推しへの誘惑① 母の嘆き | 鉄火のこまきの平凡な日々時々宝塚

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蘭寿とむさんのご卒業を経てライトな宝塚ファンになりました。平凡な毎日を日記代わりに書いています。食べることが大好きで単純なのに時々変なことを掘り下げ始めますがよろしくお願いします。

職場の同僚(Eちゃん)が娘さんに

「ママって毎日何が楽しいの?」と言われたそうな(日本昔話か)

ほんと頭に来るわよ、私の作ったお弁当しまいながら言うセリフ?

とプリプリしながらちょっと悲しそう。

そりゃそうだ。いくら反抗期でも言っていいことと悪いことが、と思うのは自分がすっかり大人になったからでしょうか。


もしかして

「ママ毎日仕事も家事もしてお弁当まで作ってくれて忙しいけど楽しいことある?大丈夫?」

という意味だったりして?


若さゆえの言葉足らず的な?


…足りなすぎるだろ。


Eちゃんは

「娘だけじゃない、家族は皆私がやるの何でも当たり前と思ってるのよ、じゃあ私が自分の楽しみ優先して今日はご飯作らない、塾の迎えも行かない、学校の面談もパス!って言っていいわけ?ダメじゃない!パパの掃除は掃除じゃないのよ。買物頼むと変なもの買ってくるしさ」


まとめるとそういう趣旨のことを語っていた。


わかる。私も恥ずかしながら家族ポジで子供の頃は20歳過ぎても母がご飯作ってくれるのが当たり前だと思ってました。


今日飲み会だから夕ご飯いらない、と言ったことはあっても

今日夕ご飯ないわよ、と言われた記憶がない。


お小遣いも少なく、門限は厳しく、たとえ土砂降りでも送り迎えなどはしない家でしたが(愚痴か)

ご飯がなかったことはない。


主婦という立場になってみるとご飯の材料はもちろん、家の中を回す上で必要な買い物、毎日もしくは毎週しなきゃいけないことって結構ありますよね。


野々村さんの「名前のない家事」に拍手が集まるわけだ。

名前のない家事の多さ、その大変さを言葉にしてもらえると報われる気がするような。

しかしそれを明記して誰かと分担することの難しさよ。

決めてはみたけどやれない人がいてその結果我慢できない方もしくは少しでも時間のある方が

「いいよもう俺が(私が)やるよやればいいんでしょ!」

…となってしまってるお家がたくさんあるのでしょう

夫、妻に限らず。


あるのでしょう、ってうちもそうです。

基本誰がやる、ことにしてしまうとそれ以外の人は「手伝う」となりがちで、手伝うも察して先回りしてくれるならまだいいけどそんなことはまずない!


かなり前の話になるけどトイレットペーパーやティッシュ、キッチンペーパー。とにかくペーパー。

使い切ったら新しいのを取り出してセットする。

そもそもこれを覚えて実行してもらうまでだいぶかかった。

こんな簡単なことが‼️できないのか!


挙句

「後でやろうと思った」「たまたま忘れた」「できないわけじゃない」とか言い出す。


会社で何かあって後輩がそう答えたら

「そうだよねー、たまたまだよねー、後でやるつもりだったんだよねー?」って言えるのかおめーは!(言葉遣い)


よく「ごめんなさい」と「ありがとう」がすぐ言えないのは人としてダメ、と言いますが本当だ。


言い訳する人間にできるやつはいない(暴言)

でもできないことがあってもいいけど、できる人がカバーしてくれたらやっぱり「ありがとう」だと思うんですよね。


時間的精神的余裕がないと仕事も、家の色々もできない時もあるけど、それはやってくれる人がいたら「ごめん」「ありがとう」でひとまず解決するじゃん、と思う。


ずーっとそれだと負担の大きい方に問題出てくるかもしれないけど。でも補い合えるってことは家族の理想ですよね。

補いに偏りがあるとまた別問題だけど。