあります。
認証保育所は、国の基準から少し落としたラインで、条件を満たす保育所に東京都(市区町村)が補助を行っています。
これらの保育所の最大の違いは、入園申し込みの方法にあります。
認可所の場合、市区町村が入所を管理しており、必要度の高い人から優先的に入所できるというシステムです(現実には、必要なのに入所できない、入所待ちのいわゆる「待機児童」の問題が未解決です。解決のために増所や人材確保が課題となっています)。
無認可の場合は、直接保育所に入所を申し込むことが出来ます。子どもを預ける理由も問われません。待機児童のままでは働けない人などは、こちらに申し込むほかないということになります。
無認可であっても、充実した保育サービスを安価で提供する良心的な保育所もあると思います。一概に、無認可が悪く、認可に入るべきとはいえません。
しかし、無認可の施設が安価で子どもを受け入れるには、人件費を削ったり(保育士などを減らす)、施設の維持費などを省くなどをする必要があるのは、容易に想像がつきます。儲けを多く出そうと思えば、保育料を高く設定し(各所で保育料の設定は自由)、保育サービスにかかる出費を抑えるようになります。この辺りで、「待機児童」と、財政的な支援を適切に行うことが早急に求められているわけです。
(参照:AllAbout )
blog開設にあたって
みなさん、はじめまして。
私は教育学(教育社会学)を専攻している、大学院生です。
このblogでは、学術研究に関する、やや専門的な内容を紹介していきたいと思います。
ただし、一般の方により広く「研究ってどんなこと?」というのを公開することが目的なので
できる限りわかりやすく、記事を書いていこうという所存です。
どなたでも、むしろ研究のことなど知らない、という人からのコメントもお待ちしています。
もちろん、専門領域の方、他専門の方からのご意見もお待ちしています。
それでは、末永くお付き合いできますよう、よろしくお願いします。
りうじ
追記
アホ日記もやってます。併せてご覧くださいませ。