2015年11月2日(月)大安

昨日、車のラジオで知った、最近のもて男は、三生男子なんだそうな

三生男子とは、「生存力」「生活力」「生産力」を持った男子のことのようです。それぞれの意味は、

●生存力…予期せぬ出来事に直面した時に、生き残れる。
●生活力…ひと通りの家事ができ、精神的にも経済的にも自立して生活できる。
●生産力…予期せぬ出来事に直面した時に、立ち直れる精神力と必要な人脈や人望を持っている。

となっているような。かつて、もて男は「三高」と呼ばれていた。いずれもご存知かもしれませんが、三高とは、「高学歴」「高収入」「高身長」でした。その後、四低時代に突入し、今や三生時代に移り変わりつつある。この移り変わりを見ていると、社会で求められているものそのものが映し出されているようで、面白く感じた。ちなみに、四低とは、「低姿勢」(女性に威張らない)「低依存」(家事を女性に頼らない)「低リスク」(リストラされない)「低燃費」(節約できる)となっている。何とも、質素な感じである

三高時代は、まさに競争社会。学歴を獲得し高い収入を得るために、必死に勉強し、一流企業に就職する。大きな身長を得るために、その研究をして、牛乳を飲み笑い(ちなみに、牛乳を飲むと大きくなるかどうかの因果関係は見られない笑い)、よく寝て、背の伸びそうな運動をする。(水泳とか、バスケとか。。。)まさに、男子にとっては、涙ぐましい努力を重ね、女子にもてようとしていた。(このころは、女子にもてようと、ミュージシャンになろうとする人も多かった。)

こんな競争社会を経て、いざ一流企業に入っても、サラリーは伸びず、ましてやその企業さえつぶれてしまう時代に突入すると、四低時代に突入。いつの間にか、競争に疲れ、競争するよりもなるべく目立たないように生きる時代。男子が静かになっていると、女性が強くなっていった。アッシー、メッシ―などと言われても、それに応じる男子の姿。草食男子、などと言われても、オレ草食だし、みたいな。これはこれで、平和な時代

その後に訪れる、三生時代。いずれも、生きることに必死になっている姿が感じられる。これは、生きることが大変になってきたからであろう。経済成長などとは言っていられない時代になっているのである。この三生時代は、共創時代なのであろう。人は、一人では生きていけない。人類は、生物の中でも、群れを成す生き物であり、唯一自ら食物を作り出すことができるようになった生き物である。そのために群れを成すこともある。自立と言っても、その周りには誰かがいて、その誰かがいないと生きていけないのである。それを理解しているかどうかが大切な時代になってきているような気がする

自然の中で、絶対的な真理のひとつに、始まりがあって終わりがある、ということがある。(人類は、まだ終わりがないではないかと反論されそうだが、それは、人類の知恵を持って人工物(農作物もそのひとつだろう。)を作って、そして、その知恵を引き継いで生き延びてきた。ゆえに、人類でも知恵を失えば生き延びることはできなくなる。)人類が生き残ってきた理由のひとつに、この真理を理解し、尊重し、大切にしてきたからではないだろうか最近気になることは、これを理解しないがために、年長者に敬意を払う姿勢が薄く、周りに感謝する姿勢が失われつつあるのではないだろうかということである。親が友達のようになることは、親にとって気楽に子育てができることになるのかもしれない。が、そこで子の親に対する感謝の念を失わせてはいけないような気がする。我々人類は、祖先があって初めて存在する。そして、自らが生き続けなくては、いずれ人類は消滅する。(感謝の気持ちが薄れつつある中では、消滅してもいい、と思っているのかもしれないが。。。)人類が消滅することは、その祖先が脈々とつないできた思いを断ち切ることにある。人は、生きるために生きるのである。生きることに、なんら特別な意味はない。ひとりひとりが、周りと協調しながら、幸せに生きることが、目的のような気がする。大切なことは、その周りと協調していくためには、その一人に役割がある、ということを知っておくことなのだろう。そして、その役割を探るために、生き続けなければいけない、ことなのだろう。人は、生まれた瞬間から役割を背負っている。その役割は、増え続けながら、時には変化しながら背負っていくわけであるが、周りと協調して生きていくことは、延々続いていく。そのことを忘れずに、これからも生きていこうと思うのでした。。。