教会の中にいた時は よく証とか 証文というのを 聞かされた。


なにやらを 相続しましょう・・・って 大儀名分だったけど


本望は これを 聞いて あんたたちも やりなさい(行きなさい 出しなさい)だったと思う。



現役時代から そうだったけど 聞いていて


本心から 自分の心を 包み隠さず 証される方の 話には


共感するところが多かった。



私に とっては ヨスの修練会が 最後だったから 特に 印象に残っているのかも


しれないけど 誰かが 修練会から 帰ってくると 数日内に 日本人は


集められて 証会だった。


教会から 参加していない場合は 全国から 挙げられた 証文の中で


良いものを選んで(何が良くて 悪いのか分からないけど・・・・)


リーダーが 読み上げるのを 聞くことになった。



大体 出だして


「本当は 行きたくなかったんですけど・・・・」で 始まる 証なんかは


引き込まれるものがあったけど


「オトウサマと カミサマの為に・・・」なんて 始まる 証は しらけて


聞く気が しなかった。



確かに オトウサマと カミサマのことを 考えないと とても 家庭を


置いて 40日も 修練には 行けないけど・・・・


でも よその姉妹が どうかは 知らないけど


すくなくとも うちの教会の姉妹が どういう環境の中で 行ったかは


知っているので 少しは その背後関係も 読めるから。



避難 療養 休息の 意味合いのある方も 多かったですよ。


嫌味ガンガン 言われるシオモニから 遠ざかりたい


夫の顔を見るのも嫌


子供の世話に 追われて うんざり気味 子育てから 開放されたい


そういう方も 結構 居ましたよ。


みんなが 行くのに 自分だけが 残されて 村八分にされるのは嫌。


責められて仕方なく。


そんな 心情も 後半は あったような。



多くの方は そういう 自分の中にある 微妙な 感情を


隠して置いて?


いかにも 自分は 難しい環境を カミサマとオトウサマの為に


乗り越えました!!みたいに 証をされると


嘘つき!と 心の中で 叫んでましたね。



だから 本当は 行きたくなかったんだけど・・・・なんて 始まる文には


この証の中には 感じたことが そのまま 表現されている場合が


多く ぐんぐん 引き込まれて行きました。


たとえ 自分とは 考えが 違っていてもね。


(違いを)認めるしかないって 感じになるんですもの。 




でも シックには 自分の 汚い部分を 隠しておいて


いかにも カミサマと オトウサマの為に がんばりましたって


綺麗にまとめようとするの 癖でしょうか?


自分にも 過去そういうところが あって 自分で うんざりしてました。



だから できるだけ 素直に 表現したいと思うようになりました。


そういう場がなかったら 自分の心の中で つぶやく時も


素直に 正直に 嘘をつかないようにしたいと思ったんです。



今もね 現役さんの ブログが あまり読めないのは


感情の お飾りが 多いような気がするからです。


思い込みの部分?


まだ 本当の 自分の感情に 気づいて居られないだけなのかも


知れないですが ダークな部分を 隠して


明るく 綺麗にまとめてある。



もちろん いろいろあるけど


いいことだけを 表現するようにする(暗い話は 人も暗くするし・・・)という


ポリシーで ブログを 書かれているのかもしれないですけどね。



私が 好きなのは ぶっちゃけた 証 ブログ。


そうすると 共感できることが いっぱいでて来て


心が 躍るからかしら?