村上龍の著書『5分後の世界』は2001年に、PS2でノベルゲームとして発売されています。
私がゲームパッケージの裏を初めて見たとき、目に入ったのが『第2次大戦後も降伏せず闘い続けた日本』という文字だったと思いますが、これに恐怖したのを覚えています。
幽霊だとかファンタジックな恐怖ではなく、現実的で身近な恐怖でした。
日本の人口が26万人まで減少しても、戦い続ける日本。
これを考えたとき、本当に護らねばならないものは何だろうと考えてしまいます。
私は原作を読んでいないので、知りませんが、ゲーム板には歴史教科書が出てきます。
これが恐ろしいので、全て引用してみました。
以下、引用文です。
……第九章現代
〈その一:大日本帝国の消滅〉
……一九四五年五月に首都ベルリンを占領されてドイツが降伏し、戦いを続けているのは大日本帝国だけとなりました。
大きな都市は全て焼け野原となり、軍事施設や工場だけではなく、住宅地も空襲を受けたことで多くの日本人が殺されていきました。
そして八月、ソ連(現ロシア)が条約を破って、満州、樺太、千島列島に攻め込んできました。
八月六日には広島(本州西部の都市、現在は無い)、九日には長崎(九州の、現在の中国区の一都市)、二十六日に新潟(現在は第三ロシア区の一都市)、九月の十一日には舞鶴(本州日本海岸沿いにあった港町、現在は無い)に原子爆弾が投下され、それぞれ十万から二十万の人々が殺されました。
旧日本軍の指導者たちは、本土決戦の準備を進め、『義勇兵役法』などの勅令を出しました。
それは、少年少女から老人までほとんど全ての国民を兵士にするというものです。また、さまざまな特別攻撃隊がつくられ、二十歳前後の若者が、体当たり攻撃で数多く死んでいきました。
十一月三日、アメリカ軍は、南九州に上陸してきました。
子供や老人を含めた旧日本軍はよく戦いましたが、武器、弾薬、食糧、衣料、医薬品、あらゆるものがなく、翌年、四六年の二月には九州が占領されてしまいました。三月には、ソ連が北海道に上陸、関東の海岸にはアメリカ軍が上陸してきました。
戦闘と空襲によって、交通や運輸、通信などの、国としての働きは全て止まりました。
六月、アメリカ軍は東京を占領し、軍の指導者は逮捕され、大日本帝国は消滅したのです。
この戦争において、日本の人口はそれまでの八千万人から五千万人に減り、更に戦後の占領軍による虐殺、ゲリラ戦、飢え、疫病、衣料や食糧や医薬品の決定的な欠乏などによって、五一年三月には日本人の数は一千万人を割ったと言われています。
そして、難民として日本を脱出する人もあとを絶たず、さらに減少していくことになります……
〈その2:地下司令部の誕生〉
今、私達が住んでいる日本国・地下司令部はどのようにしてできたのでしょうか。これは、旧長野に、旧日本軍が作ろうとしていた地下大本営が、基礎になっています。
一九四四年十一月、外地から生還した旧日本陸軍将校団は、旧長野の地下工事の仕事に就きました。
この時、将校団の指導者的立場であった坂本悟大佐は、旧日本海軍管制本部の中嶋龍一少将と共に、これまでの戦闘経験を活かした日本防衛のための独自の考えをまとめ、その極秘計画を実行に移しました。
まず、海軍技術研究所の技術観を集め、陸軍将校団とのネットワークをつくりました。そして、地下大本営とは別の設計図に基づいてトンネルが作られ始めたのです。
工事が本格化していく過程においては黒田信行大尉をはじめとする旧日本海軍将校団も加わって、より大規模なものになってゆきました。
もちろん、作業は簡単ではありませんでした。
建設資材の不足、労働力の不足、それに、監視する憲兵団もいました。
しかし、大学や民間企業からも協力する人たちが出てきて、トンネルは広く、深く、長く伸びていったのです。
