2005年から 私と ネットの世界が つながり始めました。


そして いろいろな ところで 「アセンション」という言葉を見るようになりました。


しかし アセンションと2012年が かぶっていた性か


私は 教会で言われている 2013年1月の 基元節と 同じ事を言っているのだろうと


勝手に 解釈して その意味を 検索してみようとは 思っていませんでした。



そして 私の 教会へ対する 疑いが生じてきた頃


始めて 「アセンション」を 検索欄に入れるとになりました。



もちろん いろいろなことが 書かれていて


正直 どれを 信じて良いのか 混乱しました。



今まで 教会内で 否定していた 宇宙人説を 復活させなければ


なりませんでしたし。


それに 時間は掛かりませんでしたが。


とにかくなにを 信じて良いのか 分かりませんでした。



その中で 私の 納得いく 一言を 見つけてからは


他の メッセージを 安心して 読めるようになりました。



それは 「アセンション≒日常」であるという メッセージでした。


「今ここ」も 意識していましたが


私は 日常という言葉が 好きになりました。



まだまだ 瞬間という今に 生きれないので


私の1日 目の前のこと 日常・・・ と 捉えるほうが しっくりいくからです。



この アセンション≒日常 が 私の中に しっかりあると


どんなに 意識が 霊界や 宇宙の話しに 飛んで行っても


きちんと 戻ってこれるからです。



私の生きる場は この家。


しっかりと グラウンディングできます。




そういえば


私が この「日常」を 意識し始めたころ


まだまだ 現役のシックをしていましたから


やれ 礼拝 活動・・・大会


ヨスの修練会の動員も 5,6年に 渡って 続いたわけですから。



どうして みんな 自分の家庭という 一番の 訓練の場を離れて


教会の活動に 外に


修練会に行けば 神に会えるとか 言うのだろう?



それが 不思議であり


どこか ずれているのではないかと 思い始めたものです。



「日常」という 言葉は


私を しっかりと 今に 繋ぎとめて置いてくれる


アンカーのようなものですが


教会からの 目覚めの 魔法の言葉でもありました。