*抱きしめられずに育ったとしても♡* | 『愛のうた♡命、輝くとき』
昨日こんな記事をアップしましたが



私にはスキンシップの記憶(特に母親との)がほとんどありませんでした。



抱きしめられたり
頬ずりされたり
目と目を合わせて
微笑みかけられたり


記憶の底をどれだけ探っても
思い出すことができなくて


とにかく母が怖くて
家にいると息苦しかった。


母から愛されている実感がなく
私なんかいないほうがいいんだ
いっそのこと 消えてしまいたい

そんなふうに思いつづけ
母と素直に向き合うことが
できませんでした。



父からも母からも
"躾"として叩かれることも多く
なぜこんな親のもとに生まれたんだろう...とずっと疑問でしたし
子ども心に理不尽さを感じて
親を恨んでもいました。



どうして自分の子なのに
こんなことができるのだろう

どうして可愛いがることができないなら
私を産んだのだろう


いつも心の中で責め続けていました。




月日は過ぎ
妊娠し
未婚で息子を産むと決めたとき


この子のことは
たくさん抱きしめて育てよう

私がしてほしかったことを
この子にしてあげよう

そう心に誓いました。



生まれてきた息子を
抱いたとき
本当に本当に愛おしくて。



息子を抱きしめ頬ずりしながら
私は幼かったあの日のわたしをも
抱きしめ癒してゆくことができました。



その日々のなかで
母親に対する
ドロドロした気持ちの根っこにあったのは

ただただ
寂しかった
悲しかった という気持ち

そのままの私を見てほしい
私をまるごと愛してほしい

それだけだったと気付きました。



そして
私にとっては
スキンシップが
それを無条件に感じられる行為だと。



けれど徐々に母と
本音で話すことができるようになり
母自身が
抱きしめられることなく
甘えることをせず育った背景を知り
(父親が教師でとっても厳しく
4人兄弟の長女だった母は しっかりしなきゃ と生きてきたそうです)

ある日ストンと

そっか それなら無理もないよな...と
自分に言い聞かせるでもなく
納得したのでした。


とはいえ
過去の記憶が消えるわけではないので
奥底に溜まっていた
怒りの気持ち 寂しい気持ちを
ちゃんと味わい直すことで
(途中は本当に苦しかったですが)

徐々に胸の奥のくすぶりが
穏やかになっていくことを感じました。



そして30歳を過ぎてようやく
母と向き合うことができるようになり
般若としか思えなかった母を
かわいく思えるようにもなりました。


今では母とも会うたび
ぎゅーっっっとしていますし

すくすく育った息子は
私にも母にも
ハグ&チュウを浴びせてくれます



そんな私たちとの関わりを通して
母はいろいろなことを感じたらしく
ある時

あなたのこともこうして
抱きしめて育ててあげられたらよかったね と 泣きながら言ってくれました。


そのときの母が
とっても小さく見えて

あぁ 母も苦しかったのだな と心底感じ...

今からでも遅くないよ
もう大丈夫だよ   と
泣き笑いのまま、伝えたのでした。




そして数年後ー

私と息子をそのまま抱きしめてくれる
最愛の彼にも出逢い...


今に至ります






たとえ どんなふうに育ったとしても
自分が大切にしたいことを大切に
この人とこうありたい と思う気持ちに素直に生きていると


あり得ない と思うようなことすら
起きたりする。




だから、人生は
おもしろい





Love




かわゆすぎる姪っ子の後ろ姿

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