みなさんこんにちは。
更新しようしようと思いながら時間がすぎてしまいました。

今回はNTことNucal Translucency(日本語では胎児頚部浮腫などと呼ばれています)についてお話します。
少し長くなりますが、興味のある方、問題に直面している方、そして臨床医の方は是非最後まで読んでください。


実はつい最近まで、私は公のブログや著書でNTについて触れることを避けてきました。実際の臨床やインターネット上でNTのことで問題が起こっていることを気にしてはいたのですが、NTのもつ意味合いから考えてそういうものが存在することを読者の皆さんにわざわざ知らせたくないと考えていたのです。

ところがNTが某マタニティ雑誌に中途半端に紹介されているのを見たり、臨床で苦しい思いをしている妊婦さんとそのご家族と接しているうちに、これはやはりNTについて触れなければ、と思うに至ったのです。

(私は2009年にロンドンで胎児超音波を学ぶために留学していたのですが、このNTの技術とカウンセリング方法について専門的な研修を受け、ライセンスを取得して来ました。
ですから、NTについて一言申し上げるに相応な立場だと思っております。)


$LUPOのパワー全開な日々
NT(photo by lupo)

◎歴史

NTは1990年代に「ダウン症の赤ちゃんは首の後ろが分厚い」としてNicolaides(私の留学ブログに出てくるセクハラ教授です)により報告されました。
ダウン症の赤ちゃんの約75%にNT肥厚がみられるとのことです

イギリスでは医療費を削減するという観点から(びっくりする人もいるかも知れません
ね)、ダウン症の赤ちゃんをお腹の中で発見して、両親が希望すれば中絶をしてもらうという方針になっています。日本でもよく知られた事実であるように「母体年齢が上がるほどダウン症の赤ちゃんを授かる確率が高くなる」ので、高齢出産(伝統的に35歳以上)のお母さんに羊水や絨毛の検査を受けてもらっていたのですが、妊娠する女性の数自体は若い人が圧倒的に多いので、ダウン症の赤ちゃん全体から見ると若いお母さんから生まれる赤ちゃんの方が多いのです(約70%)。

お金がかかって流産のリスクのある羊水検査や絨毛検査をなるべく最小限にし、より沢山のダウン症の赤ちゃんをお腹の中で発見するために、ダウン症の赤ちゃんが持つ特徴的な「所見」はないかと言って発見されたものの一つがNTなのです。(他にも鼻骨の有無だの三尖弁逆流だの血清マーカーだのいろいろあります)

それが日本に広まりだしたのは2000年代の初めだと思います。
後日詳しくお話しますが、日本では法律の問題もあまり表だってお腹の赤ちゃんの病気を理由に人工妊娠中絶をすることに積極的ではなく、さまざまな問題をはらむのですが、新しい情報はインターネットで論文を検索すれば分かってしまいますから、日本でも「測ってみようか」という臨床医が次々に出て来たのです。まさに医学のグローバライゼーション。

初めは「こんなものがあるのか」というようなものだったのが、NTというものがあることがある程度臨床医の間で常識となると、生まれた赤ちゃんがダウン症だった場合に「この子はエコーでNT肥厚はあったのか?」「え、見てなかったの?」というような会話がされるようになり、(前回のお話と同じような感じで、後出しじゃんけんでいろいろ言われるのを恐れるということもあって)「NTを見ておかなくちゃ」という意識が広まりました。

今となってはインターネットの医療相談で頻繁に話題になり、マタニティ雑誌に紹介されるほどにまでなったのです。
しかし、赤ちゃんの生まれつき持つ病気に関わるものであるNTについては、間違った知識が流布しているのが現状なのです。


◎NTとは
NTは11週~13週(10週~14週と書かれているものもありますが10週や14週では往々にして不正確になり、赤ちゃんのCRL(頭からお尻までの長さ)が45~84mmである11週~13週がベストです)に測定されるべき超音波マーカーです。

リスクの指標となるものをマーカーと呼んでいますが、マーカーが見られる(=陽性)ということと異常・病気はイコールではありません。

NTの場合、100人の赤ちゃんをNTの厚さ順に並べて最も分厚い赤ちゃん5人(つまり95パーセンタイル:CRL45mmで2.1mm、84mmで2.7mm)を羊水・絨毛検査すると、全ダウン症児の75%が発見できます。


NTは赤ちゃんの首の後ろに見える黒いスペースのことですが、これはリンパの流れでこの時期の赤ちゃん全員にあります。「浮腫」という日本語訳は誤解を招き適切ではないです。このスペースの分厚さの程度によっては問題になることがあるということです。

NTはダウン症をはじめとした染色体異常だけではなく、染色体は正常だけど心臓などに異常をもつ赤ちゃんでも分厚くなることがあり、その指標としても使われます。


◎NT肥厚=異常児の可能性大??
臨床の場でNTの肥厚が見られると、「あなたの赤ちゃんはダウン症などの染色体異常の可能性が高い」などという説明がなされることがあるようです。

この場合「染色体異常の可能性が高い」というのは「他のお母さんに比べて」という意味であって、「正常な子である可能性より異常の可能性が高い」という意味ではありません。

