今日はDWEや娘のことではないことを・・・
英語教育についてのブログを読んでいて、
ふと気になったブログがありました。
「日本の教員と海外の教員の違い」
それは、
日本の教員のほとんどが、
教員職以外の仕事をしたことがないこと。
大学を卒業してそのまま教員になる人がほとんどのため、
一般企業や社会を経験していない。
大学という学校社会から、そのまま学校という仕事場に就職する。
個人的な考えではありますが、
これは本来の教育者として致命的だと思っています。
ブログを読むよりずっと前から、
私自身、常々疑問に思ってきたことです。
学校の先生は、勉強だけを教えているわけではありません。
道徳・社会常識など、子供たちが成長する中で「社会を生き抜く力」を教えてくれる存在でもあると思っています。
とかく、小・中学校の先生は、そうであってほしいと願っています。
私の親族には教員をしている人が結構います。
その人たちと接する中で、
ずっと違和感を感じてきた、なにか引っかかるものがあった。
それはこれが理由だと、ある時、気づいたのです。
社会経験の乏しい人間が、
子どもたちに教える内容は「教科書そのまま」になるのは当然です。
特に英語という教科。
英語は外国語です。
価値観や環境、すべてが日本と異なる地で話されている言葉。
使われているコミュニケーションツール。
人々の価値観・思考をつくっていくものの一つ。
でも、日本で英語を教えている教員の一体何割が、
海外での生活を経験しているでしょう?
外国人の友人を持っているでしょう?
激しいディスカッションを経験しているでしょう?
「英語」を話す世界の価値観を理解し、
その素晴らしさや日本語との違いを教えてくれるでしょう?
話は自分のことになりますが、
私が通っていた小中学校は少し特殊でした。
教員たちが、
「この教育法は将来の教育現場で「役立つ?役立たない?」」を、
実際に授業で試し研究しているような学校でした。
日々の授業で教科書を使うことは少なく、
その代わり、それぞれの教員が都度教材となるプリント等を用意し配っていました。
テストも問題を解くのではなく、レポートを提出させることも。
学期末に教科書はほぼ新品のままな時もありました。
しかし、学力調査テストでは、
市内トップの平均点になる、不思議な学校でした。
そんな少し変わった学校でしたので、
先生たちも個性の強い先生が多かったように思います。
中学で出会った英語の先生は、
生徒に各自好きな洋楽のMDやCDを持ってこさせ、
それを各自ウォークマンなどで聴き、
聞き取った歌詞をひたすらノートに書いていくという授業を定期的に行っていました。
そして授業の初めには、
自分が海外(おもにアメリカ)生活で経験した楽しさや恐怖、日本との違いなどをジェスチャーを多分に交えながら話してくれました。
テストのために教科書を学ぶのではなく、
生徒自らが外国の文化やカルチャーを調べたい、知りたいと思い、
その国の人と話したい、
日本語に訳されたものでなく、英語のまま本が読みたい。
だから教科書で調べる。学ぶ。
日本語に訳されたものではなく、
英語そのままで得る知識の面白さを教えてくれた先生でした。
長くなり、まとまりもなくなりましたが、
「学校という閉鎖的な世界でしか生きたことのない人は教科書に書いてある内容だけしか伝えられない」
「学びの本来の意味・目的・楽しさを伝えるには、伝える側の豊富な社会経験こそがものをいう」
「教育現場にこそ、経験豊富なエリート人材が必要」
ざっくりこんなことを日々思っているのです。
大学からそのまま受ける教員採用試験、見直してほしい。
英語を教える教員採用試験には、社会経験豊富な外国人も試験官に加えてほしい。
そんなことをぼんやり日々思いながら、
娘の進路について考えているのです。。。