最近のきょんちゃんとの 会話で 初めて知った 彼女の一面。





私が 家庭を出発してすぐに 女性連合の会費を集める係りを命じられ


数年して それを 引渡したかと思うと また 戻ってきて・・・・


やっと 集金係りから 開放されたとおもいきや


教会の婦人会費を 集めて 会計報告をするという 仕事が 来ました。


総務のお姉さん。当時 リガトウさんだったのですが 日本人リーダーもしてて


とにかく いろいろな お金を扱っていたのです。


婦人会は 総務が会計役みたいなものだったのですが


なにせ 大会とか 動員とかあると なにかと 食事を作る機会も多く


材料の買出しなども大変で せめて 婦人会費は 全体のお金を管理するのではなく 


会計からもらったお金で やりくりして こまめに報告するほうが 楽だということで


婦人会公認ではなかったのですが 総務の下の 陰の力として


働き始めました。 



買出しのときなんか 呼び出されるのかな?と 気にしていましたけど


お金の管理以外は 他の婦人会メンバーと同じでしたので


私としては 負担が少なかったですが。


でも お金集めは 勉強になりました。



その人の 人格が もろにでるって感じです。


何は ともあれ 献金 会費を まず とっておいて 自分たちのことは


後回しでも 払ってくれる人。こういう人は くださいという前に 自分から出されます。


あまり 持っていると 出しづらくなるので・・・・と


献金と同じく 会費も さっさと 払ってくださいました。




ところが・・・・いつ 言っても 「ない」 「ない」 を繰り返す人も。


最後には 会費が たまりに たまって 結構な 額になったころ・・・・


「声を かけて 請求しまくってくれなかった あたな(キラリさん)の 責任よ!」


という姉妹も居て あんぐり しました。


大体 こういう方は お金に ルーズですね。



会費を 集めると 「今ない」というのに


教会の帰りに マートから 出てきたところに ばったり。


我が家では 到底買えないような 食材が たんまり ビニールバックに


つめてあるのを 見たときは もうムラムラでした。



そのお姉さんは お料理好きで 食事は いつも デザー付き


おかずの周りには プチトマトなどの お飾りが 付いてしまうという方でした。


子供たちは いつも 日本食みたいな 


目で見ても おしいそうだし 食べてもおしいし食事が 食べれるなんて 


なんて しあわせなんだろう・・・・。


と 私は うらやましい~を 超えて やや 皮肉な 感情を 持っていましたけど。



どこかでは 見習わないといけないんだろうな~~


彼女を 責めている 自分が 悪いんだろうな~~と


感じていました。



でもね 組織や献金の使い方に 疑問を持っていたり ゴフボを疑っている人なら


まだしも 信じていると 言いながら 献金 公費は 後回しってのは


どうなんだろうか??と 私は 今でも 思います。




さて きょんちゃんは 


思い出せば 彼女自身が 仕事をしていなかったときは


旦那が 旦那が・・・と 言って 出し渋っていました。



子供のお菓子代は 月10万になると 自慢ではないけど


うれしい悲鳴みたいに 叫んでいたけど・・・・


(当時 我が家の食費よりも 彼女の家の お菓子代の方が


超えていましたから 私も あんぐりでした。)

 


それでいて 会費は 払ってくれなかった時期がありましたから


私の 印象も あまりよくなかったです。



でも 外食や 子供のお菓子は 旦那さんが OKしているから


出せる話であって 旦那さんが 渋ると お菓子も 買えなくなる


家だったかもしれません。


だから 会費でそうですから 献金は ほとんど 払っていないのではないかと


想像していました。



ただし 清平などに 対する 熱意は 凄いもので


あまり たびたびも 時間的に 許してもらえないものですから


頼み込んで OKを もらったら 親からもらった お金も つぎ込むというという 姿勢で 


献金を していたと思います。






さて 私は 今回の話を 聞いて どこか 彼女を 誤解していたかなと


思う ところがありました。



2009年の 最後の祝福と 言われて 全シックが もう1回 祝福を


受けたときのことです。


参加するために まず 30万を 入金することが 条件だったと思います。


そして 残りの70万は 年末までに 払うということでした。



私は そのときの 祝福を 全力を注いで 受けないことにしましたので


年末の残り70万の 催促があったことも 知りませんでした。



きょんちゃんに 言わせれば あったというのです。



いついつまでに 振り込めという ことだったらしいです。


当時は 彼女も 仕事を 始めていて 余裕もあったというのです。


しかし 仕事もありますし 田舎の会社なものですから


昼休みにちょっと銀行まで というのが 難しい環境だったそうです。



なんと 彼女は 催促の 期限までに 残りの70万何を 振り込もうと


会社に 郵便配達に 来た おじさんに 頼んでみたというのです。


もう 必死で できそうな人なら 誰でも お願いしたいと


思ったそうです。



私は 彼女が そこまで 必死になっている姿を 見た(聞いた)のは


初めてでした。



結局 郵便配達のおじさんは 親しい 知り合いでもないので


そんなことは できないと 断られたそうですが・・・・。



それで 次の日 彼女自ら オートバイに 乗って


昼休みだったか 振込みに 市街地まで でかけたそうです。


まあ 5分もあれば 行けるようですが 昼休みを 抜け出してまで


振り込もうとしていた 自分の 意気込みに 感嘆してました。



あの時は 本当に 信じて 必死だったのに~~と。


思い出して あれほど 一所懸命になったことは なかったと


笑っていました。



しかし 彼女は その頃 私たちが 祝福も 受けていなかったことを


知ったというのです。


サモニムが 「どうしてかしらねえ~~?おかしいわね。」と 心配しているのを


聞いて そういうのも あり!?と 驚いたそうです。




まあ その辺りから 献金に対しても 腰が引けてきたのかも


しれないですね。


後に また 祝福と騒いで 結局 そのときに 受けたということも


きょんちゃんは 知らなかったと言いますから。




今は たっぷりと 裏話を してあげたので 信じれないとは 言ってますが。


前は 不審ではなく 自分の家庭の都合を優先して できなかったようですが


今は 私の 影響を 受けて もっと 出せなくなってきているようですが


詰めは 来るようで 私も 罪作りです。



日本人リーダーが 必死になって 最後は


時間のない人は 自分(リーダー)の講座に 振り込んでくれと


連絡が来たりしているのを 見て それをも 不審に思い。


「リーダーが そのお金を ねこばばしているとか?」


「上から(江利川さんとかかから)何か お金 もらっているのかしら?


なんて 言い出す始末。




いやあ~~ さすがの私も リーダーが そんなこと やっているとは


思わないけどね。


不審をし始めると ここまで 来るものなのか?と


私の方が 驚いていますが


これも 意外な きょんちゃんの 一面でした。