伯父の死―喘息と心臓の病 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

伯父の死―喘息と心臓の病


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喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈53〉
コルトレーン、ヘロインを断つ その85


コルトレーンの少年時代に相継いだ近親者の死。それは丁度その時期に始められた音楽、及び楽器の習得・練習にどのような影響を及ぼす可能性があり得たのか、について考えています。

今回以降は亡くなった4人の最後の一人、伯父ゴラー・ライアリーの死をまず取り上げ、一連の多重喪失をざっと振り返りつつ、この「死別」のパートに一応のけりをつけることになる予定。


「相継ぐ近親者の死」 で一連の経過を記した〈死の年譜〉を参照するとわかりやすいです。


※登場人物

・母方の祖父、ウィリアム・ウィルソン・ブレア牧師(メソジスト)。大葉性肺炎で1938年12月死去。79歳。
・母方の祖母、アリス・ヴァージニア・ブレア。専業主婦。リュウマチ。乳癌で1939年4月26日死去。79歳。

・父、ジョン・ロバート・コルトレーン。服の仕立兼クリーニング(外注)。音楽が趣味。ウクレレ、ヴァイオリン、クラリネット。(マスオさん1)胃癌で1939年1月死去。37歳。
・母、アリス・ガートルード・コルトレーン。ブレア家の五女。専業主婦だったが、やがて家政婦として働きに出ることになる。42歳。
・息子、ジョン・ウィリアム・コルトレーン。このブログの主人公。この頃に音楽を始める。初めはアルト・ホルン(チャーリー・パーカーもこの楽器から始めたんだそうです)、後クラリネットに変更。アルト・サックスを始めるのはもう少し後のこと。14歳。

・伯父、ゴラー・ライアリー。白人家族の料理人兼執事。喘息持。男手が二人喪われ、にわかにマスオさん2から家長となるも、1940年10月、心臓発作で死去。53歳。
・伯母、ベティ・ライアリー。母アリスの姉。ブレア家の三女。専業主婦。52歳。
・従妹、メアリー・ライアリー。『ジャイアント・ステップス』の「カズン・メアリー」はこの人にちなんだ曲。13歳。

(残った家族の年齢は、伯父ゴラー・ライアリーが死んだ時のもの。)


1939年4月の乳癌による祖母の死後、コルトレーンは小学校を卒業し、その年の秋にはハイ・スクールに入学。ほぼ同じ頃にコミュニティ・バンドが結成され、コルトレーンはいよいよ音楽を始めた。

翌1940年、コルトレーンが第2学年に進級した秋、コミュニティ・バンドの成功を受けて新たにハイ・スクールでスクール・バンドが結成され、コルトレーンはその創設メンバーとなる。

監督を務めたのはグレース・W・ヨクレイという若い女性。渡欧経験もあり、著名な黒人作曲家ナサニエル・デット(1882-1943)の教えを受けたこともある音楽の先生だった。結成当初、バンドの装備は不十分なものだったが、校長サミュエル・バーフォードやPTA の尽力でバンドの規模は次第に充実していった。

そんな環境下でコルトレーンの音楽への取り組みは着々と本格的なものへとなりつつあった。しかしその矢先、9月23日の誕生日を迎え14歳になって間もない翌10月、祖父と父の死後一家の大黒柱となっていた伯父ゴラー・ライアリーが心臓発作のために亡くなってしまう。

死亡診断書には、死因も死亡の日付も省略されているらしい。埋葬が10月29日ということだけがわかっている(*)。

(*)Porter, p.18

祖父ブレア牧師、父ジョン・ロバート、祖母アリス・ヴァージニアと同様、葬儀はフーバー葬儀社によって執り行われ、ブレア一族の地所に埋葬された。ゴラー伯父さん、両親の名前も不明で、結局、ブレア家の同じ家族の一員として葬られた、ということですね。

コルトレーンの父や祖母の場合が死亡から埋葬まで3,4日。それを参考にすると、伯父さんの埋葬日10月29日から逆算して、死亡は10月25日か26日あたり、ということでしょうか。


多重喪失の偶然と必然

かくして木造2階建ての持ち家に暮らしていた3家族計8人のうち、約2年足らずの間に4人が亡くなり半減してしまった。これまで見てきた通り、一見偶然のようでいて、一つの死がもう一つの死に影響し、死別を短期間に集中させたという側面がうかがわれなくもない。

