電話がくるだろうとは 思っていました。


・・・・が こんなに 早く来るとは 思ってませんでした。


夕方には 電話が 来ましたけど ゆっくり 話せないと 分かったので


夜落ち着いてから またと 一旦 切っていきました。


待つこと 9時過ぎ。 


そして なんと 1時間40分くらい 話したことになりますか。


気づくと 11時を過ぎてましたから。





電話の主の件は 分かっていたのですけど


なぜか おばさま同士の 会話のように 子供のことから


話が入って行って・・・・(笑)


本題に入るまで 時間を使ってしまいました。




ヨスの件での メールを 見てから


きょんちゃんも 落ち着かなかったようです。


発信者の番号を 消してあるのですが


なんと きょんちゃん 折り返し 電話してみたそうです。



その辺が 理解できないのですが・・・・きょんちゃんらしいです。


相手が 本当に 出てきたら どうするんだろうと


考えなかったのでしょうか?



「なんだ かんだって 言ってて 分からなかったわよ!」と


言ってましたけど 息子に言わせれば 


「おかけになった 電話番号は 使われてないとか そういう メンテナンスが


流れてくるんじゃないかな?」と 言ってました。


そんくらい 聞き取って 教えてよ きょんちゃん!というところです。



私は きょんちゃんのところにも メールが 行っていたのを


確認したことで 私が 考えていたのとは もっと 違った 組織名簿に 


名前が組み込まれていることを感じました。


彼女は 全員に メールが 行っていたと 思っていたそうですが。


私は そうは 思いません。



ヨスに行ってない人の 名簿を上げろと 言われたのか?


日本人名簿の中から ヨス参加者を 消していったのか?


作成されたのが いつの 時点なのか 分かりませんが


とにかく ヨスに行っていない人の 名簿が どこかにあるのだと感じました。



 


きょんちゃんの反応が あまりにも 早かったので


教会で ヨスの話が 出ていたのか聞いてみました。


そうすると ごく 最近ですが 


「まだ ヨスで やっているから 参加したら?」と リーダーから


言われていたそうです。


「行かないものは 行かない。 行けないものは 行けない。


そういう風には 答えていたそうですけど


リーダーの顔を 見るのが 気持ち悪くて 本当に 嫌だそうです。


私も 分かります。


用事がなければ 挨拶をしても 無視状態で 


(自分には 突き進むべき ターゲットがあるので 他のことは 視界に


入らないようなのです。)


そのくせ 何か 自分の用件を 伝えたい プッシュしたいときは


挨拶は もちろん 世間話みたいなのから 賛美まで・・・・


ぞぞぞと します。



一旦 つかまると 「行く」というまで


ああだ こうだ ああしたら こうしたらと 言われるものですから


さすがの きょんちゃんも 「行けないものは 行けない!!」と


バシリと 言い切れるようになったのでしょう。




ヨスの 博覧会も 8月中旬まで あるというではありませんか?


その間 夏休みも 重なりますし また ヨスのことが 話題になるのでしょう。


2年ぶりということですか。



「どうして 韓国人や フィリピン人を ヨスに呼ばないのかしら?


娘(日本人)のお前たちを 愛しているって どうして 韓国人も フィリピン人も


同じ 娘なのに・・・・・


きょんちゃんは 半分 本気で そのようなことを 言う人です。


ヨスの修練会が アボヂの  愛であるのなら どうして 他の 民族にも


与えようとしないのか?それが 気になるそうですけど。



「韓国人も フィリピン人も 自分の 気に入らないことは 無視できるじゃない?


脅すと 韓国人は 逃げるだろうし


フィリピン人は それが どうした??って しら~~って 感じじゃない。


結局 相対するのは 日本人だけ。」


そういうことを 言うと ああ・・・ってきょうんちゃんは 言うのですが


また 同じような話になると 


「どうして アボヂは ・・・・」と 同じことを 繰り返します。




どうしても お父様=メシアが 切れないようです。


切れないというよりも 怖くて 触れようとしていないという方が


正確な表現でしょうね。




私も 実は そうでした。



組織は おかしい


私たちは 変な方向に 向かっている


そんなことは 感じていても


絶対 その発信元の メシアは 疑わないのです。



散々 「子女が責任を 果たしていなかったから」という


言葉で マインドコントロールを され 思考停止させられているからでしょう。


どんなに 上の 幹部から 狂っていると 理解できても


その幹部が 子女としての 責任を 果たせなかったからだと


思っているのです。




教会には 子女の責任という 言葉は たくさんでてきますが


父母の責任という言葉は あまり 出てきませんね。



父母=神さまは 完璧なお方なので


真の父母も 何もしなくても そのままで 完璧だという


そういう イメージが 作り上げられているのでしょう。



世の中じゃあ


父母の責任って 言葉は よく 聞きますが。



3弟子と言えるような 幹部が 責任を 果たしていなかったとすれば


それは 子女の責任なんでしょうか


父母の責任なんでしょうか?





私は 当然 父母の責任だと 考えました。


そう 考えるのが 普通です。


そして 考えられないというのは


すでに どこかで 刷り込みが 行われているってことですね。




この世の 概念を 手放さなくては いけないということを 考えたら 


実は 子供の いたらないところは 父母の責任ではなくて


子女自体の 責任なのかもしれないですね?


統一教会では この世の 概念を 一歩 超えた 新しい 概念で


生きているんでしょうか?



それにしても 子女の責任だと 思い込むってのも


結局は その概念に 囚われるわけですから


これも いかがなものでしょうか???



今の時代は どちらかに 偏らず 


両天秤に 掛けて 広い視野で ものごとを 見てみるのが


大切かと・・・・。



統一教会の中に いると


すごく 一方に 偏りすぎてしまいますから 注意が 必要です。