差し迫った「福男福女競走」の練習のために信夫山へ
坂を登る途中、母くらいの年齢の自転車を押す女性。
ただ坂を走り登るくらいなら人の役に立ちたく
「自転車押しましょうか?」と声を掛けた。
そりゃ、暗い山で突然に〝独身はぁはぁ男子〟に声を掛けられたら不気味でならないと思い
「盗って逃げたりしないので!」と言い添えてみたが俄然怪しみ増すばかり。。
「大丈夫よ、自分のためだから!ありがとうね」と御夫人
あんまりしつこくするのも悪いので
「そうですか、じゃあ起きを付けて!」と
また走り出した。
どうせ登るし、ついでで人の役に立てれば。
あくまで自分のやりたい活動の中でのついでボランティア的なこと。
最初から誰かの為に時間と労力を割いて活動できる人間になれるのかなぁと考えながら、
ふと十数年前の出来事を思い出した。
食事中の方はご注意ください。。
当時東京に住んでいた僕は、休日を前に栃木の彼女のところに向かう
湘南新宿ラインに乗っていた。
座席に座りウトウトしていると、突然向かいのおばあさんが嘔吐した。
体調を崩していたのか、電車に酔ったのか
感染のリスクがあるので吐瀉物に近づくのは当然避けたいことだし、
まぁ他人のゲロ散らかったらそりゃあその場を離れる。
その場でも、当然そのおばあさんの周りにいた乗客が一気にその場を離れた。
向かいにいた僕は、取り残されたおばあさんの恥ずかしさとか悔しさとか色々思うと
あんまり孤独な気持ちにさせては気の毒と思い、カバンに入っていたハンドタオルを渡そうと考えた。
使う使わないは別として、そのタオルを渡すことで全員が敵じゃないよという気持ちが伝われば、その後の乗車時間も少しは気が楽になるだろうと。
もちろん、返してもらわなくていい、あげるつもりでタオルを渡した。
ただこの時に、未熟過ぎる自分の頭によぎったこと。
(このタオルを受け取ったら、タオル代程度のお礼返ってくるだろうな。)
と。
ここまで順調にいい人ぶってた自分の悪魔のような部分。
【亜仁丸の亜は下心があると悪になる。】
まさしくこのこと。
僕の頭をかすめたことは現実となり
そのおばあさんが席を離れる際、使わなかったタオルと千円札を僕に渡した。
このエピソードを短大時代の年上同級生の親友に話したところ
「やらない善より、やる偽善だね。」と
行動力の割に、精神性が未熟な自分にぴったりの言葉だった。
ただ、この言葉をもらってから
「あわよくば」「人によく思われたい」といったちょっとした下心があったとしても
「やらない善より、やる偽善。」と思い人に手を貸すことは増えた。
まぁ、
「あなたに手を貸したので僕にお小遣いをください」と声に出すわけではないので
自分が勝手に期待して裏切られる分には(まぁそうだよね。)くらいで片付けられた。(このあからさまに期待値満点の表情がだだ漏れしてたらどんなに不快なことか。。)
こうして「手伝った方がいいかな?」と思う場面で人に声をかける事には
あまり躊躇しなくなった、ほぼ反射で声が出る時もある。
その結果、なにかを期待する余計な思考をする時間すら無くなった。
そして、ただ人の役に立てた!ってだけで自分がこの世にいて良かった!←極端
というプライスレスな感情を知った。
人の役に立てることは気分が良い。
気分が良いから困った人に手を貸せる。
そう、まだまだ未熟。笑
でも昔よりはまだ少し大人になったんじゃないかと思いながら信夫山を降りた。
いつか、もっとシンプルに人の役に立つことに尽力できる
あのスーパーボランティアの方のような人間に辿り着けるのか考えながら
自分の為にランニングをする「見た目は大人、頭脳は子供!」の
アニマルの頭の中の話でした。