せめてこの記事を書いてから年を越そうと思っていましたが、結局持ち越してしまいました。
昨年サイシャット族のお友達と知り合い、その方のお陰で二年越しの思いが叶い、昨年11月に南サイシャットの「パスタアイ」(矮靈祭)に2日だけですが参加することが叶いました。
サイシャット族は目下6000人余りしかおらず、普段サイシャットの文化と触れ合う機会もそう無いと思われますので、とっても不思議で神懸った彼らの事を、この機会にご紹介出来たらと思います。
サイシャット(SaiSiat)族は大きく南と北に分けられ、このパスタアイも2会場で行われます。
私が参加させて頂いたのは南サイシャット、苗栗県南庄郷東河村にある向天湖(Raromoan)会場、この湖は以前はずっと大きな湖だったそうですが、日本人が半分以上を水田に変えて農地になってしまったとのこと。
この写真の角度から見ると、2頭のイノシシかキスをしているように見えると言われているそうです。
祭典が始まる前の会場にお邪魔しました。
この祭「パスタアイ」について先に説明します。
サイシャット語で「Pasta'ay」、“ta'ay”とはその昔居たと言われる黒くて非常に背の低い小人族のことで、この小人族(黑矮人)の言い伝えは他の殆どの部族にも存在します。
中国語では「矮靈祭」もしくは「矮人祭」と呼ばれます。
どうして「小人」を祀る祭を行うようになったのか?
サイシャットの伝説によるとその昔、川を挟んで向かい側に色の黒い小人族がいて、当初はとても仲が良く、サイシャットの人々に農耕などを伝授したそうです。お陰でサイシャット族は農耕を行えるようになり、小人たちに非常に感謝していました。
しかしある時から小人たちの傲慢な態度と、サイシャットの女性たちに対する「セクハラ行為」に我慢が出来なくなり、小人たちを一人残らず滅ぼしてしまおうと考えました。
そこでサイシャットの人々は、夕方になると小人たちが一本の木の上に登って眠る習性を思い出し、昼間のうちにその木を半分以上切って切り口を草などを被せて隠しておき、夜にその木を倒して小人ごと谷に落としてしまおうと画策。
何も知らない小人たちはサイシャットの人々の計画通り谷に落とされて、一人だけ生き残った小人の老人は「お前たちはきっと呪われる!」と言って逃げて行きました。
小人の老人の言った通り、その後は農作物が実らず、困ったサイシャットの人々はようやく自分たちの過ちに気付き、一年に一度小人たちを祀ることにしたそうです。
しかし現在は二年に一度、十年に一度が大祭。日本時代に毎年行うことが禁止されたんだそうです。
※小人の「セクハラ行為」に関してですが、実は誤解だったとの見方があります。
小人は小さいので、サイシャットの美女と挨拶する時友達の肩を叩く感覚で美女のお尻を毎度毎度触ってしまったんだとも言われています。
しかし今となってはもう誰も目撃者はおらず、このセクハラ事件の真相は闇の中です。
ここが祭に係わる人々のみ入れる「祭屋」。
内部の撮影も許可されていません。なので勝手に入ることは出来ませんのでご注意下さい。
パスタアイは三日三晩の祭典がメインになります。しかしその前後も多くの儀式が行われます。
ここ南会場(向天湖)がメイン会場で、北会場(新竹・五峰)がいわばサブ会場、勿論それぞれ自分達の土地の祭に参加する訳ですが、南が一日早く行われることになっており、初日は五峰からも一部の人々が来て参加します。
南と北とは方言が違い、歌も発音も微妙に違うんだそうです。南は客家人、北はタイヤル族と隣接しており、それぞれその影響を大きく受けているとか。
第一日目の未明に、祭を主催する男性たちのみで、会場の東に当たるこの場所に酒と肉を供え、ここに小人たちの霊を迎えます。
女性は参加出来ないそうです。近づいて触ることも相応しくはないので少し遠い写真になりますが、棒に刺して供えた肉は、綺麗にな無くなってしまいます。
「一体誰がこんなに綺麗に食べるの?神様か?霊か?それとも野獣?犬?」と訊きましたが、笑って「判らない」としか答えてもらえませんでした。
どうやら、サイシャットの祭のことは、知らなくていいことも多い気がしています。全く、様々な事が不思議なのです。
このパスタアイ(矮靈祭)の主催は、朱(=珠)姓(Titijun)によって行われます。パスタアイを行う取り決めをした際に、最も早く全てを覚えたのが朱姓の人だったからだそうです。
サイシャットの苗字は特別です。全て自然界の物から取られています。
先述の「朱」姓は元々は「珠」と書かれましたが、国民党政府により「朱」と変えられました。意味は「薏米珠」(ハトムギの実)のことです。
サイシャット語の分類では15の姓が存在し、漢字の姓になると少し増えてしまいます。
祭毎で主催する氏族は違って来ます。例えば「靜風祭」の主催は「風」(Babai Shawan)氏です。「風」氏は漢字の姓にすると「風,酆,東,張,錢,潘」の6姓となります。
そしてもう滅びてしまった姓、一家族しか残っていない氏姓もあります。
「芎」(Saina'ase)姓はこの一家を残すのみとなりました。九芎樹の林の中に住んでいた人の氏姓だと言われています。
このように、「風」姓は風の末裔、「日」姓は「射日英雄」の末裔と言われます。かつて2つあって人々を苦しめた太陽の一つを射て月になったという「射日英雄伝説」は、タイヤル族を初めとする多くの部族に残る伝説です、以後機会があれば触れたいと思います。
思いがけず氏姓のお話が長くなりましたが、本当はもっとお話ししたいぐらいです。これを初めにお話ししたのには意味があり、後半を更に楽しく読んで頂けると思います。
第一日目、家族毎で集まり賑やかに夕食。私がお邪魔したのは、パスタアイ主催氏族である「朱」姓のお宅、そのせいなのか、三日間調理人がやって来て、贅沢過ぎる宴席料理でした。
こちらが朱姓のお父様、朱阿良さん。
確か御年82歳とお伺いしました。サイシャット語と日本語しか出来ない為、全て日本語での会話となりました。お父様、有難うございます!