四七年に起こった東北戦争(「冷戦のはざまで」を参照)、さらに五〇年に起こった朝鮮戦争のため、各ブロックは軍需物資や食糧の貯蔵庫となり、軍需品の生産・調達もおこなわれて、特に旧四国を中心とする新工業地帯は、一時的な好況を迎えました。
地下司令部はこの時期に充分な食糧、物資、さらには外資・ドルを得ることに成功し、トンネル内には病院、学校、住宅をはじめ、各種の工場や研究所も造られ、注目すべき成果をあげました。
その代表が「乙型」と呼ばれる軽量化プラスチック、「は号」強化セラミックス、地下栽培が可能な稲の品種「ホタル二号」、極小トランジスタなどで、五〇年代後半には小規模ながら輸出も始まりました。
以降も日本国・地下司令部の研究室では、化学製品、新しい素材、エレクトロニクスなどの分野で画期的な発明や開発が相次ぎ、今も世界の市場に大きな影響を与え続けています……。
〈その3:冷戦のはざまで〉
……一九四六年八月、連合軍は第二次世界大戦が完全に終わったことを宣言しました。しかし、それは新しい戦いのはじまりでした。
ドイツは東西に、朝鮮は南北に、国土と民族が分断され、アメリカとソ連(現ロシア)の対立は次第に深刻なものとなっていきました。
国土(現在の、旧北海道、本州、旧四国、九州の四つの島のこと)のほとんどが焼け野原となった旧大日本帝国は、北海道と東北をソ連、本州の残りと九州の大半をアメリカ、四国をイギリスそして西九州を中国によって分割統治されることとなりました。
ソ連はポツダムでの協約を無視して、北海道と東北に自治区をつくる準備を進めました。
アメリカはそれに対して警告を繰り返し、両者の緊張は高まっていきましたが、
ついに四七年十月、宮城南部(現在の第二ロシア区の一部)で、東北戦争がはじまりました。
地下司令部はアメリカの要請を受け国民兵士を派遣、この戦争は、世界中の戦史家の著書に「最高度のゲリラ戦」として記録され、その後のゲリラ戦争、戦略、戦術の手本となりました。東北戦争以来、国民兵士に対する各国の認知度は非常に高まりました。
八〇年、ソ連が旧福島県の安達太良山に秘密裏に建造していた山腹基地を矢作恭介大尉率いる部隊が攻撃、甚大な被害を出しながらも、歩兵のみでそれを壊滅しました。その戦果は国民兵士の強さを全世界に知らしめました。
八〇年代初頭、アメリカは自国主導型の国連組織づくりを実現化していったのとともに、国内経済も活発化していきました。
一方、高度な技術産業への転換ができなかったソ連は八六年から政治や経済の改革を進め、言論の自由化も進め、国名もロシアへと変わります。ここで、国力の弱まったロシアに対して圧力をかけたのがアメリカでした。
(ソ連=現ロシアは現在も国連に加盟していません)
そしてシベリア紛争が勃発、地下司令部はロシアからの要請を受け国民兵士を派遣し、大戦果を収めました。
地下司令部はソ連やアメリカと戦いましたが、それはまた、アメリカやソ連から食糧や武器を得るためのやむを得ない作戦でもありました。
大日本帝国消滅後もトンネルは広く作られていましたが、食糧や物資が不足し、危機的な状況が続いていたのです。
しかしアメリカをはじめとする諸外国に屈したわけではありません。
地下司令部は、ことにアメリカを最大の敵であるとみなし……
〈その4:世界との関わり〉
……第二次世界大戦が終息すると間もなくアメリカ、ソ連、イギリス、中国は、日本民族の絶滅を謀る「技術移民」を開始、二千年の歴史を誇る国土に、五百万人をゆうに超える外国人が入植してきて、各ブロックで混血化が急速に進んで行きました。
一九六○年代に入り、世界経済が安定してくると、各国の技術移民政策は行き詰まり、生産性の悪さのために資本を引き上げる企業もでてきました。
アメリカは、中南米からの不法入国者や東欧からの亡命者を、イギリスは本国の失業者アフリカからの出稼ぎ者をそれぞれ半強制的に旧日本に送り込んでいたのです。
