甘い物好き&食いしん坊
ジョン・コルトレーンの性格、その強迫的側面〈20〉
喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈30〉
コルトレーン、ヘロインを断つ その62
最後に、強迫的な性格特徴ではないが、時に「強迫的」と形容されたりもするコルトレーンの嗜好、甘い物好きで食いしん坊だったという点に少しだけ触れておこう。
先に「コルトレーンはどのように診断されたか」 で、英国人のジェフリー・I・ウィルズ Geoffrey I. Wills なる人物がコルトレーンの強迫的特徴の一つとして甘いもの好きを挙げていたのを紹介した。コルトレーンは「強迫性障害」ではないとわれわれは判断し、既に反論したが(*)、ここでは甘い物好きが「強迫性障害」とはその在り様が異なることをはっきりさせ、その反論を補強してみたい。
てゆーか、そもそも甘い物好きが強迫性障害の症候として挙げられているのなんて寡聞にしておれは知らない。摂食障害ならまだわかるんだけど。てなわけでちょっとバカバカしくもあるけどファンとしては微妙に悔しくもあるのでしつこく食い下がって些事に嫉妬淫する(うーん、なんかジャズっぽいしゃれ。でももう誰かやってそう)。
コルトレーンの甘い物好きは子供の頃ポケットに干しぶどうを携帯していたというエピソードから始まるが、いちいち列挙する程のこともない話題なのでコンパクトにまとめておきます。
『コルトレーンの生涯』では甘い物好きと大食のエピソードが旅先での寂しさを紛らわすため、或いは欲求不満を解消するため、として紹介されている。一つ取り挙げると、エディ・クリーンヘッド・ヴィンソンとツアー中、大きなパイを一つのみならず三つも買い込み、滞在先の自分の部屋に一人で閉じこもって全てきれいに平らげた(*)、なんてのがある。誰にも相伴させてないのがなんかいじましいというか、浅ましいというか、聖者コルトレーンの人間臭い面が出ていていい話なんじゃないかと思います。もっとも若い頃の話でまだ聖者じゃなかったかもしれないけど。
(*)『コルトレーンの生涯』p.85
あと、白人の恋人がよくスイート・ポテト・パイを始めとするいろいろなスイーツ作ってやってコルトレーンのご機嫌を取っていたようだ。そして遂に二人が別れることになった日にも甘いものがついてまわった。コルトレーンの最後の言葉は「スイート・ポテト・パイはないかな?」だった(*)。なんか深い意味があるのか? 嘘みたいな話だが、これ、その白人の恋人のちゃんとした日記からの引用だから事実ですね。白人の恋人が嘘ついてるのでない限りは。
(*)『コルトレーンの生涯』p.398
それとライフセーバー・キャンディの話もいくつか見かけます。『ブルー・トレイン』(1957)のジャケット写真でコルトレーンが何かを考え込みながら口に運んでいるのはライフセーバー・キャンディだそうです(*)。ケース買いして絶え間なく常用し、コロンの香りの代わりにバターラムの匂いをさせていたという。ちなみにコルトレーンのお気に入りのフレーバーはバタースコッチかバターラム。こってり系ばかりでフルーツ味じゃない。もちろんヨーロッパ・ツアーの時なんかにも欠かさずに携行した。
(*)『「至上の愛」の真実』p.32。ライフセーバー・キャンディについてはここを参照 → Life Savers
ではなぜ、コルトレーンは甘いものに嵌ってしまったのか、或いはついつい食べ過ぎてしばしば体重オーヴァーを結果したのか。大まかに言えば結局仕組みは薬物依存と一緒。甘味、油脂、旨味が舌の受容体に結合して脳に伝えられ、快感をもたらすβ‐エンドルフィンやドーパミンが出るから。
復習すると、エンドルフィンは鎮痛効果と多幸感をもたらす充足・抑制系の快感物質。音楽を聴いていて感動すると出るのがこれ。
音楽を「いい!」と思うと、頭だけでなくて内臓や背筋、骨の髄なんかに快感が走るって経験は音楽ファンの皆さんならきっとよくご存知でしょうし、夜泣きする赤ちゃんに砂糖水や油をあげると泣きやむのはこれのおかげ。あと転んで泣き喚く幼児の口に放り込むおばあさんのあめ玉とかもそう、同じ原理。
モルヒネやヘロインはこのエンドルフィンが結合するシナプスの同じ受容体に作用して同様の効果をもたらします。
ドーパミンは刺激・興奮系の快感物質で、意欲や自発性に関わる快感を生む。何かを達成したり、いいアイディアが閃いた瞬間なんかに出て強く人を駆り立てる。褒められれば誰しもうれしくなるし、気分が良くなってやる気も出ます。その時に出ているのがドーパミン。
