17.公的世界からの女性排除(1)
 
 
 
ただ、一方で女性が公的な世界から排除され、抑圧されつづけていたというこれまでの常識と、この事実とをどう整合的に理解したらよいのかが、非常に大きな問題になってきます。
 
 
 
最近、家族史の研究が非常にすすんできまして、そのなかでいろんなことがわかってきました。これまでの通説ですと、日本の親族組織のあり方は、かなり古く古代から家父長制であり、男性優位が確立した父系性の社会であるととらえられてきました。これに対して、高群逸枝さんをはじめとする、女性史研究者のなかには、少なくとも南北朝期以前は、むしろ母系制的な傾向が強いのだという主張がありました。しかし最近の新しい研究によりますと、日本の古代社会には、氏族??クランに相当する親族集団はできていなかった、ていわれています。
 
 
 
つまり族外婚規制、氏族内部の男女の婚姻を血縁者間の結婚として、これをタブーとし、かならず他氏族と結婚するという規制を持つ氏族集団は、母系にせよ父系にせよ、日本の社会には存在しなかったので、双方的あるいは双系制の親族組織、親族の成員権が男女両方の系統で承認され得るような親族組織だったと考えられています。それゆえ、日本の社会では近親婚に対するタブーがきわめて弱いわけです。同姓不婚の原則、つまり同じ姓を持つ男女が結婚してはいけないという原則は、現代の中国の社会や朝鮮半島の社会でもまだ生きていますが、そういうことは、日本の社会にはまったくないのです。
 
 
 
余談ですが、私自身がルーズな近親婚の結果なので、私の父と母はいとこ。父の両親、つまり私の祖父、祖母もいとこ。母の両親、祖父と祖母もいとこでした。きょうだいは五人ですが、よくまあこれで、近親婚によるマイナスがでなかったものだということをときどき話し合うことがあります。
 
 
 
こうした近親婚のルーズさは古くからの日本の社会のひとつの特徴で、古代の文献を見ますと、母を同じくする男女の間の婚姻はタブーですが、この場合も恋愛感情が生まれて苦しむ例はありますし、実際にいくつも婚姻の例があります。叔父と姪、叔母と甥の婚姻も、中世までたくさん見られます。
 
 
 
天皇家や貴族の世界の実例でみますと、鎌倉末期まで、こうした近親婚のルーズさがつづいており、少々驚くほどの状況なのです。ですから津田左右吉さんの指摘されているように、古代の氏は氏族、クランとは異なっており、政治的な意味を持つ組織で、中国大陸の影響をうけて支配層にまず形成された集団なのです。
 
 
 
そういう状況なので、当然、女性と男性の社会的な地位にはさほどのちがいはなかったと思われます。家父長制は決して確立してはいないのですが、そこへ中国の律令制が導入される。もともと中国の社会は早くから家父長制的な社会ができ上がっていますし、律令は当然その上にできた法体系です。それを受けいれたので、法制的には、日本の律令国家も男性優位、父系、家父長制を採用しており、親族関係を公的にとらえる場合には、原則的に父系、父親の系統でたどるという建前が導入されます。
 
 
 
平民の公的義務である調・庸などの課役を負担するのは男性??成年男子のみ、政策決定にあずかる官人も男性で、女性は裏の世界、後宮に退かされることになるのです。しかしこれは日本の当時の社会の実態と大きく異なっており、建前と実態の摩擦をおこすことになります。
 
 
 
戸籍のなかには、女性の戸主もまれには見出せますし、八世紀に、女性の天皇がしばしば現れたり、後宮の貴族の女性が政治に介入しているのはその現れだと思います。この女帝についてはいろいろな説明が行われていますけれども、基本的には律令制の建前、つまり公的な表の世界は男性で、女性は裏の私的な世界という建前が、まだ貫けなかった段階の現象ではないかと考えられます。
 
(127.128.129頁より抜粋)
 
 
現在までの家族史によれば、当初な家父長制による男性優位の社会と考えられていましたが、女性史研究者の中には、南北朝時代以前は母系的傾向が強かったとしてきました。
 
 
 
しかし、現在では日本の古代社会には氏族には相当する親族集団はなかった、とされています。
 
 
 
日本の社会では近親婚に対するタブーがきわめて弱いのです。同姓不婚の原則は中国や朝鮮半島ではありますが、日本ではそういうことはありません。この近親婚に対するルーズさは古くからの日本社会の特色で、さすがに母を同じとする男女の間の婚姻はタブーになっていますが、恋愛感情に苦しむ例はありますし、叔父と姪、叔母と甥との婚姻は中世までたくさんあります。天皇家や貴族では、こうした近親婚の例はたくさんあります。
 
 
当然、女性と男性との社会的な地位はほとんどなかったようです。まだ家父長制的な社会は出来上がっていないのですが、そこで中国の律令制が導入されます。この律令制は中国では早くから家父長制があった社会ですので、法的には男性優位、父親の系統で親族関係をはかることが建て前となります。
 
 
 
平民の義務である調・庸などを負担するのは男性であり、女性は裏の世界に退くことになります。
 
 
戸籍には女性戸主もいたり、八世紀には女性の天皇も出ているのは、建前と本音との乖離が現れています。