ヤ(ヤハウェ)+ウマト(民)=ヤマト(神の民) | Lulu's Salad Days

ヤ(ヤハウェ)+ウマト(民)=ヤマト(神の民)

飛鳥昭雄&三神たける共著「失われた古代ユダヤ王朝『大和』の謎」から抜粋する。本書では、大和朝廷とユダヤ人の関係を探っている。先ずは、ヘブライ語とヤマト言葉の類似性に注目し、ロシア系ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグがたてた仮説を紹介する:

 

 彼は「ヤマト」をヘブライ語の方言のひとつアラム語で「ヤ・ウマト」と解釈。「ヤ」は絶対神「ヤハウェ」の短縮形「ヤハ」で、「ウマト」は「民」。すなわち、ヤマト~ヤハ・ウマトとは「神の民」という意味だと主張した。

 

(中略)

 

 今でもイスラエルをはじめ、中東諸国に住むユダヤ人たちは自らの民族を指して「ヤウモト」というとき、日本人には「ヤマト」に聞こえる。少しゆっくり「ヤーマート」といえば、意味は通じるはずだ。

 したがって、アイデルバーグの説が正しければ、大和朝廷~ヤマト朝廷とは、まさしく絶対神が選んだ民の王朝であり、かねてから日本人が叫ぶ「神国」を意味していることになる。

 

(中略)

 

 興味深いことに、中央アジアには「ヤマト(ヤマトゥ)」という地名が今も残っている。恐らく、ここは失われたイスラエル10支族が長らく滞在した場所ではないかと推理している。

 もし、そうなら、これは極めて重大なことを意味する。というのも、かつてヤマトの近くには「三日月王国」というオアシス国家」があったのだ。中国の史書『資治通鑑(しじつがん)』によると、2世紀から7世紀にかけて栄えたらしく、別名「弓月(クルジャ)王国」と称した。

 実は『日本書紀』が記すところによると、朝鮮半島から大勢の秦氏を連れてやってきたのは「弓月君(ゆづきのきみ)」なる人物だった。弓月君は「弓月王(ゆづきのきみ)」とも表記されることを考えると、秦氏の故郷が「弓月王国」だった可能性が出てくるのだ。