―――東條首相の遺言、そのつづき
現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
東亜民族の誠意を認識してこれと協力して行くようにしなければならぬ。
実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。
実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
いまや満州は赤化の根拠地である。
朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。
従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。
日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
それは一応は賢明であるというべきである。
しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
―――
赤とは、共産主義を指します。
米国は、日本を潰した結果、太平洋の覇権のみならず、西側(冷戦後は世界)での主導権を握るに至りました。
ですが、アメリカは大きな失敗を犯したといえます。
東條元首相が述べたとおり、共産主義の膨張を招いたことです。
戦前の日本、大日本帝国は極東での生存権を賭けて戦いましたが、もう一つ大きな役割を担っていました。
共産主義の膨張阻止です。
当時も今も、危険極まりない思想である共産主義。
ソビエト連邦にとって目障りだった日本が斃れると、ソビエト連邦はなんの邪魔なくアジアへ進出ができるようになります。
その結果どうなりましたか?
満州は瞬く間に共産主義者の手に堕ち、中国は
現在まで世界平和に脅威をもたらし続ける中華人民共和国の成立を許しました。
戦前日本が恐れていた事態はまさにこれだったのです。共産主義がどれ程危険のものだったのか、それは戦後を見れば容易に分かります。
チトーのような極々一部の有能な指導者はいたにせよ、
スターリン、毛沢東、ポルポト、チェウシェスク..。
一体、共産主義のもとに何百万人が死んだのでしょうか?
実は、第2次世界大戦の犠牲者よりも、戦後に共産主義下で犠牲になった者の方が多いのです。
当時、日本を占領していた米国は
二度と日本が立ち上がれないように、飼い殺しにする
という占領政策でした。
ところが、1949年に中国で中華人民共和国が成立。
1950年には朝鮮戦争が勃発しました。
日本という存在が消滅した結果、東アジアは瞬く間に赤に染まってしまいます。
この事態に米国は慌てて日本の占領政策を解き、日本の独立を認めました。
その後に米軍は
日本の再軍備と朝鮮戦争への日本軍の参加
を要請してきましたが、当時の首相・吉田茂がこれを拒否しています。
アメリカの都合で日本を踏みつぶしておきながら、やっぱり共産主義が手強いから日本も共に戦ってほしいとは、どこまでも身勝手ですね。
ふざけるなという話です。
しかしこの当時のアメリカ大統領トルーマンが、共産主義の脅威を十分理解していたことは幸いと言えます。社会主義者とも思える前任のルーズベルトとは大違いでした。
ルーズベルトがあと4年早く心臓発作で死去していれば情勢もまた変わっていたでしょうに。
それともう一つ、東條元首相の鋭い指摘があります。
「世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。」
これはまさに真理を突いているのではないでしょうか?
現行憲法の前文は明らかに日本語がおかしく、占領軍が草案したことがハッキリ感じとれますが、その中に「諸国民の公正と正義に信頼し」という一文があります。
ですが日本の周辺国、中国、韓国、北朝鮮 ロシアを信頼し、丸腰になろうと思えますか?
私は絶対に反対です。
これらの国が、戦後にやってきたことや現在行っていることを踏まえると、信頼できる要素がどこにあるんでしょうか?
国家の安全の全てを周辺国にゆだねると言う行為自体が狂気の沙汰といえますが、このような主張をしている日本の政治家がいることが信じられません。
どれ程の綺麗事を並べても、対話のみ平和は守れるというのは、実現しえない理想論にすぎません。
国際社会では、力がなくては平和は守れないのです。
悲しいですが、それが現実なのです。