WBCの内幕 コータ著 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

WBCの内幕 コータ著



にわかナショナリスト

わたくし、日本という国家に対する愛着は稀薄ですが(-_-;)、WBCの第1回大会の時はさすがにちょっとだけナショナリストになりました。本当は韓国の方が強いのではないか、と薄々感じつつも、王ジャパンを応援せずにはいられなかった。そんな風に観戦なさった方、結構いらっしゃるのではないでしょうか。「ナショナリスト、ひとつお願いします。」「はい、よろこんで!」てなもんです。

でもその実、韓国の高度な技術レベルと精神力、キューバの信じ難い粘り強さをも堪能した第1回大会でした。カジュアルなナショナリストの下には野球のインターナショナリストが確実に芽生えつつありました。それにそもそも王監督は日本生まれで台湾籍の中国人。境遇そのものにも、後に「世界の王」と冠される萌芽のひとつがあったようにも思えます。

そんな「にわかナショナリスト」に多くの人々がジャガー・チェンジするのであろうWBCの第2回大会がいよいよ始まります。そこでより一層WBCを楽しむために、とてもタイムリーな本『WBCの内幕』のご紹介です。


ジョン・コルトレーン John Coltrane-コータ著『WBCの内幕』
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どんな本?

近年新たな国際化に向けて大きく動き出したプロフェッショナル・スポーツ・ビジネスとしての野球について、読売の人間として第1回大会開催に直接関わったコータ姐さん が、WBCの誕生を中心にその背景と成り立をとても明快に語った本です。


コータ姐さんて、どんな人?

もともとはニューヨークの電通Y&R(*)でアート・ディレクターを務めていましたが、その後野球界に転身し、伊良部や野茂といった日本人メジャー・リーガーの通訳やエージェントとして、約20年にわたり、WBCに結実する野球の国際化に尽力しました(**)。

(*)電通ヤング・アンド・ルビカム株式会社。アメリカの広告代理店ヤング・アンド・ルビカムと日本の電通が1981年に合弁事業として設立。

(**)WAVE出版のサイト にはコータ姐さんの略歴もあり。


ブログ「コータ姐の涙と笑いのトランスジェンダー道」

でもそれは、どちらかというと、コータ姐さんというよりは「石島浩太氏」のプロフィールですかね。コータ姐さんについてはブログ「コータ姐の涙と笑いのトランスジェンダー道」 を参照してください。ディープでハードな魂と肉体の軌跡、その一端に触れることができます。わたくしは毎回欠かさずチェックしています。


エピソード満載!

ビジネスとしてのWBC、ひいては人気回復及び国際化が急務とされるプロフェッショナル・スポーツ・ビジネスとしての野球の輪郭を描くというのが大まかな骨子だと思いますが、野球好きにとってたまらないのは、コータ姐さんがビジネス及びグラウンドという「現場」に実際に身を置き、球団上層部の人間や有名選手たちと交渉・交流することから生まれた数々のエピソードによって楽しく肉付けされているところで、それがこの本の大きな魅力になっています。

古くはハイディ古賀、比較的近年では伊良部や野茂、団野村といった「日本野球界を開国した人々」の感銘深く、また時にユーモラスな側面もうかがわせる無茶苦茶面白い話がたくさん盛り込まれており、本当に久しぶりで時間を忘れるほどの読書にふけることができました。

きっとコータ姐さんはまだまだたくさんの材料をお持ちなのに違いないと拝察いたします。次なるご執筆が期待されます。

本書でもWBC第1回大会の要所が回顧されていますが、この読書をきっかけに、西岡のタッチ・アップ、福留のホームラン、松坂と上原の力投、そしてイチローのたのもしいリーダー・シップが、昨日のことのように鮮明に甦ってまいりました。今回はどんなドラマが生まれるのでしょうか。WBC、とても楽しみです。


コータ姐さんはヘルメスであり、巫女である!?

最後に、球界で培われながらもその領域を大きく超え出る、わたくしが勝手に思い描いているコータ姐さんのある側面をお話して、このごくごく簡単なご紹介を終わりにしたいと思います。

ある側面とは、異なる領域間を往還し、橋渡しをする能力のことです。

通訳として、日本語と英語という異なる文化の間、選手と監督やコーチの間。

エージェントとしてまたプロフェッショナル・スポーツ・ビジネスパーソンとして、選手と球団の間、野球人の夢とスポーツ・ビジネスの間。

WBC第1回大会の終わりと共に決着された男性から女性へのトランスフォーム。

そしてまた、コータ姐さんには常人には感知不可能な現象を捉える能力があります。いわば神々(神的なもの)と人間の間をとりもつ巫女としての側面。

さらに、これはシャーマンの世俗的な一形態でもあると思いますが、形のないものを具体化し、誰もが聴くことのできる音楽として提示するという、ミュージシャンとしての側面。


コータ姐さんのこれらの能力、役どころを取り出して並べてみますと、わたくしにはギリシア神話におけるヘルメスという神格が即座に思い浮かびます。神々の伝令であり、交通の神旅人の守り神商業の神、そして音楽の神でもあるヘルメスです。

ローマ神話においてヘルメスメルクリウスと呼ばれますが、唐突にだが華麗にジャガー・チェンジ(笑)するその性質から、錬金術では金属でありかつ液体でもある水銀に関連づけられてもいます。「震えながらギリギリのところまで表面張力で耐えていたかと思うと一気にあざやかな軌跡をえがいて走り去る水銀。」(*)なんだかコータ姐さんにぴったりだと思いませんか。

(*)浅田彰「リトゥルネッロ 《ソン・メタリック》の消息」、『PF』p.13(1983年7月、法政大学GAKKAN出版広報センター発行)。


非対称的な性の間の横断は、ヘルメスとアフロディーテーとの間の子とされる、身一つに男女両性を担ったヘルマフロディトスに対応します。

ヘルメスメルクリウスヘルマフロディトス、そして或いは巫女シャーマン聖霊というわけです。


異なる領域間の媒介は、必ずしも円満なことばかりではありません。『WBCの内幕』でもいくつか紹介されていますが、時にその差異によって引き裂かれずにはおかれないことももちろんあるのでしょう。しかし明確な帰属を有さぬ人々、帰属しつつもズレてしまう人々、だがそれゆえに強い個性を持つ人々、コータ姐さんの存在は、そんな人々にとっての励み・救い・慰めとなるのではないでしょうか。また、母国を離れ、異境の地で野球をやっていた選手たちは、そんなコータ姐さんの存在に救われてもいたのではないでしょうか。

思えば、あとがきで引用された王貞治の言葉は、王自身や張本、野茂やイチローといった規格外のスタイルを持ったマイナーな個性こそが野球を面白くしているというものでした。代替の効かぬマイナーな固有性がメジャーでの活躍を可能にしているのかも知れません、と、ここでは無理矢理こじつけておきましょう。

今後、球界の外に出たコータ姐さんのご活躍には、きっとこのヘルメス的な固有性が存分に生かされるに違いありません。って、決めつけちゃまずいですけど。


コータ姐さん、遅ればせながら、『WBCの内幕』の出版、おめでとうございます。m(_ _)m




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