ADIDAS COUNTRY (WHITE/GREEN) -SOLE No.19 | メンズファッション大革命

アディダス カントリー (白/緑)

かつて、ジェームス・ディーンも愛用した、その勇姿。


やはりカントリーと言えば、このカラーリングである。


巻き上がったソールは、もともとクロスカントリー用としてデザインされたため。
当時は画期的なディティールだった。


こうしたド定番こそ、キレイに履かねば、本当にチープになってしまうと思う
(まぁ、味の出たカントリーも、それはそれでオツではあるが)。


三種の神器、その3

アディダス・ランニングのクラシックと言えば、
コレしかない。

スーパースター はバスケット、スタンスミス はテニス、
カントリーはランニングと、このアディダスの主軸となる
三アイテムは、非常にバランスがいい。

この黄金のトライアングルが、アディダスの
ブランドステイタスと共に、経済的な側面からも、
脇からガッチリと固めているのは、間違いのないところだと思う。

ところで話は変わるが、こういったクラシックの
アディダスシューズというと、良く出てくるテーマがある。

メイド・イン・フランス、メイド・イン・ウェストジャーマニー
(旧西ドイツ)、メイド・イン・パキスタンetc…生産国と、
それによるシルエット(ラスト)の変化についてだ。

太古からのスニーカーマニアは、とくにココにこだわる。
その執着振りは、ある種、狂気と言ってもいいだろう。

たしかにフランス製(コレが最も価値が高い)のビンテージシューズは、
現行のものに比べて、明らかにラスト(木型)が細く、
結果として、とてもスマートに見える。

ベロに刻まれる生産国表示はもちろん国ごとに違うし、
プリントのしかたまで違ったりするので、コレクションをする分には、
この上ない魅力を持つのが、オールドアディダスだ。

ただ僕自身は、そうした知識としては持っているけど、
実際に自分が買う、もしくは履くときには、
そういったウンチクは一切考えないことにしている。

(むしろオリジナルのスタンスミス やカントリーなんて、
恐れ多くてとても履けたものではない。)

あくまでファッションとして履くなら、
現行で復刻されているモデルを、
常にキレイに保って履きこなしたいところだ。




ダスラー兄弟秘話・上

さて、スーパースタースタンスミス そしてこのカントリーと、
アディダスの三種の神器もすべて出揃ったことなので、
以前お約束したアディダスとプーマの知られざる誕生秘話
についてお話したいと思う。

J.B.シュトラッサー、ローリー・ベックランド著「SWOOSH(スウッシュ)」
という、ナイキの歴史について書かれたモノスゴい厚さの書物から、
部分的に抜粋させていただく。

アドルフ(アディ)とルドルフ(ルディー)のダスラー兄弟が
生まれ育ったドイツのヘルツォーゲンアウラッハという町は、
もともと繊維工業で成り立っていたが、
やがてアメリカやヨーロッパの他の町と同様に、
靴製造業へとシフトしていく。

靴工場で働いていたクリストルフ・ダスラーを父に持つアディは、
初めにパン職人の技術を身につけたが、
第一次大戦の影響で、自然と家業に携わるようになる。

アディの作ったシューズは好評を呼び、1932年の
ロサンゼルス・オリンピックでは、ダスラーシューズを
着用した選手が金メダルを獲得。

会社の成長に伴い、シューズの製造技術やデザインを
学ぶ必要を感じたアディは、その種の学校に
通うことになるが、彼はそこで未来の妻、ケーテと出会う。

やがてアディは商品開発、ケーテとルディーは
営業と財務という、強力な三頭体制ができ上がり、
会社はますます発展していくことになる。

しかしヒトラーが戦争を始めると、ダスラー工場は
ナチス国防軍用の軍靴製造を委託された。
伝えられるところによると、兄弟は二人とも
ナチス党員だったようである。

だが戦争に行ったのはルディーだけで、アディは
戦争中も工場経営を続けた。
ルディーは数年間の兵役の後郷里に戻り、二年足らずの間、
またアディたちと一緒に仕事をしたという。

-続-


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