「ある」こと、「ない」こと
昨日の夕方、愛犬と散歩している途中考え事をしながら歩いていました今回の記事は、自分問答のような内容です。「どうすれば、今抱えている苦しみから人は解放されるのだろうか、、、」まず思ったことは、「ない」ことに囚われすぎることそして、「ない」ことが不幸だと感じていること「ない」が「ある」だと幸せだと思っているそして逆もあるよなと。「ある」からこそ苦しい「ある」がために不自由を感じたり自分の思い通りに出来ないと感じたりもちろん、悩みのすべてがここに当てはまる訳ではないけど「ある」「ない」問題は結構あるあるですよね例えば、、、「ない」の中には時間がないお金がない恋人がいない結婚してない仕事がない目が見えない友達がいない「ある」の中には家族がいる責任がある恋人がいる親の援助があるお金がある仕事がある時間がある思いついたことを並べてみましたが、基本的には「ある」の方が良さげに見えます。歩きながら、私は思いましたあるもないも、善悪はないなと。ただ、その状況や状態があるだけ「ない」があるだけ「ある」があるだけ(なんか変な言葉だけど、、)それに対して、色んな意味合いをつけているのは自分自身だったりするんですよね結局何事も、そこに囚われすぎると痛み苦しみ、思い悩み、妬んだり、恨んだり、落ち込んだりしているんだと思います。無いからこそ、感じられること有るからこそ、感じられること無いを経験するから、有ることに感謝できる有るを経験するから、無くなった時に有難さを感じる無いから、自由不自由を感じられたり有るから、自由不自由を感じられる無いから、苦しくなったり有るから、苦しくなったり例えはキリがないのだけど、全て繋がっていて陰陽論のような感じそして、自分次第というところに行きつくわけです。どこかで聞いた話でこういうのがあります。犯罪者の親をもつ兄弟がいて一人は犯罪を犯し囚人となった一人は真っ当に生き、成功者となったそれぞれに「なぜ、そうなったのですか?」と聞くとどちらも次のように答えたそうです「親が犯罪者だったから」一人は、親が犯罪者だったから親のようになったのだといい一人は、親が犯罪者だったから親のようになりたくなかったのだと(詳細の内容をハッキリ覚えていませんがこれに近い内容でした)その環境、状況、状態をどのように感じてどのように受け入れて自らの道をどう選んでいくのか?あるもないも、常に同時に存在していて自分が見ているもの注目しているものごとに人生は左右されていく・・・夕暮れの中を散歩しながらそんなことを色々考えていたら目の前にある景色の美しさに目を奪われてそれがただただ本当に美しくてよく分からないのだけどとてつもなく感動していましたあるもないも、どう捉えるかは自分次第目の前にある景色は同じでもどう感じるかは、どう見るか違いそして見えていたり、見えていなかったりするもの人は得ることで自由や幸せを手にしようとするけれど本当は手放すことで得られるのかもしれないあなたは普段何に意識を向けていますか?希望や未来に目を向けていますか?現状の悩みに目を向けていますか?それとも、ただ今を楽しんで生きていますか?カレーを狙ううちの愛犬❤️笑