(朱阿良さんは残念ながら2015年9月に逝去なさいました。生前のご恩に感謝し心よりお悔み申し上げます。)
では、祭のレポートに入らせて頂きます。
何人もの人がこの大きなものを肩に担いでいます。
これは「舞帽」と呼ばれ、神様の休む場所だそうです。
このように氏姓が書かれており、この舞帽は「撒萬」(Shawan)と書かれています。そして下にある「根・潘・錢」が氏姓となります。
「根」(Kas'ames)姓と「潘,錢」(Babai Shawan)姓は氏姓は別ですが「聯族」となり、聯族同士の通婚は禁止されています。
人々はこのように、腕に厄除けのススキの葉を結んでもらいます。
「祭屋」の外にも中にもこのようにススキの葉が結んで挿されています。中にはカバンやカメラに結んでもらう人もいます。
祭の途中で、諸々の儀式を行う際も、このようにススキを手に持っています。
踊りは、最初は本当に少人数で始まります。サイシャットの人々はこのように皆それぞれの族服を身に纏い踊ります。
それぞれ製作者も異なるため、バラバラですが、用いられる紋様はほぼ5種類ぐらいです。
例えば、この「卍」柄はサイシャットの「雷女」を表すものです。
ナチスの鈎十字を思い起こされるかも知れませんが、サイシャットの紋様は周りが菱型です。
サイシャットの人は「ナチスの鈎十字は周りが丸だ、我々のは菱形、しかもうちの歴史の方が長い。向こうが真似したんだ!」と笑ってらっしゃいました。
この「卍」模様、実際の鈎の向きは右でも左でもいいそうです。
この紋様は小人伝説と共に、同じく雷神がサイシャットの人々を助けていたという伝説に基づいています。人々は段々怠惰になり、雷神に対する態度も横暴になり、雷神が食事を作ってくれと頼んだ際に何と暖炉の灰を出したことから雷神は堪忍袋の緒が切れ、天に帰ってしまい、誤ちに気付いたサイシャットの人々は自分たちの衣装の紋様の中に雷神を表す「卍」を用いるようになったとか。
その他、小龍神を表す紋様もあり、原住民なのに何故「龍」の概念があるのか不思議なところです。もしかして隣接する客家の影響を受けての物なのでしょうか、そこは今後調べてみたいと思っています。
このように、円陣の外を「臀鈴」を背負った人たちが、お尻の鈴を鳴らしながら回ります。
これは悪霊を駆逐するためのものです。この臀鈴は鳴らすのに少々コツが要ります。そしてステップも真ん中の円の人たちのものとは違います。
臀鈴は自分の家族のもので、デザインもそれぞれで行い、氏姓がはっきり書かれているものが多く、オリジナリティに溢れています。
殆どに鏡が付いており、魔除けの意味です。
一時間ごとに朱姓の主催者と長老が蛇鞭(Paputol)を持ち、会場の中央へ出て来ます。その時には先ほどご紹介した朱阿良さんが出ていらっしゃいます。
小さな子供を抱えた親が順番に会場の中央へ向かいます。そして朱姓の主催者が宙で蛇鞭(または神鞭という)を打ち、その音の響き方で運気の良し悪しを見るそうです。また鞭を打つ人の肩に子供の手を触れさせ、子供の健康を祈るそうです。
この儀式は南にのみ存在するようです。
3日間それぞれは祭の意味が異なり、この一日目は「迎靈」(Raraol)、天から神様と小人の霊を迎える日。
3日間の歌の意味合いは勿論異なっており、時間表によって歌も変わっていきます。
このように、夜6時に始まった歌は、朝6時頃まで続きます。
二日目は「娯靈」(Kisitomal)。
小人たちと楽しく過ごした昔に戻るように、霊たちとの楽しい時間を過ごすと言う意味があります。
「二日目は霧が出るのよ。」
友達の朱さんはこの日の朝私にそう言いました。
不思議です。本当に午後に霧が出て来ました。他にも、この二日目以降は私も色々不思議な事を目の当たりにすることになりました。
会場はこのように、一面の霧に覆われて行きました。
二日目は楽しく歌い踊る日なので、私も結構長時間踊っていました。
しかし余りの大人数で円が攣れて攣れて大変、手がちぎれるかと思うほど引っ張られます。
