炎の聖母 4 | カルシファーに愛を込めて

炎の聖母 4

どれくらい眠ったのでしょうか。


ルチアが目を覚ました時には、外はすでに暗くなっていました。
グレースたちはもうキングスベリーの家へ帰って行ったようです。


ルチアは自分のお腹にそっと触ってみました。
もう既に5か月くらいにはなっていそうな感じです。
わずか半日でこんな経験をさせられるわけですから、ルチアはカルシファーの母とアイトスの魔力を身にしみて感ぜずにはいられませんでした。


ちょっとフラフラしながら、ルチアは一階に下りてきました。
ハウル、ソフィー、モーガン、トーマスが夕食のテーブルについています。


ルチアの姿を見ると、ソフィーはすぐに席を立って、ストーブの上のスープをよそって持って来てくれました。


ソフィーは夕食の支度のせいで、ハウルが帰ってきてもまだルチアの身に起こったことに関して報告はしていませんでした。
ハウルにはルチアが寝室で休んでいるから、邪魔をしないようにと言い含めるのが精いっぱいだったのです。


ところがルチアの顔を見たとたん、ハウルは眉をひそめて彼女を凝視していました。


何かとんでもないことが起こったと言わんばかりの表情です。

食事が終るとハウルはお茶を飲みながら、ルチアに言いました。
「ルチア、九月から始まる第二学年の話しだけれど、もう魔法学校には行かなくてもいい。行ったらとんでもないことになるからね」


ハウルの思いがけない言葉にルチアは愕然として叫びました。
「で、でもハウルさん、わたし勉強が・・・」
ハウルはちょっときつい口調でルチアの言葉を遮りました。


「魔法の勉強をしたいのなら、この城でぼくとマイケルとトーマスであんたができそうなものなら何でも教えてあげる。でも学校には行かない方がいい。本当に面倒なことになるんだ。ぼくとカルシファーが契約した時と同じようにね。ぼくだって魔法学校を中退しているんだから、本当のこと言うと学校に行かなくたって何とかなるものなのさ。それにあんたの視力だと今後の勉強はもっと難しくなるだろうし、基礎の基礎がわかってるなら自由に勉強した方がためにもなるんじゃない?」


お師匠さんがそう言うのなら、自分にはわからないけれどもよほどの理由があるのでしょう。
ルチアは九月から家事と仕事をすることになりそうだと気づいて、半ば安心したような、ちょっと残念そうな複雑な心境になりました。


ソフィーはハウルの真剣な顔を見ると、ルチアに何事が起ったのかを尋ねたくてうずうずしている気持があるのに、何となく聞き出す勇気が出ませんでした。


ハウルはそんなソフィーの気持ちを読み取って、彼女の顔に緑色の目を向けながらため息をついたのです。


「ソフィー、詳しいことはカルシファーが戻ってきてから説明するよ。どっちにしても城の中の魔力のパワーバランスが変わってくるだろうね。ああ、本当に面倒なことになったもんだ! 一番怖いのはルチアがまったく自覚をしていないことなんだからなぁ!」


その夜、ベッドに横たわったルチアは仰向けになるのが息苦しくて、横を向かなければ休めないという経験をしました。


本当の妊婦さんは、きっとこんな状態が何か月も続くんですね。
ルチアはすべてのお母さんはみんな偉大だと思わずにはいられませんでした。


胎児がだんだんと活発に動いているのが感じられます。
「カルシファー、きっと今までで一番幸せな時間を過ごしているのかも知れないわ。人間というのはだれでも、母の胎内に戻ってみたいって思うものよ。そういう快い潜在意識をあなたに持ってもらえたら嬉しいわ」


そう言いながらルチアは蒼白い月の光が差し込む部屋のベッドで、自分のお腹を優しく撫でました。


ふわっと明るい緑の光が彼女の手から溢れて、ルチアはその光に暖かさと安らぎを感じました。
この光の正体が何であれ、悪いものではないということを感じ取ったのです。


「アモーレ、あなたが大好きだった子守唄を歌ってあげるね」
ルチアは手をお腹に当てたまま、炉辺で炎のために歌っていた故郷の子守唄を静かな声で歌い始めました。


胎児はルチアの歌声と柔らかい緑の光に包まれて、お腹の中で安心して眠ってしまったようでした。


次の日の朝、まだ家族が起きて来ないうちにルチアはお腹の痛みで飛び起きました。
もう既に臨月を迎えているようです。


「うう、いくら何でも早すぎる・・・!」


ルチアはよろけながら浴室に駆け込みました。

ソフィーがルチアのうめき声を聞きつけたらしく、慌てて二階から下りてくる足音が聞こえました。


「ルチア、助けが必要?」
「ありがとうソフィー、ここまだ温泉に繋がってるかしら?」
「たぶんね。お湯出してみたら?」


お湯がざーっと音をたてて湯船に落ちる音が聞こえてきました。
そのままルチアは湯船の中に浸かっているようです。
なんと、お湯の中でカルシファーの体を取り出そうとしているのでした。


「本当に助けが要らないの?」
ソフィーが戸口で心配そうに叫んでいます。


ハウルとトーマスも慌てて起きてきました。
もっとも、彼らってこういうときにはあまり役に立たないのですけどね。


まだ妊娠の経験はおろか、男性との関係さえ持ったことのないルチアが、偉大な母たちの魔力だけを信じて一人で子どもを産もうとしているのです。
しかもその子どもの体内には炎が宿っていて、なんと彼がもっとも恐れていた水の中に生まれてくるというのです!


