13.男女の性のあり方(2)
 
 
 
さきほどのお祭りのときや法衣のときも同じだと思いますが、神前や仏前は神仏の力の及ぶ場所がであり、そこでは世俗の縁が切れる。万葉集、風土記などに出てくる歌垣の場のように、そこには世俗の妻や夫の関係は持ち込まれない場所であり、それゆえに、男女が住居に交渉することができたと考えても、決しておかしくないのではないかと思います。実際、神社、寺院に参籠して子どもを授けられた話、その子どもが神仏の霊力を身につけていると考えられた話がよくありますが、これは現実にありえたことだと思います。
 
 
 
旅の場合にも同じようなことがあったのではないかと思います。さきほどあげた宮本さんの本を読んでおりますと、若い女性がニ、三人で物詣の長旅に出掛ける。しかもほとんどお金を持たないで、何ヶ月も三人だけで旅をする話がでてきます。おもしろいことに、そういう旅をする女性を泊めてくれる宿があるので、気軽に旅行に出掛けたという話を、実際にそうした旅行をした女性から宮本さんが聞いて、それを記録しておられます。
 
 
 
そのほか若い女性が綿摘みや稲刈りに、かなり遠くまで働きにいく話も出てきますが、江戸時代でももちろん同じ様なことがあったはずです。いわゆる「おかげまいり」のようなかたちで、かなり長途にわたる女性の旅が行われたことは十分推測できますし、絵巻物を見ましても、市女笠をかぶって顔を隠し、「壺装束」といわれた姿で、草鞋を履いて旅をしている女性の姿をかなり見つけることができます。
 
 
 
旅をしている間、とくに神社、寺院への物詣などの場合には、さきほどのお籠りなどと同様、旅人は間違いなく世俗の縁とは切れているのではないかと思います。それだけではなくて、道や辻のような場も少なくとも中世にさかのぼりますと、やはり同様の場だったので、そこでおこったことは世俗の世界には持ち出さない、逆にいえば、そこでおこったことはその場だけですませるという慣習があったことを、鎌倉時代の文書に引用された「関東御式目」によって証明することができるのです(前掲『増補 無縁・公界・楽』参照)。「山野・裏浜・市町・道路」でおこった殺人事件は、その場にいたものだけで処理して、敵討ちのようなかたちで世俗の世界に持ち出さないということが、そこでは規定されています。
 
 
また中世、道を歩く女性に対して「女捕り」、「辻捕り」が行われることがありました。これはある場合にはレイブになるわけですから、少なくともたてまえの上では、法令によってきびしく禁じられています。『貞永式目』でも禁止されていますが、よく見るとあまり罪が重くないのです。しかも「法師については斟酌あるべし」という不思議な文言がはいっています。
 
 
 
なぜ、『女捕り』について、法師の場合には斟酌されるのだろうかということについて笠松宏至さんは、僧侶の中でも地位の低い法師は、ふだん禁欲しなくてはならないので、「女捕り」の罪については斟酌を加えることになっているのではないかと推測しています。もちろんこれは一つの推測ですが、この推測は決して荒唐無稽のことではないのです。『御伽草子』の「ものぐさ太郎」の話の中に、供も連れず、輿にも乗らないでひとりです歩いている女性を女捕ることは、「天下の御許し」、つまりそういう場合、女捕りは「天下公許」であるといわれているのです。
 
(156~159頁より抜粋)
 
 
 
女性だけの連れで旅行するくだりは、記憶では、「忘れられた日本人」の中に記述してがあったと思います。そして、旅の途中は祖俗との縁は切れていると見なされているのです。
 
 
 
男性の場合だと「精進落とし」と称して、寺社への参拝の後に遊廓へ上がるのことがよくありました。だから全国の有名な門前町には遊廓があったところが少なくありません。
 
 
だから道な辻で起こった事件は、中世には世俗の世界には持ち込まず、その場で処理していたようです。
 
 
 
また、「女捕り」や「辻捕り」などという、女声の拐かしも、法令では意外に軽い罪なのです。
 
 
 
また僧侶に対しては「斟酌あるべし」というように貞永式目では謡われています。これなどは普段は女性に接してしない僧侶に配慮した文言としか思えません。
 
 
 
「ものぐさ太郎」の中にも書かれていますが、ひとりでに歩いている女性を女捕ることは「天下の御許」となっていたようです。