しかし歌いながら必死に踊り、歌もその時はよく覚えていました。
踊ったり、休んだり。しかし後半は座って朱さんと話していました。
その時、朱さんが「…あ!今何時?」と。
『2時45分ですよ。』
「やっぱり。今、歌が三日目に変わった。大体午前3時、三日目の「送靈」(Kisipapaosa)が始まった、楽しかった「娯靈」は今ここで終わり、神様と小人の霊に天に帰ってもらう悲しい日が始まったから、歌が悲しくなったでしょ?」
…その時、明らかにとても冷たい空気がスーッと流れて来て、私の背筋はゾッとしました。
『今冷たい風が来たね!』という私に朱さんは
「東から吹いたでしょ?靈の方角から。」
これまでも、パスタアイの不思議なお話は沢山伺っていました。なので、自分の身に何か起こるかなと半分怖い厳かな思いで会場に向かったのです。
冒頭でサイシャットが神懸っていると申し上げましたが、他にも不思議なことは沢山あります。
丁度この後、舞帽を担いでいた人が祭屋に身柄を確保されていました。違反を犯したというのです。どうやら別の氏姓の人が担いだようで、神様に倒されてしまったようでした。
私はこの二日目までしか参加出来ませんでしたが、本当に不思議な二日目を体験しました。
そしてこの舞帽は、2016年に当たる大祭の年にはもっと出てくると聞きました。
段々と空が白んで来ました。
相変わらず霧の中で人々は踊り続けます。
臀鈴の音もなお一層大きく響き渡ります。
伝統的な竹製の物と、金属製の物があります。
最後に、「面白いから、これは入りなさい!」と朱さん。
みんながぐるぐるソーセージのように円を詰めて行きます。
「カバンはファスナーを締めなさい、ポケットの物も飛び出すわよ!」
そして周りの人々は「あ~怖い!」と言い始め、何が始まるのか恐る恐る待っていると、手を繋いだまま全員が一斉に縦にジャンプをせよとの号令が。
何の準備もしていなかった私は死にそうになりながら飛び跳ね続け、どうにかこけずに済みましたが、ああ凄まじく疲れた!
ジャンプが終わると今度は円のまま走る激しい踊りになり、そしてすっかり明るい朝を迎えました。
三日目の晩から朝にかけてはもっと色々な儀式が見られるとのことで、後ろ髪を引かれる思いでしたが、また皆で楽しく朝ごはんを食べて、そしてこの向天湖(Raromoan)部落を後にしました。
歌は、祭が終わったらみんな「忘れる」と聞いていました。
そんな馬鹿な。あんなに歌った歌を?きっと思い出して口ずさむと思っていました。
帰国しても覚えていました。パスタアイが終わる日までは。
その次の日から、私の頭からパスタアイの歌は完全に消えてしまいました。10月のパイワン族の五年祭の祭の歌ははっきり思い出すのに。
期待していた自分にとって、それ以上の衝撃の詰まった祭でした。
しかし禁忌も多い祭です。どうか軽い気持ちや好奇心のみで訪れることの無い様にお勧め致します。この「パスタアイ」という祭の意味とサイシャットの人々の思いを理解した上でご参加下さい。
二年に一度、大体旧暦の10月15日辺りに行われるそうです。
2016年は10年に一度の大祭です、今度こそ、3日とも訪れられることを祈っています。
そして、最後になりましたが、この度私がパスタアイに参加するにあたり、民族衣装一式、そして宿と食事を提供して下さり、祭について、サイシャット族について終始詳しくご説明下さいました美しいサイシャットのお友達、珠(朱)艾妮(サイシャット族名:hewena kalih titiyon Say rareme:an)さんに心より感謝申し上げます。
在此表示感謝珠艾妮美女給我提供一切需要的,因爲有您我有了深度認識賽夏族,期待2016年在向天湖相聚!
●交通機関
台鐵「竹南」駅より台湾好行バスで「南庄」へ、そこから「向天湖」線に乗り換え。
パスタアイ期間中は南庄よりリムジンバスあり、しかし運行時間は不明。
※夜通し行われる祭です。交通手段はご自身で確保なさって下さい。
期間中は交通規制あり。