どんな自分も許そう
どんな自分にも◯をつけよう






とはいえ、難しいよね


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頭ではわかっていても

自分が認められない自分を認めるって
簡単じゃないですよね







私は

他人と比べて自分がダメだって思うこと

悲しみからの怒りが強いこと

人に自分の気持ちをわかって欲しくて価値観を強要したくなる

余裕がないと子供に怒鳴る

暴力的な言葉(脳内で考えるだけも含)や態度

理不尽に怒る









他にも色々嫌なことがあるけど

これ、自分がしたくないことであり

自分がされたくないと強く思っていること

なんですね







許したくないじゃん

してもいい

されてもいいなんて

思いたくないじゃん








でね、試しにやっても許す、抑えないでみるをしてみたら


一時期すごいエスカレートしたの

苦しいの手離したくてやったのに
ダメじゃん!
Beマス行って余計悪化してるじゃん!!って思ったし(笑)






今まで抑えてた留め金が外れて気持ちが抑えられなくなって

これはますますいかん!
ますます嫌な事態に、嫌な自分になってる!って思って

まあ、そう思ってる時点で否定しながらやってるわけで
私がしてるのは、自分を許すじゃなくて、行為に対して開き直るだったわけなんです

許してって教わったからいいんだもん、許す!みたいな(笑)
その時点で本当はめっちゃ自分責めてるしね


なんか違うんだなーって思ったの









怒りの正体は

私が我慢してるんだからあなたも我慢してよ!
私はそんな人になりたくない!なっちゃいけない!か

自分が欲しい(または本来もらえるはずな)のに得られないと強く思っているものを、目の前に持ってる人が現れた時で(つまり嫉妬)

イライラした時、モヤモヤした時って
本当に自分のしたい事や、禁止している事を写している鏡なんだなってつくづくこの年末年始で思いました。








で、話を戻すけど
行為を許すというより

そういう思いがあるという事を許すなんだなと気づきました。

私が感じる悲しみや怒りが
否定されるものではなくあっていいと思う事




感情をぶちまけていい!とはちょっと違くて

ぶちまけたとしたらそれはそれで
それほど深い悲しみがそこにあったんだなって

その感情を消そうとせずに受け取って
ドロドロだったりネチネチだったり情けない恥ずかしい思いだったり
自分にとって嫌な嫌ーな気持ちを

感じていい、あってもいいものだと受け入れるタイミングがやってきただけの事。

恐ろしい事に、受け取るまで何度でもこのタイミングはやってくるから、早く受け取っちゃったほうがいい(笑)



で、そんな強い感情に振り回される自分もいてもいいじゃん、
そんな完璧になりたくてもできないのが人間じゃない?を受け入れると


他人がそうした態度を取った時に
行為は嫌だったとしても
あー、そういう時あるよね、なんか本人も辛いんだろうな

を受け入れられるという事がやっとわかった。






そして
許したらエスカレートするんじゃなくて
許したら必要がなくなるんだよね

気づいたら、子供に怒る頻度や怒りの大きさは随分減りました。

今もあるけど、抑えようとするほどダムみたいに溜まる。

開放すれば減っていく、なくなる。







人に対する否定は自分への否定
人に対する怒りは自分への怒り
人に対する悲しみは自分への悲しみ

人を許すと自分を許すは同時









嫌な気持ちを感じた時は
外に向けるというよりも、つくづく自分のダメさと、同時に愛されているを知るチャンスだなと思ったお正月でした。