アッパー系のコカインや覚醒剤が対応するドラッグ。薬物依存からの脱出が困難なのは変調をきたした報酬系でドーパミンが渇望を惹起するため。ただ、ラットの摂食行動に関する実験からはドーパミンは快感=おいしいと思うことには関わらず、専ら「もっと欲しい」という食べる意欲を引き起こすのみだという見解が出ている。摂食に関する限り、快感はエンドルフィン、ということらしい。
でもそれではコカインや覚醒剤でハイになる高揚した快感を説明できませんね。アッパー系のドラッグが渇望のストレスしかもたらさないなんてちょっと信じられませんから。素人考えですが、きっとドーパミンにも積極的に快感をもたらす効果があるんだと思いますけど。
そんなわけで甘い物や油っこいもの、だしの旨味なんかは強い執着を起こさせて摂取量を増大させる効果がある。しかし効き目はドラッグに比べれば至ってマイルド。ドラッグはニューロンに直接作用するが、砂糖や油はダイレクトじゃなくあくまで味覚を通し、視床下部や大脳皮質を介して作用するから。だから強い嗜好をもたらしはするが、依存を生じさせるというところまではいかない。
したがって、甘い物好きや食いしん坊が見せるときに「強迫的」と形容されたりする強い執着と、セロトニンの欠乏が大きく関わり、しかも積極的に快感を生むわけでもない強迫性障害とではその機序が大分違うってのが脳科学的な知見から大づかみながらもはっきりとわかります。
さて、甘い物好きと強迫性障害との違いにはケリがつきましたが、今度は甘い物とドラッグの効果の程度の違い、というテーマがわたくしの脱線の虫を目覚めさせてしまいました。もうムズムズし出しちゃって仕方がない。アホなファンの性と申しましょうか、キャンディーと喫煙の交替劇を最後に蛇足として進呈致します。
ちょっと気になるのは、ライフセーバー・キャンディの話がある時期に集中していること。だいたい1960年。それと1961年のヨーロッパ・ツアーでもインタヴュー中しきりにキャンディ喰ってたという証言もある(*)。
(*)Porter, p.255。キティ・グライムによるインタヴューの際。1961年11月。
で、以下は根拠のあんまりないまったくの想像になります。
この時コルトレーンは一時禁煙していた、或いは1957年にヘロインをやめたときに一緒にタバコもやめているから、この頃まではまだ禁煙が続いていた、のかもしれない。
甘い物好きはもちろんだが、禁煙していることもあってキャンディをさかんに喰っていたが、先に触れたように(*)、1961年末以降批判にさらされて方向転換を余儀なくされ、そのストレスでまた喫煙が始まった、とちょっと勘繰ってみる。葉巻をやり始めたのはそれが原因ではないか。
ジーン・リーズというダウン・ビート誌の元編集長は『バラード』の制作に参加し、いろいろアドヴァイスして(*)インパルスの宣伝誌ジャズ・マガジンにライナー・ノーツの元になる原稿を書いたりもしている人間だが、その中で1962年の『バラード』のセッション中、コルトレーンは葉巻を吸い続け、サックス・ケースには葉巻が一杯だったと報告しており、以前はラム・キャンディが好きだったが今では葉巻に嗜好が移った、と説明している(**)。最早「甘い物」では満足できず「ドラッグ」を必要とするようなストレス、ではあったのかもしれない、あの一連の批判とそれを受けての路線変更は。
(*)アドヴァイス内容はほぼ評論家達の批判と同内容で、激しさと単調さと編集の欠如(長さ)をどうにかせよ、というもの。Simpkins, p.162。ボブ・シールの証言。
(**)『バラード デラックス・エディション』ライナー・ノーツ、p.17-18。
参考文献
高田明和『「砂糖は太る」の誤解』
ブルーバックスB-1330、講談社(2001年)
山本隆『「おいしい」となぜ食べすぎるのか』
PHP新書、PHP(2004年)
伏木亨『コクと旨味の秘密』
新潮新書135、新潮社(2005年)
同上『人間は脳で食べている』
ちくま新書570、筑摩書房(2005年)
同上『おいしさを科学する』
ちくまプリマー新書044、筑摩書房(2006年)
橋本仁・高田明和編『砂糖の科学』
朝倉書店(2006年)
伏木亨編『味覚と嗜好』
ドメス出版(2006年)
篠原菊紀『僕らはみんなハマってる』オフィス・エム(2002年)
以上で漸くコルトレーンの強迫的な性格傾向の各項目の確認はすべて終わった。次回はそのまとめとして、コルトレーンの強迫性を概観してみたいと思う。 (つづく)
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