だがしかし、亡くなった4人は老齢であったり、重篤な病を抱えていたりしてひとたび誰か一人が斃れると死が連鎖するのは不可避的な状況ではあった。誰が最初に死ぬかによってそれぞれの死の間隔は幾分異なるものになっただろうが、遅かれ早かれこの4人に死が訪れるのは時間の問題だったとは言えると思う。

この多重喪失は単なる偶然とも言えないし、かといって必然だとしてもなにか因縁めいた特別な意味があったわけでもない、と至って健全な解釈をコルトレーン・ファンは一応下しておきます。

では伯父ゴラー・ライアリーが他の3人同様抱えていた爆弾とはなにか、について確認してみましょう。

娘メアリーの説明によると、ゴラー・ライアリーは慢性喘息を患っており、その合併症で心臓が肥大、発作が起こるに至った、とのこと。え? 喘息で心臓の病気? 初耳。

慢性喘息が治療されずに放置されると(当時は慢性喘息を治療・抑制する方法がなかった)右心肥大の原因となり、うっ血性心不全を招くことがある、とコルトレーンのバイオグラファー、ルイス・ポーターはメアリーの証言に注釈を付けている(*)。

(*)Porter, p.18

だがなぜ気管支喘息が右心肥大を引き起こすのか、そしてどのようにうっ血性心不全が心臓発作に至るのか? と気にするのはわたくしだけかもしれませんが、ポーターの説明で納得された方は飛ばしていただいて、少しだけ自分自身の勉強のために、またコルトレーンの生涯において祖母同様ほとんど言及されることのない伯父ゴラー・ライアリーへの弔いの意も込めて、論旨からすると多分に余計なことではありますが、説明させていただきます。


気管支喘息から肺高血圧へ

まず、喘息の発作が起こると呼吸が制限され、当然肺での二酸化炭素と酸素の交換が妨げられる(呼吸不全)。すると心臓は肺に血液をより多く送り出そうと反応し、その結果、肺動脈内の血圧が高くなる。

また、長期にわたって喘息発作が反復されると、発作のない時にも咳や痰が続き、息切れが取れないという肺気腫や慢性気管支炎といった合併症を引き起こし、肺の血管が収縮するため抵抗が増してやはり肺の血圧が高くなる。これを肺高血圧という。


肺高血圧から右心肥大・肺性心(=右心不全・うっ血性心不全)へ

肺高血圧になると、血圧の高い状態へ向けて血液を送り込むにはより強い力が必要になるため、肺へ血液を送り込む右心室に負担がかかる。抵抗が増した分だけ心臓は収縮力を高め、血液を送り出すためにフル回転し、その状態が続くと、心臓の筋肉繊維が増強されて太くなり、心臓の壁が厚くなってくる。これが右心肥大。

肺高血圧に対して右心室が肥大によって対応している間はまだよいのだが、肺の血管抵抗が高まり続けると、右心室は負担に耐え切れなくなり、やがては筋肉が疲労して弛緩し、血液を送り出す力が弱くなってしまう(心拡張)。このような慢性的な右心室の機能不全・右心不全を慢性肺性心という。症状は胸痛、呼吸困難、多量の痰を伴った咳、血痰、チアノーゼ、息切れ。失神、めまい、嗜眠症等の脳障害。

さらに、右心不全で血液が肺へ送られないと、血液は右心室や静脈に滞留し、末梢の浮腫(特に下肢、下腿浮腫)、頚動脈の怒張、肝腫大、腹水等、うっ血症状が現れるので、うっ血性心不全とも呼ばれる。

簡単にまとめると、

慢性の気管支喘息→呼吸不全→(肺水腫・慢性気管支炎)肺高血圧→右心肥大・心拡張=肺性心(右心不全)=うっ血性心不全。

全然簡単じゃないですね。(>_<) かなり複雑。まあ、喘息発作の負担が心臓に及んで病を起こす、という理解でいいと思います。

ちなみに喘息(或いは肺疾患)由来の心臓疾患とは全く逆に、左心室の機能不全から、慢性の気管支喘息と同様の症状が結果する心臓喘息という疾患もある。心肺機能は密接に結びついているということでしょうか。なんだか非常に興味深いです。例によってコルトレーンとは全く関係ないんですけど。

以上のように、慢性の気管支喘息が長期間放置されると心臓疾患を招くことがある。ルイス・ポーターが指摘する通り、ゴラー伯父さんの時代には喘息発作の予防・抑制薬がなかった。なかには既に気管支喘息に対する薬効が認められていたものもないではなかったが、テオフィリンにしろ、β刺激薬にしろ、実際に治療に用いられるようになったのは戦後も1950年代に入ってから。今日喘息の長期管理薬の第一選択薬とされている吸入ステロイドに至っては治療現場に導入されたのはここ2,30年のこと。放置といっても伯父さんの場合は無養生していたわけでは全然なくて、他に仕様がなかったわけです。


