<Nearco> 

 フェデリコ・テシオは牝馬Nogaraにはダービー伯爵のFairwayを望んで、ニューマーケットのWoodlands Studに申し込みましたが、断られてしまいます。
 失意のテシオは仕方なく、フランスに輸出されていて、テシオが二流のスピード馬とみなしていた全兄弟のPharosを種付けしました。

 この話は、満杯だったという通説と、テシオが、憎むべきファシストのイタリア人だと軽蔑して断ったという説もあります。(もちろんダービー伯爵エドワード・スタンリーの考えではないと思います)しかし、テシオは1935年以前にもFairwayを種付けしていますし、Pharosもこれ以前、これ以降も用いていますので、(Ribotの母の父El Grecoなど)決して見下していたわけではないと思います。ただ、NogaraにはFairwayを付けたかったのでしょう。

 そのせいでしょうか。テシオはNearcoに対してずっと不満をもっていました。国内で無敗を誇り、前年、Donatello IIが敗北したパリ大賞に勝利しても、その評価を変えませんでした。「良い馬さ。でもね…」後に、英ダービー馬Coronachを父にもつ半弟のNiccolo dell'Arcaは、戦時中という事情もありますが、何度も種牡馬として溺愛したのとは対照的です。

 そしてNearcoを英国に60,000ポンドで売り飛ばしたのは、ムッソリーニとファシスト党に対する嫌がらせも含んでいました。1938年、パリ大賞に勝利したNearcoの騎手ピエトロ・グッベリーニは、フランス、パリのロンシャン競馬場でファシスト式の敬礼(手を斜め上に突き出すアレ)をやってしまい、テシオはウンザリしました。
 それが引き金になったとは思いませんが、テシオがイタリアの至宝Nearcoを英国に売り飛ばした事を知ったムッソリーニは激怒。テシオを呼び出し、問いただしました。
 そのときテシオは「これで世界は、イタリアには60,000ポンドの価値のあるものを生み出す力があると知るでしょう」と言い返したそうです。

 

ロンシャン競馬場のバックストレッチ

そういえば、競馬場の周りは自転車のロードレース用に舗装されており、練習走行している人たちがいました。


<英ダービー馬へのこだわり>

 フェデリコ・テシオは晩年まで、エプソムダービー馬にこだわりました。
 「サラブレッドが優勝劣敗の生物であるならば、その基準はエプソムダービーの着順である。でなければ、私はサラブレッドの生産なんてしない」と、言っちゃったくらい、エプソムダービーの勝ち馬にこだわりました。

 初期の頃は、英ダービー馬を父に持つ、比較的安価な牝馬を購入。
 Signorella(by Common)Madree(by FlyingFox) Catnip(by Spearmint)など。
 
 英ダービー馬を受胎した牝馬を買うこともありました。
 Fragonarda(Isinglass-Flirtation by Royal Hampton)
 
 イタリアに縁があり、牝馬で英ダービーと英オークスに勝利したSignorinettaの半兄Signorinoは、イタリアで種牡馬入したこともあり、初期は良く利用したようです。
 Van DyckやGianpietorinaなど。

 英ダービー馬を父にもつ牝馬に英ダービー馬を付けるのもよくやったようです。
 有名どころは初期の名牝Fausta(Spearmint-Madree by Flying Fox)
 活躍はしませんでしたが、Nearcoの半兄にNicomaco(Gay Crusader-Catnip by Spearmint)という馬もいました。

 良く使ったのは、Captain Cuttle、Coronach、Manna、Papyrusなど、戦後は、BluePeterやOwenTudor、My Loveも利用しました。
 
 偏屈なほど種牡馬Nearcoには興味を持ちませんでしたが、Nattier(Straight Deal-Neartic by Nearco)という、英ダービー馬を父に持つ、Nearco牝馬の子を所有してみたり(でも、すぐ手放した模様)英ダービーに勝利したNearcoの子Danteやニンバス(全兄弟Sayajiraoも)は用いました。
 
 Hyperionが嫌いだったとは思いませんが、戦時中だったり、おそらく事情があって直接種牡馬に使ったことはないようです。父のGainsboroughや、Hyperionの牝馬(Coronary、Vetoなど)や、Owen TudorやRockfellaら子の世代は種牡馬には用いました。 



 これほどまでにエプソムダービーにこだわったにも関わらず、勝利どころか、参戦すらしていない模様です。(イタリアでのライバル、デ・モンテルも、サーローランドも参戦していない。もしかしたら、イタリア人は参戦できなかった?なぜ?)
 
 ライバルである、ダービー伯爵は当然として、マルセル・ブサックも、アガ・カーン三世もエプソムダービーに勝利しているのに、フェデリコ・テシオは一度もエプソムダービーを勝利することはありませんでした。
 
 悔しかったのでしょうか。興味がなかったのでしょうか。今となっては分かりません。
 もしも、ルール上、参戦できなかったのならば、種牡馬としてイギリス人に売りつけたNearco(Dante、ニンバス、Tulyar)とDonatello II(Crepello)がエプソムダービー馬を送り出して、今やその子孫たちが毎年のようにエプソムダービー馬を生み出していることに、あの世から、ほくそ笑んでいるのかもしれません。


英国ダービー馬を種牡馬に用いた成功例
Coronach→Jacopa dell Sellaio、Niccolo dell'Arca
Papyrus→Sanzio
Sun Star→Scopas
Blenheim→Aquaforte
Mahmoud→Donatello II
Cameronian→Nakamuro
Owen Tudor→Theodorica
Dante→Toulouse Lautrec
Blue Peter→Botticelli

フランス・ダービー馬では、Sardanapaleや、Verso II、ブサックのTurbillonも用いています。

 フェデリコ・テシオは、四代続けてエプソムダービーを勝った直系ラインは存在しない、と発見しました。でも、これは確率の話なので、絶対に出ないわけではないと思います。(Galileo-New Approch-Masarが、最近の三代制覇で、Masarが続くか?ですね。今はGalileoの子が強いので、いずれ出そうな気もしますが、どうでしょうか。※一旦途絶えたけど、三代以上続いている例Doncaster(1873)-Bend Or(1880)-Ormonde(1886)-(Orme)-Orby(1907)-Grande Parade(1919)※→ちなみにこのあと、Diophon-ダイオライト-セントライトにつながる。日本は有名どころでは、シンボリルドルフ-トウカイテイオー、ネオユニヴァース-ロジユニヴァース、ディープインパクト-コントレイルあたりが有名ですが、三代続いた例はないですね。)

 

 

つづく