ルチアはそうとう苦しむ覚悟を決めていました。
ところがいざ出産というとき、ルチアが身につけていたダイヤモンドから白い光が、アイトスの黒い溶岩からはオレンジ色の光が同時に放たれて、ルチアの体を二重に包みました。


胎児は何かの力に導かれるようにするっと湯船の中に生まれ落ち、ルチアが溢れるほどの光に包まれている赤ん坊をお湯の中から引き上げると、元気な産声を上げ始めました。


「生まれた!」
ソフィーがたまらなくなって浴室に駆け込みました。


「カルシファーが生まれた・・・って言えるのかなぁ、こういう場合・・・」
ハウルとトーマスはさも実際家の男性らしく、屁理屈をこねて顔を見合わせています。


ルチアはあまり激しい痛みもなく子どもを産み落とした瞬間、やはり全てが魔法だったことを悟りました。
本物の妊婦さんだったら、絶対こんなに楽にはいかないからです。


ルチアが赤ん坊のへその緒を切り取ると、胎盤はきらきらと細かい星屑になってダイヤモンドとアイトスの石に吸い込まれていきました。


湯船にきれいなお湯を入れ直してから、ルチアとソフィーは嬉しさのあまり猫なで声でカルシファーに話しかけながら、見えないほど細くて赤っぽい金髪が小さな頭に生えているかわいい赤ん坊の体を洗いました。


「モーガンも子猫だったから、こんな風に楽に生まれてきたけどね! あたしたち、なんてついてるのかしら!」
ソフィーの楽しそうな笑い声が浴室に響きました。


ルチアとソフィーは、丸々とした元気な赤ん坊にモーガンの産着を着せて、ようやく浴室から出てきました。


ルチアはいたずらっぽい表情でハウルに子どもを差し出しながら言いました。
「これがあなたのかつての半身ですよ。悪魔らしい表情が全然なくて、本当になんてかわいいことでしょう!」


「そうかい?」


ハウルが子どもを抱き上げると、赤ん坊は既に数か月経っているかのようにもう大きな褐色の目を開けて、これまたいたずらっ子のような顔でハウルを見つめています。


「ぼくにはすでにカルシファーの顔が見えて来そうだね。あいつの魔力だってビンビンに感じるよ」


ハウルが大きな口を開けてあっはっはと笑った瞬間、赤ん坊はハウルの口の中に右足を蹴り入れて、かわいらしい声を上げてけたたましく笑いました。


「ほら見ろ。やっぱり悪魔だ!」


ハウルが赤ん坊の足を口から引っこ抜きながら叫んだので、みんなは大笑いしました。


赤ん坊のカルシファーは午前中いっぱい、二人の女性に溺愛されながらすくすくと育ちました。


ルチアはちゃんと母親らしく授乳もさせ、子どもと触れ合う喜びを知りました。
実はこの子が恋人であるカルシファーなのだと思うと、その喜びはなお大きなものだったのです。


まるで炎の後光のような産毛が小さな頭を覆うベビー・カルシファー。

彼の大きな眼には、生き生きとした星のような光が宿っていて、悪魔どころか至高の天使のように気高く見えました。


ルチアにはその悲しいほど美しい赤ん坊の顔が忘れられなくて、おりにつけ一生思い出すことになるのです。


午前も遅くなるとマイケルが城にやってきたので、ルチアはハウルに許可を得ていた大事なことを彼に伝えました。


「お昼にはモーガンがベンおじさんのおうちから従妹を連れて来ます。あなたとマーサはモーガンとベンの子どもたちと、あなたの双子たちを連れて、わたしとカルシファーと一緒に海へピクニックに行っていただけませんか? 」


マイケルはびっくりして、助けを求めるようにハウルを見ました。
「カルシファーが赤ん坊としてルチアから生まれたんですか? それで今日一日のうちに、子どもたちとできるだけ楽しい思い出を作ろうっていうんですか? ぼくとマーサとルチアでできるでしょうかそんな大事なこと・・・子どもが6人ですよ!」


「そうだなぁ・・・ベンたちに時間をさいてもらえるだろうかね? まぁ、夏休みの時期だから、王宮の仕事は今のところたて込んではいないけれど、こういうときには彼の研究もあるだろうね。とりあえずベンには聞いてはみるけれど・・・この際、どうせなら三姉妹の家族ピクニックができるといいね」


「ハウル、カルシファーは星の子の記憶では悲惨な思い出しか持っていないのよ。だからせめて人間としての幼い記憶ぐらい、愛が溢れた楽しいものにしてあげたいわ!」
ソフィーもハウルにこうとりなしてくれました。