喘息持ちのゴラー伯父さんがなぜ心臓疾患を患ったのかは理解できたが、うっ血性心不全がどのような機序で心臓発作を起こすのか、については残念ながら全く情報を得られなかった。左心室の冠動脈が閉塞し、心臓への血液供給が途絶えて心筋梗塞の心臓発作が起こる、というのはかなり一般的で解説もよく目にするのでわかりやすいのだが、右心室の障害で発作が起こるというケースについて言及している文献が、見あたらないです。

死因が「心臓発作」となると、突然死を考えなければならない。死に対して心の準備ができているかどうかは喪の作業の成否に大きく関わってくるので、ちょっと気になるところなのですが。


参考文献

浦田誓夫『気管支ぜん息』梧桐書院、2001年刊。
中村治雄 監修『心臓病』主婦の友社、2004年刊。
肺高血圧と肺性心
心不全 メルクマニュアル
肺高血圧症 メルクマニュアル
慢性肺性心 gooヘルスケア
鬱血性心不全 congestive heart failure, CHF


突然死?

しかしあれこれ穿鑿するよすがが今のところはないので、メアリーが証言している心臓発作という事実だけをここでは取り敢えず受け入れて話を進めよう。「心臓発作」は一般的な用語で決して医学用語ではないのだが、それが死因とされるならば、実際の原因はなんであれ、ゴラー伯父さんの死は突然死であったと見なさなければならないだろう。

心の準備がなされていない突然の死は、死別者の喪の作業に深刻な停滞をもたらすことが多い(*)。その点においては、伯父ゴラー・ライアリーの死はこれまで確認してきた死別のなかで最もショックが大きいものだったに違いない。

(*)「ジョン・ボウルビィによる悲哀の4段階」


だがしかし、今回の故人は長年重篤な喘息を患っており、常に窒息死の危険と隣り合わせの生活を送っていた(と思われる)。妻のベティや娘のメアリーはゴラーが例えば夜間に喘息の発作に襲われる様に幾度も接していたに違いない。また発作を起こすまでに肺性心が進行していたからにはその症状も出ていただろう。

[娘のメアリーが慢性喘息と心肥大・心臓発作の因果関係をちゃんと把握していたのも気になるところ。死因の癌が子供たちに知らされなかった父ジョン・ロバートや祖母アリス・ヴァージニアの場合とは大分違う。もちろんメアリーがどの時点で父親の死因を知らされたかは不明だが、ゴラー・ライアリーの死因は子供たちに隠されなかった、或いは隠しようがなかったのではないか。

例えば右心不全の症状が出てゴラー・ライアリーが医者にかかっていたとすれば、喘息と心不全の因果関係はその死後に明らかになったのではなくて、生前から既に知られていたと考えることもできる(まあ、想像にしか過ぎませんが)。ただし心臓の病が死病とまで認識されていたかどうかとはまた別なわけだけれど。]

したがって突然死といっても健常者がにわかに喪われる場合とは異なっており、万が一の場合は潜在的にせよ心のどこかで予期されていただろうから、その分は差し引かなければならない。

さらに先立つ祖母の死からは約1年半が経過している。先行する多重喪失での喪の作業の進展具合は計りがたいが、約5ヵ月間に3つの死が集中した時に比べると死の累積による悲嘆の増幅もずっと穏やかなものだったのではないかと想像される。伯父の場合には先行する死別経験が喪の作業を促進する、という悲嘆の免疫説がもしかしたら妥当しうるかもしれない(*)。ただそれも、祖父・父・祖母の死に際しての喪の作業が滞りなく進展していたとしての話だが。

(*)「多重喪失・死の累積」 参照。

[先行した多重喪失の重さの違いを考慮する必要があるかもしれない。コルトレーンと母アリスはそこに実父=夫が絡んでいた。一方メアリーと伯母ベティの場合は義理の叔父=義弟だった。多重喪失による情動ストレスの増幅に二組の母子の間では差があったのではないか。前者は伯父ゴラー・ライアリーの死の段階で未だ十分な喪の作業を終えておらず(或いは喪の作業は回避され)、後者は既に終えていた可能性がある。とすると、後者には免疫説が妥当するだろう。]

(つづく)


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