もしかしてまだプロローグシリーズ続いとんのか?
ええ、実はこれからが佳境でして・・・
というさくら@魔法組です
今日はさくらが永田町にいた2000年からの15年のうち、
2009年の秋 からお話を始めさせてください
*「太陽と子ども」は自民党のシンボルマークです
さて前回の続きです
2009年秋の選挙で大敗した自民党は野党になり、
「政権構想会議」というあたらしいプロジェクトチーム(PT)が発足しました
谷垣禎一総裁がトップではありますが、
実質仕切っているのは京都の珍獣=伊吹校長。
私さくらは、このPTに“出向”という形で派遣されました
校長室(政権構想会議室)付きとして
当初は3か月の予定だったのが、
いつのまにか3年
安倍総裁に代わってもPTは存続し、
さらに3か月延長
2012年末の選挙で自民党が与党になり、
伊吹校長は衆議院議長になられて、これで終わりかと思いきや、
議長秘書としてまた出向になり、さらに悪夢の1年3か月
結局、私さくらの
伊吹校長との戦いの歴史は4年半に及びました
本当に、長かった。。。
そして、
特にドラクエをされたことのある方はよく分かると思いますが
レベルを上げるには、経験値を積まないといけません。
なんといっても
伊吹校長は、ラスボス級の強さですから
この4年半で、
さくらのレベルは飛躍的に上がりました!!!
ただし、何度画面が赤になり、
教会に行ったか分かりませんが。。。
*引き続き画像はイメージでお送りしています(写真は伊吹山)
校長室での日々は、いま思い出しても本当にしんどかったのですが、
校長にはめちゃめちゃ鍛えられました。
良くも悪くも、あれほど懇切丁寧にご指導くださる方は、
この先一生現れないでしょう。
校長との日々は、毎日が「試合」でした
厳しい練習を誇る広島カープと同じくらい厳しい千本ノックを受ける一方で
どこからどんな球を投げられても打ち返せるようになるため、
主要紙(朝日、読売、毎日、日経、産経、東京)を日々精読し
聞かれて分からなかったことは調べて勉強し
それでも分からないことは、率直におたずねしてご指導を受ける
できないこと知らないことが多すぎて怒られてばかりでしたが
でした。
秘書の仕事というのは、ある意味コンシェルジュのような感じですが、
とにかく
どんなことを聞かれても「分かりません」では済ませず済まされないので、
何らかの回答を用意し、
どんな(ムチャクチャなに思える)要望にもお応えするという使命感を持ち、
みんなの幸せのためにも、珍獣がいかにご満悦でいられるかに集中し、
そのために心を配る日々であったように思います。
ええ、本当によく頑張ったよね、私。。。
そして2014年の春、議長秘書としての出向が終わり
校長から解放され自民党に戻ったさくらは、
不思議なご縁 の働きを感じる、
党での最後の仕事となるPTに導かれることになるのでした。。。
...to be continued!!