皇太子ご成婚パレード | 格闘する21世紀のアポリア

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 秘策で笑顔を生中継

1959年4月10日。
東京・青山通りの沿道は歓声を上げる人々で埋め尽くされた。
日本中が沸いた皇太子さま(現天皇陛下)と美智子さまの「ご成婚パレード」。
その現場は、まだ歴史の浅いテレビ各局が最新技術と知恵を結集した、生中継合戦の場でもあった。

日本テレビのディレクターとして数多くの番組を制作した渡辺みどりは「とにかく美智子さまの表情をアップで撮影することが目標。私たちは秘策を練っていました」と振り返る。
当時はまだ入社2年目だったという。

皇居からの全長約8.8㌔のコース。
日テレの中継責任者は、のちにドキュメンタリー作家として活躍した牛山純一だった。
局内や系列局でかき集めた40台近いカメラを沿道に設置。
一部区間では300㍍以上のレールを敷き、皇太子夫妻の表情の撮影に集中したという。

「新聞が一番偉くて、テレビがその背中を追った時代。新聞に勝るには、はつらつとした「皇室の表情」をアップで届けることが大事と考えた」のか。

渡辺ら中継班は青山学院大で、夫妻が乗る馬車をじっと待っていた。
道路の向こう側にはラジオ東京(現TBS)の中継班も構えている。
美智子さまはどちらに振り向いてくださるのか―。

馬車が近づくと、渡辺の合図で「ハレルヤ」の歌声が道に響いた。
美智子さまが気づいて振り向く。
学生のグリークラブの合唱で関心を引く秘策は成功。
日テレは約45秒間、美智子さまの笑顔を撮影することができた。

53年の放送開始時わずか800台余りだったテレビ。
徐々に普及し始めていたが、パレード中継が起爆剤に。
NHKの受信契約は200万件を突破した。
「何か起きたらテレビをつけるという家庭の習慣は、ここから始まったのではないだろうか」

終戦から14年。
復興は進みつつあったが、日本人の心には深い傷痕が残っていた。
「疎開や敗戦を経験されて、焼け野原も知るお二人。人々はそんな背景にも思いをめぐらせ、熱い祝福を送っていたのかもしれない」