ビートルズは“特別な存在”だという。何がどう特別なのか。“特別”という一言で済ませてよいのか。

音楽家の和久井光司(わくい・こうじ)さんが語る。





ビートルズは専門店ではなく、“完璧なコンビニエンス・ストア”のようなもの


ザ・ビートルズ。彼らを「20世紀のポピュラー音楽史上最高のグループ」と呼ぶことに異論を唱える人は、おそらく世界中探してもほとんどいないだろう。彼らの音楽を好き・嫌いの範疇で語るのは個人の自由だが、音楽や文化に精通すればするほど、彼らが20世紀後半の世界に与えた影響の大きさを認めざるをえなくなるはずだ。…ビートルズという存在は人類の音楽史上、比較の対象さえない“別格”なのである。

レッド・ツェッペリンやクィーンなどが、瞬間的にある分野に打ち立てられたビートルズの記録を塗り替えたこともあったし、76年にニューヨークとロンドンで起こったパンク・ロック・ムーヴメントは、すっかり商業化されたポップ・ミュージックに原点回帰を促すものであった。しかし、何人もビートルズの“総合力”は超えられなかった。その音楽性の高さと文化的な価値は、熱心な研究が進めば進むほど確固たるものとして認められ、絶対的な評価はファンやマニアの層から一般へと広がっていったのである。

以来、「なぜそれほどまでにビートルズという存在は特別なのか」を、世界の識者は考えるようになった。

「ビートルズは別格だ」「ビートルズは凄い」「彼らは天才だ」と言ってしまうのは簡単だ。しかし、そういった手放しな褒め言葉は、彼らの音楽に内包された“20世紀的な側面”を少しも理解しない傾向に拍車をかけていないだろうか。女子高生がブランドの名前だけに躍らされて高い買物をするように、ビートルズという名前がついていれば無条件で認めてしまう人が増えていることに、忸怩たる想いを感じている識者(もちろん熱心なファンも含む)も少なくないだろう。

ビートルズの音楽ほどいわゆる“ブランド”としての在り方から遠いポップ・ミュージックも、実は珍しいのである。あくまでもブルースにこだわり続けるローリング・ストーンズや、詩人としての佇まいは決して揺らがないボブ・ディランなどは、文句なしにポップ・ミュージック界の一流ブランドと言えるが、ビートルズの音楽には、職人が誇る技術や、頑固一徹なカラーといった、ブランドをブランドたらしめる“核”がない。つまり、何でも揃っているけれど何の専門店でもない“コンビニエンス・ストア”のようなものである。

ところがこのコンビニには本当に「ないものがない」。その店の経営者とスタッフが一流のグルメであり、文化人であることは、品揃えで一目瞭然だった。真夏にも当然のように温かいお茶や、おでんや、肉まんを売っているし、もちろん24時間営業で年中無休。酒類も切手も揃っているし、煙草の人気銘柄が品切れになっていたり、コピー機のトナーがなくなっていることもない。新聞・雑誌はどこよりも早く到着するうえに、店員はみんな元気がいいのだから、買うものがなくても思わず立ち寄りたくなってしまう。まさに“完璧なコンビニエンス・ストア”というわけ。

音楽は、…ささいな日常を含めた“環境”を抜きには語れない。学理と技術を磨くのを良しとするクラシックの世界では別なのかもしれないが、常に大衆の日常とリアルタイムで対峙するポップ・ミュージックは、作者の置かれた環境を無視して論ずることはできないのだ。学理や技術を磨いても、優れたポップ・ミュージックはつくれない。職人芸やブランド意識は、時として聴く者を限定してしまうこともある。

ビートルズの音楽は、アイルランド移民の子孫である彼らの血の中にある“ケルト性”と、20世紀のポピュラー音楽の方向性を決定づけた“アメリカに根づいた黒人音楽”が、理想的な形で融合されたもの、と言える。ブルース、ジャズ、R&B(リズム&ブルース)、ロックンロールと進化していったアフリカン・アメリカンの音楽は、50年代半ばに強烈なビートで若者たちを熱狂させるようになり、それが英国の片隅の港町にまで伝播した。ビートルズは意識的に黒人音楽の方にすり寄っていったわけだが、作詞・作曲の幅を広げ、バンド・サウンドを発展させていく過程で、黒人音楽を模倣したスタイルに彼らの“血”が染み出していくような格好になった。ケルト音楽の特徴である2拍・4拍に置かれるアクセントと、ロックンロールのバック・ビートの酷似を彼らが気づいていたかどうかは判らない。ビートルズはただまっすぐに、“世界最高のポップ・ミュージック”をつくろうとしただけなのだろう。もちろんそれは狙ってつくれるものではないし、彼ら以外のバンドも同じように考えたと思う。ところが、ビートルズだけが“特別な存在”になりえたのである。

“完璧なコンビニエンス・ストア”の成功の秘密を探るには、それを形成した人々や経営陣に影響を与えた人々、また、仕入れのルートや品物のディスプレイから、店の立地条件や同時代の他店のありさまも書かなければならないだろう。逆に言えば、ビートルズは常にさまざまな物事に目を光らせていたからこそ「情報が氾濫する大量消費時代を生き抜いてこられた」とも言えないだろうか。


(『ビートルズ原論』和久井光司/河出文庫)





ビートルズを“特別”扱いすることは、かえって若い人たちのビートルズ離れをうながすかもしれない。

和久井さんの言うように、ビートルズは誰もが気軽に立ち寄れる“コンビニ”のようなものなのだから、構えずに聴いてみてほしい。

そうすればそこには、専門店にも負けない“世界最高のポップミュージック”がある。

ビートルズがなぜ“特別な存在”であるかの理由が分かるだろう。



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