何気なく去年の年末に書いた「2016年やりたいことリスト」を眺めてみた。

小さな事から(例えば推理小説を年間30冊読む)

大風呂敷まで(例えば本を出版した)

大小様々な項目が100個。

80番目以降なんてう~んって絞り出しているもんだから

実は読んでいて「むはははっ」っていうものもある。

 

 

 

一見なんてことないこの100個のリスト。

でも

よく見てみたら

いやはやなんてことないわけじゃない。

具体的な項目たちの陰に

自分の本当の欲求が隠れていたりする。

 

 

 

それは

自分がどう在りたいか?

または

自分をどう見せたいか?

自分をどう作っていくのか?

 

 

 

そんな抽象的な欲求を

具体的なリストを通して

叶えていきたいという姿が見えてくる。

 

 

 

ということは

「自分がどう変わりたいのか?」

「どう在りたいのか?」

そんな漠然としたことを考えて悩むのであれば

実際にどう動きたいかをまずひたすら書いてみるのも一つの手段。

 

 

 

小さいことから

大風呂敷まで

とにかく具体的な行動を思い浮かべる。

 

 

 

100個書き出して

後でゆっくりそれを眺めてみれば

自分自身の欲求と本質が浮き上がるなんて

少し面白いかもしれない。

 

 

 

私自身 

「あぁ 結局私はこういうことを望んでいるんだなぁ」

と再認識した。

 

 

 

「夢を叶える」とか「目標を達成する」ために100個書き出す場合が多いけれど

自分の本質を知るためにも

この手段は有効。

 

 

 

もし

書き出したリストがあれば

じっくり見返してみて。

そのリストは何かを訴えてくるはず。

 

 

今日も最後までお付き合いありがとうございました。

苦しまぎれの89番目「嫌いな人がいなくなった」っていうのがありまして

嫌いな人を無理にゼロにする必要もないなぁ・・・なんて思い始めた今日この頃。

「嫌い」になる人はほとんどいないけど

でも「好き」な人が存在する以上

「嫌い」という概念があってもいい気がします。

ちなみにどんな人が嫌いかと言えば

相手によって行動や態度を変える人が嫌いです。

あと権力におもねる人もね(笑)

 

 

では

また 明日。