Fabbrica delle bambole fatto a mano Lisa&Mary

誰も見たことがない人形のドレスと、ユベントスを愛する人、そして、誇り高き乙女たちへ。


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さて。ミラノの寄宿舎を卒業して、トリノに帰ってきたフェデリコ。

親族の薦めか自分で決めたのか。モンカリエリにあるReal Collegio di Carlo Albertoへと進学します。http://www.realcollegio.carloalberto.org/

どうやら貴族や富裕層の子息が集まる寄宿制度の大学だったようですね。

ちなみに。Real は王立。Collegioはカレッジ、学校。カルロ・アルベルトはサヴォイア家サルデーニャの王様で後のイタリア王国初代国王になるヴィットーリオ・エマニュエーレのお父さんです。

 

 

モンカリエリのその先には世界的なデザイン工房ピニンファリーナがあります。

わたしは入り口だけ見て帰りました^^;さすがに中に入る勇気はありませんでした。

 

 

後にサラブレッド生産に生涯を費やすフェデリコは、いくつか学位をもっているようです。

たとえば、Laurea in scienza social 社会科学 Laurea in architettura 建築学、

後にフィレンツェでは政治学を学んだようです。

 

このモンカリエリではフランチェスコ・デンツァという司教に師事します。

このフランチェスコさん。この人だけで分厚い本かけるほどスゴイ人みたいです。

ざっくり経歴を書きますと。1834年ローマ生まれ。いつから信徒になったのかは不明ですが、聖バルナバ派の人だったもよう。彼が研究、学んだのは、気象学、天文、地磁気、隕石、これはどうも宇宙を研究していますね。そして1887年、当時の教皇レオ13世より天球儀の制作を依頼されます。ローマ教皇がですよ?かつてガリレオを批判したバチカンが、今度は天球儀を作れと依頼したのは、どんなドラマがあったのか想像するとぞくぞくします。このレオ13世という教皇は、これまでのキリスト教と近代科学、社会を上手いこと付き合わせようとした人のようです。詳しくはwiki調べてみてくださいw

 

 

この時に学んだ知識は後にどんな影響を及ぼしたのでしょうか。星の動きで馬の配合を考えたという占星術的な話も聞きますし、気候や温度は牧場経営の上で重要な要素でしょう。

この世界はとてつもなく大きいということも知ったのではないでしょうか。

やがてフェデリコは世界放浪の旅に出ます。

 

次回は放浪編です。

 

 

 

 

 

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再びの番外編は、どうして私がフェデリコ・テシオをラブになって、トリノまでいっちゃって、ドルメロ牧場探しにいったのかーという小ネタです。

たぶん、フェデリコ・テシオという名前を初めて聞いたのは、ダビスタIIIの全書だったかなと思います。だから、1995年くらいですね。でもまだ、それほど詳しい記述はなかったと思いますが、なんだかスゴく天才!みたいに書いてあったと思います。まだインターネット黎明期でググって…いや、Googleはまだないや。Yahoo!やgoo検索だったかで、色々調べていたと思います。

競馬ブックや、久米裕さんのI理論の本なんかからフェデリコ・テシオの名前を拾ってはメモっていたかな。あと大学の競馬の本にも載っていたような。

で。ちょうどこの頃ダビスタから端を発した血統競馬ブームで、色んなその手の本がでていたんですね。私もたくさん買い漁って、読み漁ってるとある本に出会います。

石川ワタルさん著の世界名馬ファイル(光栄)です。もともとでていた同様の本をまとめたものだったようですが、この中でネアルコとリボーの記述で、石川さんはドルメロ牧場を訪ねているんですよ。それがすごく、うらやましくて妬ましくて(^^;;実際にドルメロ(ドルメロという地名があると当時は思ってました。実際はドルメレットにあるドルメロ牧場)に行った人がいる。イタリアのアローナ、マッジョーレ湖の近くにドルメロ牧場があるんだーと、憧れたわけです。

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そこからはもう、アローナはどこ?ドルメロはどこ?と地図を見ながらさがして、まだGoogleマップはなかったので、図書館で地図をコピーしようとしたけど。なんやら著作権で1ページはコピーさせてくれなくて、ケチとか思ったり(^^;; 
精華町の国会図書館で見つけた、イタリアの競馬という本と、凱旋門賞の歴史という本はすごく勉強になりました。

イタリアの競馬という本には、フェデリコ・テシオの簡単な履歴の記述があって、それで生年月日や出生地が分かったんですね。その町がトリノ。

元々、イタリアはフェラーリが好きだったので興味はあったんですが、トリノって言われてもピンと来なかったんですね。でもそのうち、サッカーのデルピエロのファンになって、そしたら、彼のチームのユベントスはトリノが本拠地でしょ。もうだんだんトリノにいきたいーと思うようになったわけです。

