人生の元気を奪う宇宙観の6回目は、「無駄なことはしたくない」という考え方を扱います。

最初にお断りしておきますが、無駄な~というものは、この世にあると私も思います。その最大の例は、軍事費。某超大国は国家経済の15%が軍需産業のため、軍需景気を人工的に作り上げないと国内の労働者人口の15%を失業させる事になりますから、定期的に購入済みの武器を消費しなければならず、紛争の火種のある地域に働きかけて、小規模な地域紛争を起こさせています。だから、世界のどこかで常に地域紛争が起きています。因みに、紛争の火種は、大抵、資源(特に水資源と食糧)の枯渇による生存の危機ですから、軍事費に回すお金を水や食糧の運搬に回せば、恐らく、世界は紛争なく、飢饉なく、現在の人口を支えることができます。それなのに、紛争を起こして武器を消費する場(戦場)を作り、大量の武器を投下して武器庫を空にし、軍需景気で国内経済を潤し、失業者を出さないようにするという・・・まっすぐ歩けば1メートルの距離を、ぐるぐる回って10メートル掛けてたどり着くようなことをしています。これは、無駄な努力、無駄な支出、無駄な時間、無駄な戦争です。このように国家レベルで考える時、無駄な~は沢山例があるのですが・・・

今日の話は、個人が合意の上でやった活動に関する、時間・努力・金を「無駄にした」という考え方です。

例えば、
3歳からピアノを習わされて9歳でやめたから、時間や努力や稽古代を無駄にした。
年頃のお相手をデートに誘い、お洒落をして出かけてデート費用も負担して、挙句の果てに相手は興味がないことがわかったから、デートを無駄にした。
大学を出たのに、田舎で農業をしているから、学歴や学費を無駄にした。
リターンを期待して投資したのに、損失が出たから、投資を無駄にした。
結婚したのに離婚したから、人生の~年間を無駄にした。
窮地に居る人に金を工面して助けてあげたのに、その金で賭博をしたらしいから、善意を無駄にされた・・・

などなど、人が「無駄にした」ことについて嘆くネタは、枚挙に暇がありません。

これまでに無駄にしたと思うことを挙げてください、と言ったら、「一つもありません」と言いきる人の方が少数派ではないでしょうか。

私達は、人生には「無駄にした」時間がある、という考え方に慣れ親しんでいます。

でも、本当に人生には「無駄にした」時間があるのでしょうか。次のリストを読んでみてください。

3歳からピアノを習わされて9歳でやめたから、楽譜が読めるので、15歳でバンドを組んで遊んだ。
年頃のお相手をデートに誘い、お洒落をして出かけてデート費用も負担して、挙句の果てに相手は興味がないことがわかったが、おいしいレストランを開拓したから、次のデートに使おう。
大学を出たのに、田舎で農業をしているから、経済学や科学的なこともある程度わかり、遺伝子組み換え食品や農薬漬け産品を生産しないで利益を出す方法を考えてみよう。
リターンを期待して投資したのに、損失が出たから、次回はどのような投資商品に投資したらよいか、もっと勉強しよう。
結婚したのに離婚した。人生の~年間は伴侶が居る生活を楽しんだ。最後の1年はきつかったけど、次の出遭いの時に気を付けるべきこともわかった。
窮地に居る人に金を工面して助けてあげたのに、その金で賭博をしたらしい。しかし、相手は相当に後ろめたい気持ちで居るらしいし、こういう状態の人に金を貸すことは援助にならないことを学んだ。

このように、「無駄にした」という結論を避けようと頭をひねれば、同じ書き出しでも結論をひっくり返し、無駄ではなかったことにすることも可能です。

なぜ、このひっくり返しが重要なのかと言うと、過去に「無駄にした」感がある活動が多いと、必然的に、「無駄になりそうな」活動に対する不安が生じ、無駄にならないという保証がある道筋のみを選びたくなってしまうからです。

