日本の伝統的な食生活が失われ始めたのは、戦後、アメリカの食生活が政策として日本に持ち込まれたことに端を発しています。
飢餓による栄養失調が病気の原因であった戦後、
高タンパク高脂肪高カロリー食が体を作る健康食と考えられてきました。
今ではちょっと見かけないようなどぎつい着色料のついたお菓子が駄菓子屋さんに並び、家庭では何でもかんでも魔法の調味料味の素を多用する。
そのうち、街にはファストフードや外食チェーンが増え、
家族で連れだって食べに行く。
何時の間にか、調理に手間のかかる多品目のおかず中心の献立を作らなくなり、和食からも離れてしまいました。

よく言われる子供の頃好きなメニューは、
「お母さんは休め」(ちょっとアレンジ)

お:オムライス
かぁ:カレーライス
さん:サンドイッチ
は:ハンバーグ・ハンバーガー
や:焼肉・焼きそば
す:スパゲッティ
め:めん類

単品で手抜きができる、カロリーは高いが栄養バランスの偏ったメニューです。

みんながアメリカ式の食事に目を向けて、日本のソウルフードを忘れさろうとしていた戦後に、
色々な病気や体の不調が誤った食習慣にあり、
無農薬有機肥料の力強い野菜を使った日本伝統の自然食で病気を治すという診療スタイルをずっと続けてきた先生がおられます。
自然食の会会長で、あんどう医院院長・安藤孫衛先生
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1918年(大正7年)生まれで、現役でご活動なさっておられるそうです。
長崎でご自身も被曝され、玄米と味噌などを使った日本の伝統食で被爆者を救った聖フランチェスコ病院の秋月先生と一緒にご活動なさっていた先生です。

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安藤先生の病院で提供されている食事(あんどう医院HPより)

今のように、高脂肪高タンパクの食事の弊害が理解されていない時代。
政府を含め、皆がそれを良しとしている時代。
それに異を唱え続けるのは並大抵のご苦労ではなかったであろうと考えられます。
その先生の活動は、裾野を広げて現代まで脈々と受け継がれています。

福岡のホリスティック協会の講演会の折、
自然食の会の皆さんとも交流させていただく場がありました。
現在80代で自然食の会 副会長である刀坂成子先生は、
ピンクのコートを華やかに着こなす素敵なお方。

戦後、長崎の学校で当時のアメリカ式の栄養学を学び、
栄養改善の為、当時高価だった卵の代わりに、
高栄養価のマヨネーズを使うことを積極的に勧めていたそうです。
安藤先生との出会いでそのおかしさに気づき、
その後は安藤先生と一緒にご活動なさってこられたそうです。
農薬を使うのが当たり前だった当時は、農家の方からも
消費者からも変人扱いされたり、
栄養士会からは波紋されたり、
大変なご苦労があったとお話されていました。
今や、日本の自然食の草分け的存在です。
その刀坂先生を慕ってたくさんの方々が会に集い、
福岡の地で若い世代に食の大切さを伝えておられます。
娘さんも栄養士さんですが、とても視野の広い素敵な方でした。

こうして、世代から世代へと、受け継がれる食は文化であり、
私たちの体の礎です。
次の世代に胸を張って伝えていける日本の食を、大切にしたいですね。

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「カラダに嬉しい自然食」