政治家の失言、許せる?

大臣が失言で辞任することが最近増えていますが、そのきっかけとなったのは、平成19年1月に当時の柳沢厚生労働大臣が「産む機械の数は決まっている」と発言し、2月に責任をとって辞任したことだと思います。
そもそも、この「産む機械」の「失言」と「辞任」騒動には、いろいろと誤解や曲解がありました。
まず、「女性は産む機械」という発言をした、と報道されたことです。
しかし、柳沢氏は、「女性は産む機械」という発言はしていません。
「女性は」は報道機関が付け加えたものです。
「(女性は)産む機械」とかっこ書きをしているものもありましたが、これはまさに趣旨を曲解させるものでした。
すなわち、女性蔑視のニュアンスを付け加えたのです。
柳沢氏は、少子化対策について、15歳から50歳までの女性の数は増やしようがないため、女性1人あたりの出産数を増やすしか、出産総数を増やすことはできない、ということを、機械の数は決まっている、それで総生産を増やそうとするなら、1台あたりの生産数を増やすしかない、ということを例にして述べたものであり、女性蔑視のニュアンスはなかったと思われます。
「機械って言ってごめんなさい」という言葉をはさんでおり、よい表現ではなかったと自覚していたようですが、地方議会議員や支援する経営者が参加する内輪の会合であり、TPOを考えて、相手にわかりやすい表現をとったものだと思われます。
そうはいってもそれを聞いた女性は傷ついた、と思う方もいるかもしれませんが、それは本当に、柳沢氏の責任なのでしょうか。限定された場所で話したことを、わざわざ外に伝える人がいたから、聞いた人が傷ついたわけで、それは伝えたマスコミの責任ではないでしょうか。それも、女性蔑視のニュアンスを付け加えて、わざと傷つくように、伝えたのです。
したがって、柳沢氏の「産む機械」発言は、そもそも失言には値しないと思っていたのですが、仮に失言であったとしても、やめるべきではなかったと思います。
それは、閣僚の評価は、こうした国会や政府の外での発言によってなされるべきではなく、どのような仕事をしたのか、あるいは、しなかったのか、ということで評価をされるべきだと思うからです。
よく「資質に問題がある」といったことが言われますが、よい仕事をできるのがよい資質であるはずです。
そして、いったん失言で責任をとることがおきれば、次からは、政敵も、マスコミも、失言を狙い、失言をとりあげることに注力するようになり、本来行われるべき政策についての議論や報道がなされなくなり、他方で、失言辞任が相次ぐことにより、政治や行政が停滞してしまうからです。
そして、実際にそのような事態になった、というのが、柳沢氏の「産む機械」発言の後で起こったことであり、そして、現在もそれが続いているのではないでしょうか。
「失言では辞めない、辞めさせない」と勇気をもって言うことが、正常化への道ではないか、と思うのです。
もちろん、政策判断を誤った、あるいは、仕事をしていないということがあれば、それは批判し、場合によっては辞任を求めるということもあってよいことです。大臣に対しては、国会や政府の外での失言ではなく、国会や政府での仕事に対して批判がなされるべきではないでしょうか。