今日父と電話で話して
あー、終わったなと思った。
何がって感じなんだけど
自分の中で、両親へのこだわり
怒り、わだかまり、などなど
考えると長い道のりだったな。
私は確かに怒りだけに包まれていた
私ではもうなくなっているし、
父と話しているときにわかった。
今日、久々に仲間にも電話してみたけど
自分が昔の自分じゃない感じがわかった。
彼女がそれに気が付いたかは不明だけど
自分は確かに楽になっている。それだけは
嘘じゃない真実だ。
みんなに支えてもらって、 何とか
死なずに済んだ。
これからの私は自分で自分の命を
奪うことはしない。
反対に今まで病気で病気でというのが
もう通用しなくなる社会で生きていかないと
これはまた違う意味で大変だと思う。
ACの家族って悲惨だなと思った。
結局、こうして結果的には両親が
私にしたことが大きく影響して
私は依存症になって、かなり苦しんだし
今もその残骸に悩まされているけれど
彼らを一方的に攻撃できるのは
若いうちで、まだ何もわかっていない時だけ
かもしれないなと思った。
父は父で悲惨な扱われ方を祖母に
されてきたのは否定できないし、
彼が父親じゃなければ、同情心さえ
生まれるよ。私に何も影響を
及ぼしてなければね・・・
こうして、誰も幸せになれないACの
家族って悲惨だなとおもう。
うちの家族は、私以外も兄弟含めて
誰も親の面倒見るっていう人間はいない。
それが父と母がやってきた結果だ。
それも母が電話口で理解していることに
私は驚きを感じてしまった。
わかってるんだこの人・・・って思って
びっくりした。
私以外の兄妹も誰もあなたたちに感謝してない。
普通以上を装ったつけが回ってきたのを
老人になって初めて味わったか!
だから母が、ボケたら、ホームへ入れてくれと
言っていたのは、物分かりの良い老人でなく
誰も子供が自分を見てくれないとわかっていたのだ。
私はてっきり物分かりの良い老人だなと思っていたのに。
悲しいもんだな。
子育てのボタンのかけ違いで、子供がいても
さみしい老人になってる。
私たちは親がいてもさみしい子供になってる。
そこに真の愛情らしきものは今のところ
見つからない。形式的なところは兄弟は
いまだやってるみたいだけど・・・
私は何年も会ってないし・・・
まあ、これから少しずつそんな関係も変わればよいなと
思っている。