私はセネカが好き。。彼は2000年の時空を超えてやってきた私の師です。

たくさんのキラリと光る言葉を残してくれましたが、、

その中でも、う~ん、納得のイチオシを書きましょう!!



では、、




中野孝次著 「ローマの哲人セネカの言葉」・・より抜粋




人は生きる上で何よりも、自分の権内にあって自由になるものと、

自分の力の権外にあって自由にならないものとを、

きびしく区別しなければならぬ。


自分の権内にあるもの、それはすべて心の働きによるものだ。

考えること、欲すること、努力すること、行動すること、

拒否すること、歩くこと、愛すること、断念すること、等々である。


自分の力の権内にないもの、それはあなたの外にあるものだ。

だから財産、地位、名声といったものばかりでなく、自分の肉体、

妻や子供や友人たちなど、愛する者たちの命もむろんその中にふくまれる。


この自分に所属していないものを、自分の権内にある自由になるものと

思い込むくらい不幸なことはない。

それでは自分の外にある物に依存する事になり、運命に支配され、

自由を失う。


それに反し、本当に自分に属するものだけを使用し、働かせ、

それだけに頼るなら、運命が何をもたらそうとも一切それに侵されず

自由で、自分自身で充足していられる。すなわち幸福である。







これは、息子を亡くし悲嘆にくれ何年も立ち上がれない

マルキアという女性に宛てて書いた手紙です。

特殊な状況下での言葉ですが、


私達の実生活にも当てはめる事できます。



自分の肉体が権外とは、おや?っと思うかもしれないけど、

どんなに健康的な生活をしていても人は、

「自分は長生きをするだろうな~」と、およそ検討をつけるくらいで

実際は死ぬ日は知りません。だから自分の身体も

つきつめればやはり権外・・自分では自由にならぬもの・・なのです。


いっけん、財産や名声などは努力すれば手に入るもの

と、思いがちですが、それにも運が作用します。だからやはり権外。


たとえば人の気持ち、これが一番やっかい、

こうなって欲しいと願ってもなかなかそうはなりません。

権内であるはずの自分の気持ちだって権外になりがちなんだから。。


人は自分の思い通りにならないことあると

気持ちの中で思いが堂々巡りしてしまいます、

   ・・内緒だけど、義姉の愚痴電話が正にそう(^^;)・・


第三者的に見るとそれがよくわかるのだけど、

当事者は「どげんかせにゃならん」と、誰かが言ったけど

諦めつかないものです。。


もちろんそれにいたるプロセスにおいて、努力は必要ですが

どうにもならないことはどうにもならないですね。


そんな時、、どの時点かで

「権外」を認めれば気持ちが平たくなれるのではないでしょうか~



ちなみに、、

私はこの言葉を、嫁姑問題でいつもイライラしている友達に

教えてあげました。