「愛」とは?

「愛」とは?

「愛」を求めて何千里

たくさんの人に愛されたい・・・・。そう思いながらも、結局いつも愛したり愛されたりすることがわからない。

夫がいても、子供がいても、それなのに、たくさんの人に愛されたいと願う毎日です。

だけど、今は、たったひとりの人の「愛」を手に入れたいと 思うようになりました。

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久しぶりの更新になる


この春から新しいお仕事へ


とにかく不安

不安すぎて、4日目の出勤は泣きながら歩いて行きました。

情けないが…本当に嫌で嫌でたまらない…


意地悪されるわけじゃない、新しい職場の人は皆んな優しい


でも。でも。

行きたくない


この春、新しいスタートをした保育園、幼稚園、学校の子供達、大人だって、たくさんの新入社員の人がいるであろう。

その人達と(たかがパートだが)一緒だと思って頑張っている


夫も優しい。

もう少しだけ、もう少し頑張ってごらん。って。


兄も優しい。

もう少し頑張ってみろ!と、さっさと辞めても良いんじゃないか?と俺は両方言っちゃう。

俺がお前に合ってる職場かどうか見に行ってやると言ってくれる


新しい制服を着ている中学生を眺めながら「オバチャンも頑張るよ」と「もう少しだけ頑張ってみる」心の中でいってるよ。


学生の頃は本当に嫌だった

逃げ場の無い場所で辛かった

そんな中で今も変わらず子供達は頑張っているんだなぁ。


今の仕事をしながら「我が子達はどんな学校生活だったのだろう」と思った

私は彼等の多感な時期をハッキリ思い出してやる事ができない。あまり一緒にいなかったから。


自分がしてきた事にまた自分を責める

だから働くしか無い

甘えたことばかり言わずに、彼等との失った時間をお金で残してあげる事しかできないのだから


黙ってひたすら働くしか無いのだ


とてつもない恐怖に

まとわりつかれて


これを剥がしたくてもがくけれど

余計に張り付いて離れない


いつからこんな物が私にくっついてくるようになったのか


いつからこんな感覚になったのか

寒い駅で私は時間が過ぎるのをひたすら待った


誰にも助けてと言えずにいたあの日を

忘れられずにいる

誰かに助けてといって迎えにきてもらえたのだろうか

時間がかかっても自分で帰ってきなさいと言われただろうか


私はあの冬の寒い日

自由が丘の駅を降りて少し歩いた路地でじっと何かを待った

まとわりつく何かと共に何時間も待った


あの当時は携帯も無くひたすら時間が過ぎるのを待つしかなかった


数時間を経て私は何も無かったように自宅に帰った気がする

正直覚えていない


あれからもう30年近く経とうとしているのに

私は何も良くならないのは何でだろう

駅に1時間もいるのに

電車を何本も見送ってるのに


新しいワクチン受けてきた

BA4-5


前回まではかなり高い熱が出たし、

頭痛がひどかったのだか


今回は微熱

そして胃部不快感


嘔吐恐怖症の私には耐えられず

エチゾラム服用


そしてこのちょうど寒くなってきた明け方の街に出て、昨日買えなかったスーパーカップを買ってきた


風邪では無いから

寒くても大丈夫だし、逆に本当に気持ちが良くてスッキリする


微熱があるせいか、ぼんやりする


この季節は本当に好き


この季節に、私はお母さんになったんだ


産まれた子は27歳になるね


エチゾラムを少し多めに飲んでしまったせいか、ふらつきがある


目覚めた夫は私が家の中にいない事を心配するだろうか……


ああ

それにしても外の空気最高だほっこり

車の通りもあるし、電車も近いけど

私はここが大好きだ


夫に感謝しています

ありがとう、私の強面の優しい夫ぶちゅー