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それで2010年。イタリア語も全く話せないままトリノに、フェデリコ・テシオとアレッサンドロ・デルピエロという名前だけを頼りに旅立った…。いや実際は仕事と現実から逃避しに行ったわけです(^^;;

最近の石川ワタルさんの本にもフェデリコ・テシオの記述があって、まだまだ知らないお話をご存知なようで、ぜひとも石川さんには伝記を書いてもらいたいです。なのでこのブログは、石川さんへのファンレターでもあるわけです。

他にもためになった本があります。
一部をご紹介。

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イタリアから通販。
もちろん全部イタリア語。貴重な写真が多くて、ルキノ・ヴィスコンティと一緒に写ってるフェデリコ・テシオの写真とか秀逸。生産した馬の解説とかもあって全部読めるとすごく面白い…はず。だって読めないもの。

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同じくイタリアからお取り寄せ。こちらはフェデリコの簡単な伝記。写真少な目。私の好きなフェデリコ・テシオの言葉、人よりも一つだけ失敗を少なくしようと努力する、が載ってる。

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イタリアからお取り寄せ。イタリアの本屋探したけど、フェデリコ・テシオどころか馬の本すら見つけられなかったです。トホホ。
これは有名なサラブレッドの生産。英語。1番難解かも。伝記ではないので、生産の謎解きしたい人向け。

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これが最近の発見。昭和の子供向けの本。ところがフェデリコ・テシオの記述が結構あって、フェデリコ・テシオを馬の有名な研究者として、紹介している。フェデリコ・テシオの発見した馬の生態の記述あり。

他にも参考になったWEBサイトや、血統検索ツールとかありますが。また、いづれ。


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フェデリコさんはですね。1875年、6歳のときミラノの寄宿舎に入ります。

なんでもwikipediaによりますと(笑)

中世の頃まで富裕層の子息というのは家庭教師なんかを雇うのが一般的で、学校に通うのは貴族の子たちだけだったらしいです。やがて19世紀になると富裕層の子たちの学校が必要になってきたそうです。貴族よりも商人の方がお金持ちになってきたのですね。

そうして産まれたのが寄宿舎パブリックスクールで、1868年にイギリスでパブリックスクールというものが定義されたそうです。フェデリコがミラノの寄宿舎に入ったのが1875年といいますから、イギリスの文化が早々にイタリアにやってきたわけですね。(そもそもそれ以前にそういう施設があったのかもしれませんけど)

 

 

トリノポルタノーヴァ駅からミラノ中央駅まで普通列車で約1時間半。ユーロスターなら約1時間。乗ったことないけど、イターロなら1時間以内?でもそれは今の話。百年以上昔はポルタノーヴァ駅はないから、最近改築されたポルタスーザ駅から、ミラノ中央駅も、今の駅舎ではない昔の場所へ、蒸気汽車だろうから、4,5時間はかかったのはないでしょうか。

 

 

お金持ちの子どもの六歳ってどんな感じなんでしょうかね。両親がいないってことを理解できているのかなぁ。我が儘放題に育ったのか、ジェントリィとして育てられたのか。結果だけみるとフェデリコは悪党になることはなかったのだから、良い育ちをして良い教育をうけたのだろうと思います。今も昔もミラノの象徴といえば白亜の教会ミラノ大聖堂。フェデリコはきっとこれを見ているだろうし、その近くのスカラ座にオペラも見に行ったに違いない。サンタマリアデッレグラツィエ教会に最後の晩餐を見に行ったりもしたかも。

国王のお膝元厳格なトリノではなく、自由な気質のミラノが小さなフェデリコに与えた影響はなんだったのでしょうかね。

 

 

17歳でフェデリコは寄宿舎を卒業。後見人(誰でしょうか、母方の親戚のおじさんかな)から親の遺産50万リラを受け取りました。大金を手にしたフェデリコはどんな気分だったんでしょうね。成人してこれからは自由にやっていける。お金もある。女も買える!とか思ったんでしょうか(笑)

 

 

この後、フェデリコには兵役と大学があるようです。兵役はこの時代ほとんどの国であった制度でフェデリコは上手い具合に騎兵隊に徴兵されたようです。兵役と大学どちらが先かは分かりません。(今のイタリアでは事実上の中止状態だそうです。でも、イタリア人の男の子は20歳頃になると厳格な家では、短い髪の毛にしろ!戦えないぞ!みたいな事を年配者に言われてウンザリするそうですw)

 

フェデリコが学んだ大学は二つ。

一つは故郷トリノの郊外モンカリエリにあるReal Collegio Carlo Arberto di Moncalieri 通称モンカリエリ大学(http://www.realcollegio.carloalberto.org/)。もう一つはフィレンツェのIstituto Cesare Alfieri(http://www.sc-politiche.unifi.it/)チェーザレ・アルフィエリ大学。リンク先見て頂けると分かるのですが、どちらもすごく歴史ある感あふれています。

 

さて次回は。

フェデリコ、天文学と建築学を学ぶ、の予定です。

 

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