そこでハウルは立ち上がって、暖炉のそばの鏡に向かうと、サリマンの家の鏡に連絡を取りました。


するとベンとともにレティーが鏡の映像に首を突っ込んで、騒ぎ出したのです。
「え~?! カルが赤ちゃんに?! きゃ~! それは絶対に見たい!」


奥さんがあまりにも興奮するので、ベンは自分の研究を仕方なく諦めて言いました。
「わかった。子どもたちを連れてお昼にはそっちに伺うよ。時間がないからランチはサンドイッチぐらいしかできないけどね!」


ソフィーは叫ぶようにして言いました。
「大丈夫よ! あとマーサもいるから、パン屋にある美味しそうな物を持ってきてもらうわ!」


マイケルは慌てて家に飛んで帰り、マーサをチェザーリの店まで迎えに行きました。
パールとローズの双子たちは、店の近くにあるミセス・チェザーリの母親の家で面倒をみてもらっているのです。


マーサは魔法の世界に詳しいわけではないので、夫が言ったことはさっぱりわかりませんでした。


でも最近マイケルも忙しかったし、自分もお店にばかりかまけていて、子どもたちをピクニックに連れていく機会などめったに持てなかったので、チェザーリの旦那さんにお願いして早引きをさせてもらいました。


こうしてサリマン家の4人、城のメンバーがトーマスを含めて6人、フィッシャー家の4人が全員動く城に集まりました。


城の中は子どもたちの声で溢れ、レティーとマーサはもうすでによちよち歩きを始めたカルシファーのかわらしさにハートを射止められて、黄色い声を張り上げながら彼のあとを追いかけていました。


「よし、じゃぁみんな、ポートヘイヴンの港の近くにあるビーチに行こう!」


ハウルがいつになく子どものようなはしゃいだ声を出すと、みんなは楽しそうに歓声と笑い声を上げながら、城の入り口からポートヘイヴンの町へ出て行きました。
モーガンが昨日の騒ぎの素になった愛用の青いボールを抱えています。


あの恐ろしい星の子たちの襲撃で壊滅的なダメージを受けた町はその後、町長から王室への要請もあったことと、ハウルとサリマンのボランティアによる協力で、数日のちにはだいぶ復興されていました。


漁師たちはもうとっくに今朝の魚を売りさばいてしまったあとで、お昼を食べに意気揚々と家に戻っていくところです。


カモメが青い海の上を舞うのんびりとした港町の近くに、海水浴にはちょうどよい、細かくて白い砂の小さなビーチがありました。


ビーチの沖にはしっかりとした堤防があるので、外海からの大きな波は入ってきません。

ここは子どもたちを遊ばせるには絶好の場所なのです。


まだ大人にとっては海水浴は早いかなと思わせるようなそよ風が吹く中、潮の香りを思い切り胸に吸い込んで、子どもたちは大喜びでさざ波が打ち寄せる浜辺を駆け回っています。


みんな町の子なので、海を見る機会なんて今まであまりなかったのですものね。


大人たちは木陰を探して、古いシーツを広げるとランチを並べて子どもたちを呼びました。


4歳くらいのカルシファーはルチアの膝に抱かれて、マーサがくれた大きなパンと格闘しています。
彼女がコップの水を飲ませると、大人の時よりも平気な顔で抵抗もなく飲み干していました。


食事が終ると、子どもたちは待ち切れなかったように海辺で遊び始めました。


でもハウルはカルシファーに対してどうも主観的な見方しかできなかったので、彼の父親を演出することはとてもできなかったのです。


その代り、マーサには決して言ってはいないけれど本当は男の子が欲しくてたまらなかったマイケルが、緩みっぱなしの顔を輝かせながら岸辺で娘たちとカルシファーをパチャパチャと遊ばせていました。


そのうち、だんだんと大きくなってついに走り出すようになったカルシファーは、子どもたちみんなと一緒に大きな大きな砂の山を作り始め、砂の山に頭まで突っ込んでトンネルを掘ったり、バケツに海水を汲んでトンネルの中に川のように流したりし始めました。


マシュウほどに成長した彼は、もうすでにガキ大将ぶりを発揮しています。


たくさんのお友達と一緒に笑い、走り、跳んで・・・潮風に炎のような髪をなびかせながら思う存分、日光と砂と輝く波に戯れるカルシファー。


みんなに心から愛され、可愛がられた乳児時代。


いたずらいっぱい、やんちゃ盛りの幼児時代。


そしてたくさんのお友達の中の腕白ガキ大将。


彼の瞳にはあのキラキラとした星のような輝きと、生きる喜びが踊っています。


その姿を見守るハウルの顔には、自分にさえ訪れなかった幼少の楽しい思い出を、たった一日とはいえこうして凝縮した形で得ることができたかつての半身に対して、嬉しさ半分、羨ましさも半分といった表情が表れていました。


一番年上のモーガンは、転んだローズを助け起こしたり、泣き出したマシュウをなだめたりとお兄さんぶりを発揮しています。


カルシファーはこれをすぐに見習って、ガキ大将ぶりから小さい子をいたわる兄貴役の立場さえ覚えていきました。