一般的に3mmもしくは3.5mm以上だと異常と見られているNTですが、

3mmの場合:3~4%に染色体異常があり、93%は全く正常

6mmの場合(非常に分厚いとされる):約50%に染色体異常があり、30%は全く正常

なのです。単に「ダウン症などの染色体異常の可能性が高い」と言われたら、「正常な子の可能性はほとんどないのか」と思ってしまうと思いますが。

◎日本での問題点
繰り返しになりますが、NTが分厚い=異常ではないので、スクリーニングシステムの整っているイギリスやその他の国では羊水検査か絨毛検査をして染色体異常があるかないか確定診断をします。もし、染色体が正常だった場合には妊娠6カ月で赤ちゃんを詳しく超音波で見て異常がないかチェックします。

ところが日本では、NTが分厚いだけで「今回の妊娠は諦めましょう」と言って中絶していたことがありました。正常かも知れない(NTの分厚さの程度によっては正常の可能性の方がはるかに高い)赤ちゃんを中絶すると言うのはNTについて理解不足だと言う他無いので今はないと信じていますが、少し前まではある意味それが日本の水準だったのです。

そして、私がNTについて最も問題だと思っていることは、事前のカウンセリング無しにNTを測定し、「あなたの赤ちゃんには染色体異常の可能性が(以下略)」といきなり伝える例が後を絶たないことです。

こないだツイッターで小児科医と思われる方から、「NTは見つかってしまうものじゃないの?」と言われたのですが、それは違います。
NTは、事前にNTという超音波マーカーの検査の意味を説明して理解してもらった上(それ自体では診断でなくマーカーでしかないということ)で測定するべきものです。
そうでなければ妊婦に大きなショックと誤解を与えます。

では、そんな事前説明をしていない状態で(例えば出血とか腹痛などの原因検索の際に)、たまたまNTが分厚いのを見つけてしまったらどうすればいいか?
その場合はまずはまだ見ていないふりをして、そこから妊婦さんにNTについて説明し、検査を希望する場合のみ説明するしかないと私は思います。
NT肥厚だけでなく全身浮腫などその他の大きな「異常」が同時にある場合や、ヒグローマである場合には説明せざるを得ないと思いますが、それについても説明には非常に気を使います。

日本産婦人科学会のガイドラインではそのあたりをぼかして書いてありますが、若い産婦人科医の方々には是非事前説明を徹底していただきたいと思います。
寝耳に水でNT肥厚を知らされた妊婦さんが、悩みに悩んでインターネットなどで素人同士の間違った情報にたどりついてしまって(いちど「胎児頚部浮腫」でググってみて下さい、ぞっとするから)、不十分な理由で赤ちゃんを中絶しまうようなことがあってはいけないと思います。

NTや前回の記事でお話しした「グレーな所見」は本当にデリケートで難しい。妊婦さんに分かってもらえたつもりでも、旦那さんに「危なっかしいから、今回は諦めようや」「なんかあるかもしれへんのやったら、そんな子はいらん」と言われてそれこそ死ぬほど苦しい思いをする妊婦さんも珍しくありません。検査するのが本当によいことなのか、そこから考えないといけない事も多いのです。

◎測定には技術が、カウンセリングには知識と能力が必要
「NTが肥厚しています」と言って紹介されてくる妊婦さんを今まで診てきて、「紹介状と共に付いてくる超音波写真がかなりイマイチ」ということがかなりの頻度であります。
実はNTの測定値には測定者によってかなりのばらつきがあり、正確にNTを測定するには技術が要ります。
クオリティーを管理するため、イギリスその他ではFMF(セクハラ教授主宰の団体)が、アメリカではSMFMがライセンスを発行しています。ライセンスを持たない者は測定することが認められていません。ちなみに日本でのライセンス保持者は20人くらいしかいないそうです。

・拡大が不十分
NTは上に示した写真(私がライセンス取得用に使った写真)のように赤ちゃんの胸から上だけが写るくらいに拡大しないといけません。
しかも赤ちゃんがまっすぐ前を向いた状態で厳密な垂直断面を出さなくてはいけません。
よく、赤ちゃんの全身が写った写真が撮られているのを見ますが、NGです。
別のマーカーで鼻骨の有無というのもありますが、これについてもかなりの技術が要ります。

・週数が不適切
8週~10週の初めくらいで「NT肥厚」として紹介されてくる妊婦がいますが、測る時期を間違えています。11週から13週の間に測りなおすまで、余計な説明は避けるべきだと思います。

ある程度、胎児超音波の経験のある臨床医なら、FMFのオンライン・レクチャーとテストを受けて写真をアップロードすればライセンスがもらえ、測定値から染色体異常のリスクを計算するソフトがダウンロードできます。
オンライン・レクチャーは日本語訳もあり、とても勉強になるので、是非受けてみて下さい。
NTのカウンセリングと測定技術向上に役立ちます。(→クリック



ふー長くなってしまった。

<追記>2013年より胎児クリニック東京広尾レディースでNTを含んだ初期の胎児ドックと中期の胎児ドックを行っています。興味のある方、ご相談されたい方はどうぞお越し下さい。

関西の方には、ベルランド総合病院をおすすめします。私が妊娠12週の時に、にこの検査をしてくれた先輩の女医さんがエコー外来をされています。とても優しくて技術も確かな先生です。


ネットで玉石混淆の情報を集めて右往左往する前に、この一冊で確かな知識を身に着けてください。心が軽くなる一冊。出生前診断についても詳しく書いています。
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次は出生前診断と法律のお話です。


これでもNTについて触れています。
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