六二年、イギリスは突然、旧四国から手を引くことを決定し、三百万の移民は放置されました。
計画性のない移民のため、各ブロックの都市部には失業者があふれ、巨大なスラムがいくつも誕生しました。
混血化は一層進み、暴動も頻発し、第一次石油危機のあった七三年には暴動による各ブロックの死者の数は十万人を超えたと言われています。
外交面では、中南米、東南アジア諸国との関係を深め、アメリカやソ連、中国といった大国の干渉に苦しむ国に対しては軍事的に援助しました。
ラオス、カンボジア、ベトナムなどにおいては、対帝国主義戦争をともに戦いました。竹内剣次大尉は世界で最も注目を集めた国民兵士でしょう。
五七年、竹内剣次大尉以下六名の国民兵士は香港を経由してキューバに向かい、キューバ東部の山岳地帯でフィデル・カストロ率いる反乱軍に合流し、革命を助けました。
国民兵士のこうした活動に対し、アメリカは国際世論を無視して、旧長野の地下で計八回にわたり小型の核爆弾を爆発させました。
しかしそれも、地下司令部は戦術核を製造し発表することで、アメリカの対日核戦略を凍結に追い込みました。
五年前に九州で起こった「ビッグバン事件」では、突如発生した「ヒュウガ・ウイルス」が国外にまで広まり、これを抑える方法は皆無とまで言われました。
しかし奥山泰輔中佐率いる生化学研究所は治療と予防法を確立、その技術を世界に無償で提供しました。
この行為は世界から認められ、我々「伊豆半島一帯を非武装地帯」とし、下田区に「公然と物資の搬入出が
可能なトンネル口」を建設することを国連側に承諾させ……
〈その五:日本国の今後〉
……全世界は今や混乱と、迷いの時代に入っています。
武力紛争、内乱、飢餓、環境破壊、差別、数えきれない問題が至る所で起こっているのです。
国連はもちろんのこと、どの国も次の時代に向けての、新しい価値観をつくりだしていません。
しかし、大切なのは価値観や目的意識ではありません。ここが、我々日本国とアメリカの最大の違いです。
最も重要なのは、生き延びていくこと、生存そのものです。
我々日本国が戦争を通じて学んだことは、まさに、そのことでした。
生き延びて行く為に必要なものは、食糧と空気と水と武器、そういうものだけではありません。勇気とプライドが必要です。
我々は、世界中のどの国も経験しなかった危機の中から出発し、今も危機の中にあります。アメリカを中心とする国連軍との戦いは続いています。
その戦いが止むことは絶対に無いでしょう。
しかし、ラテンアメリカ、アジア、アフリカから、また内乱や紛争に喘いでいる国々から、我々は信頼されています。
我々の、軍事的能力とプライドが信頼されているのです。
我々はどの国の助けも借りずに今まで生き延びてきて、どの国にも降伏せず、どの国にも媚びず、
どの国の文化も真似ずに、全ての決定を、我々自身が下してきて、全世界に影響を与え続けています。
『如何なる差別の意味もない国はアンダーグラウンドの日本だけである』一九七二年に地下司令部を訪れたアインシュタイン博士を団長とする国際視察団が発表したコメントです。
全ての差別は、勇気とプライドがないところに、世界に向かって勇気とプライドを示そうという意思のない共同体の中に、その結束と秩序を不自然に守るために生まれるものです。戦争によって、そして戦後となってからも各ブロックで殺され死んでいった、何千万という日本人のことを忘れてはなりません。
これからもこの地下の中から世界に向けて、我々の勇気とプライドを示していかなくてはいけません。
敵にもわかるやり方で、世界中が理解できる方法と言語と表現で、我々の勇気とプライドを示し続けること、それが次の時代を生きる皆さんの役目です……
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