過去と現在と未来のうち、私達が創造力を発揮して自分で創造できるのは、現在です。
なぜなら、過去は既に終わったことで、未来はまだ始まっていないことで、自分の創造力で質を変えられるのは現在だけだからです。

ここで、過去とは、単なる出来事ではなく、出来事に自分の解釈をつけて記憶したものであることに注意してください。これが、未来の行動の指針となるので、過去の出来事に自分が付けている解釈を編集すれば、未来を選択する指針を編集することができるのです。

人間というものは、生命の存続、つまり危険回避を第一目標とする生命体であり、過去の経験から認識した危険は、未来において回避しなければならないと、脳が決めてしまいます。危険回避は、生命体の維持のために設計された脳の都合上、第一目標とならざるを得ません。従って、

過去に無駄にしたことが多く損をしたという解釈をつけて記憶する場合、
未来における無駄を回避しなければならない、という指針になってしまうのです。

しかし、まだ始まっていない未来は、予知能力のない一般人には不明なので、無駄を回避するという指針に沿って活動を選択しようとしても、「本当にそれでいいのか、実は無駄なのでは無いか、どっちなんだ?!」という迷い生じます。これが「無駄不安」というものです。そして、無駄不安は、まだ起きていない未来について、延々と心配するネタとなり、過去の解釈に基づき未来を心配し、現在に注意を払うことができず、今を生きられないという、これこそ究極の「今という時間の無駄」につながるのです。

人生に無駄になることは一つもない、と言いきる人も居ますが、私はそこまで言い切ることはできません。なぜなら、どう考えても人命も戦費も無駄になったとしか思えない戦争があるからです。

戦争まで視野に入れてしまうと、わからなくなってくるので、少し視野を狭めて、平時において、自分が自分の意思でやってみることについて、無駄になることは一つもない、と言ってみたら、言い切れるでしょうか。

言い切れるように思います。
(唯一の例外は、先に書いた、未来の心配に囚われることによる「今という時間の無駄」です。)

過去に無駄にしたことは一つもないという解釈をつけて過去の出来事を記憶し直したら、
未来における無駄というものは一つもないので、無駄かどうかという基準で活動を回避する必要はない、という指針ができます。

無駄かどうかを判断材料としなくていいなら、やりたいかどうか、体力や資金や時間的にできるかどうか、それだけ考えればいいのです。やりたくてできることなら、やればいいのです。このように、全く不安のない状態で、未来の活動を選択することができたら、その活動に一心不乱に取り組むことができませんか。一心不乱の取り組みは、前回書いたマルチタスクの真逆の「マインドフルネス」の状態であり、今という瞬間を自分の創造力で創造することです。

「無駄不安」は、一心不乱に生きれば楽しい今という時間の質を蝕む、世界最大級で最も一般的な自己妨害のシステムです。「無駄不安」は、恒常的マルチタスク現象で、多くの人の心を蝕んでいます。なぜなら、今目の前にあることをやりながら、未来にならなければわからない今の行動の結果について心配するという、二つのことを同時にやり続ける行為だからです。「無駄不安」を抱える人は、注意力散漫で、やる気がなく、情熱が湧かず、今という時間を常に無駄にします。強い「無駄不安」によって、今を無駄にすることが確実となるという、これほど皮肉なことはありません。



それでは、演習です。

過去に「無駄にした」ことを最低5例挙げ、上記に倣って結論をひっくり返してみてください。




ひっくり返せましたか?全部できなくても、一つか二つはできましたか?ちょっと無理と思うものでも、頭をひねってひっくり返してみてください。

遊び感覚で、「無駄にした」感を感じるたびに、ひっくり返す演習をやってみてください。何度もやっているうちに、脳内にそういう思考回路がつながります。無駄にしたと決め付けないで、こう考えればいい、というアイデアがすぐに浮かぶ人になり、それに従い、未来に対する「無駄不安」が緩和され、今を楽しく創造できる人になります。

騙されたと思ってやってみてください。

それでは、皆様、本日も今という時間を存分に楽しんでお過ごしください。

本日もお立ち寄りいただき、ありがとうございました。