続いてもリヴァプール脇役シリーズ、60年代暮れから70年代初期にかけての、リヴァプール世代交代期に活躍し、消えていったジョン マクラフリンです(ギタリストではない)
ジョン マクラフリン
1952年2月25日生
出身地 リヴァプール
その他の所属クラブ: フィラデルフィア アトムス (loan 1975), ポーツマス(loan 1975), ダラスTornado (loan 1976), バーロウ (1976-77), サウス リヴァプール, レックスハム
前所属先 下部組織
リヴァプールとの契約日
加入 1967 -
プロ契約日 1969年2月25日
リヴァプールデビュー: 18.04.1970
リヴァプール最後の出場10.09.1974
リヴァプール初ゴール 22.08.1970
リヴァプール最後のゴール02.01.1971
退団 1976
勝率 45.45% W: 25 D: 19 L: 11
LFC リーグ出場/得点: 40 / 2
LFC 公式戦出場/得点: 55 / 3
マクラフリンはリザーブチームの選手としてとても有望で、コーチングスタッフらは、彼の高い技術が中盤のスターになれると信じていた。
シャンクリー監督も彼に大きな期待を寄せており、「彼のポテンシャルは底無しだ。その若さにしてゲームを知り尽くしており、非常に成熟した選手だ。」さらにシャンクリー監督は「このスクールボーイは、長期に渡って活躍出来る見通しがある。」と断言した。
シャンクリーは、マクラフリンを69-70シーズンの最終戦、アウェーでのチェルシーとの試合でデビューさせた。マクラフリンのデビュー戦は、ボビー グレアムが得点するも、チェルシーのエース、ピーター オスグッドの2得点により敗れるという結果に終わり、マクラフリンにとっては良いデビュー戦とはならなかった。
しかし、次のシーズンが開幕すると、まだ18歳にも関わらずこの10代の若者に十分な信用を抱いていたシャンクリーは、イアン キャラハンの怪我もあってか、彼を中盤の重要なポジションのレギュラーメンバーにした。
シャンクリーのマクラフリンへの大きな期待と信用は、ハッダースフィールドをアンフィールドに迎えた試合で報われた。マクラフリンは、前半のうちに素晴らしい2本のシュートをコップのスタンド側ゴールへ突き刺したのだ。
マクラフリンは、そのシーズン、トップリーグの30試合に連続して出場したが、残りの12試合のうち3試合をアラン エバンスに明け渡した。
このシーズンは、マクラフリンがシャンクリーのチームの高齢化期における唯一のレギュラーメンバーであることが判明したシーズンであった。
しかし、チームの変換期間が終わると、キャラハンの復帰やブライアン ホールの台頭もあってか、シャンクリーはマクラフリンを起用しなくなってしまった。それでもマクラフリンは71-72シーズンの開幕戦に起用された。しかしそのシーズンは、その1試合とあと4試合しか起用されなかった。その4試合のうち2試合はベンチスタートで、また、他に2試合にベンチ入りしたが、出場機会がないという結果に終わってしまった。
さらに、ピーター コーマックの加入がマクラフリンのファーストチームでの出場をますます難しくしていった。
そのため、マクラフリンは元リヴァプールのイアン セント ジョンが監督を務めるポーツマスへのローン移籍をすることとなった。
また、75年の夏から76年まで、北米サッカーリーグでプレーしたが、最終的に膝の怪我により、わずか24歳にしてフットボールの道を退くこととなった。それでもしばらくして復帰するとノンリーグのサウスリヴァプール、バーロウ、レックスハムでプレーしている。
若くして将来を渇望されながらも、ちょっとした歯車の狂いから転落してしまう、これも若さゆえなのでしょうか。こうした選手は過去も今もたくさんいます。