2018年2月23日(金)追記:
Ipay Haron(陳清香)さんは最近ご入院中でしたが、大変残念ながら今朝、99歳で虹の橋の袂へと旅立たれました。
心よりお悔やみ申し上げると共に、一年前にお会いすることが叶ったことを改めてご家族に感謝申し上げます。
太魯閣族文面國寶Ipay Haron(陳清香)女士今晨去世,到彩虹橋出發了,在彩虹橋的那端跟祖靈相聚了,祝她一路好走…
Payi Ipay,mhuway su balay!
「文面」と呼ばれる顔に施す入墨はかつてタイヤル族,セデック族,タロコ族原住民の重要な文化表徴であり、その文面により男性は勇者の印、また女性は機織ができて家族の面倒が見られると見做され、それにより結婚が許されました。
そして死後の霊が彼らの祖霊の元へ向かう虹の橋の袂において、文面があるかどうかを調べられ、無い者は資格が無いと見做されて祖霊の元へ行くことが許されないと言われます。
文面は彼らの母語で「Ptasan」と言います。
しかし日本統治が始まって以降、日本警察により文面は厳しく禁止されてしまうこととなります。なので、目下文面のご老人は台湾全土に4名しかいらっしゃいませんし、もうどなたも100歳前後のご高齢となっています。
私が原住民文化について調べ始めてから5年ほどになりますが、その間にも次々と貴重な文面國寶が何名も旅立たれました。ある方は取材を拒絶され、ある方は体調が悪く面会できない。しかし遠慮をしていては本当に貴重な文面國寶との面会の機会が本当に無くなってしまう、そんな焦りから「賽德克文面文史工作室」の田貴實さんにお願いし、現在花蓮にいらっしゃるタロコ族最後の文面のご老人に会わせていただくことが叶いました。
※現在の写真の掲載に関しては、ご家族のご承諾も頂いております。
Ipay Haron(イパイ・ハロン/陳 清香)さん。
1919年生まれの98歳。花蓮の大禮部落のお生まれです。
額に深く黒く刻まれた文面は、彼女が6歳の時に施されたものです。
母親のもとで機織の見習いを始めると、大体5歳ぐらいからまず額に施されたそうです。
もちろん想像を絶する痛みを伴うため、手足を縛られ、大人数名で泣き叫ぶ子供を押さえつけてなされたそうです。
そして12歳の頃、ご両親は頬にも施そうとしましたが、額の時の痛みを忘れられなかった彼女は山に逃げ込んだそうです。同時に日本警察が厳重に彼らの文面を禁止し始めている頃だったため、彼女は結局頬部に文を施すことはありませんでした。
(※以下3枚の写真は「永不消失的榮耀記憶/田貴實,劉仁祥撰文 文化部文化資産局出版」より。)
そして18歳の時にBiyan Litoq(ビヤン・リトク/陳 三元)さんと結婚。
当時のタロコ族の結婚は両親が相手を決めるものでした。
1944年には日本警察によりアミ族の伝統領域である吉安鄉福興村に遷移させられ、そこで20年間農耕をおこない、他の部族との付き合いを覚えることとなりました。
その後1965年に山廣(現在の景美部落)へ移転、また苦しい生活が続きました。
しかし特筆すべきは、彼らの娘である陳貴珠さんで、彼女は母親を看るために結婚もせず献身的な世話をしました。
現在に至るまでずっと世話をなさっていますが、つい最近この娘さんが病気で倒れてしまい、私が訪れた時は花蓮縣秀林郷民享のご親戚のもとに預かられていました。
Ipayさんは寝たきりで、話すこともできません。
とても大声で話しかけないと耳も聞こえないようです。
しかし、私が日本語で話しかけた時は身体を大きく動かされ、何か言いたげな表情に見えました。そして、ずっと寝たり天井を見つめていた彼女は突然右手を私の方に伸ばして手を握って下さったのです。
言葉に出来ないこみ上げる思いがありました。
目下、台湾全土に文面國寶は他に3名、全て女性です。
2名
Lawa' Pihik/柯菊蘭さん(タイヤル族/苗栗縣泰安郷 天狗部落)
Iwan Kaynu/簡玉英さん(タイヤル族/苗栗縣泰安郷 大安部落) (2018年2月23日追記※簡玉英さんは2018年1月16日にご逝去)
Ipay Sayung/林智妹さん(セデック族/花蓮縣秀林郷陶塞部落 台北市在住)
以上全ての文面國寶に無事お会いすることが出来ますように。
最後になりましたが、この度快く面会及び撮影に応じて下さいましたご親類の方々、そして全てを取り計らって下さいました田貴實さんに心より御礼申し上げます。
在此表示感謝陳清香女士的家人們樂意接受我的採訪,並感謝為我安排所有的田貴實老師!