ヒルズ族になれなかった男 | Lin's Times

ヒルズ族になれなかった男

<縦並び社会・格差の現場から>ヒルズ族になれなかった男

 新聞が「極寒」と書いた12月半ばの香港。中心部からやや外れた北角地区のオフィス街は、雑然とした雰囲気が東京の池袋を思わせる。

 松島庸(いさお)さん(32)はこの街で今年夏からインターネットを利用する格安電話(IP電話)販売会社の雇われ社長をしている。部下は5人しかいない。親会社の日本人社長は自分より若い。「35歳がシステム開発できる限界だ。これが最後のチャンスだと思う」

 4年前まで東京でITベンチャー企業「クレイフィッシュ」の社長をしていた。サイバーエージェントの藤田晋(すすむ)社長(32)、ライブドアの堀江貴文社長(33)と若手IT起業家の「三羽ガラス」と呼ばれた。

 高校生の時に経済誌のフリーライターを始めた。95年、「インターネット上に街をつくる」ことを目指し、大学在学中の21歳で起業。中小企業向けにメールやホームページを提供する新規事業を立ち上げた。26歳の00年3月に米ナスダックと東証マザーズに日本企業で初の同時上場を果たし、国内の最年少記録も藤田社長とともに更新した。

 最盛期の社員は250人。個人資産は2000億円に上った。堅実な母親は取引先に伊藤忠商事があると聞き、「まだ遅くないから入社させてもらいなさい」と言った。

 上場から1年余り。大株主とのトラブルで足元をすくわれ、会社を追われる。

 ITバブルの崩壊で若き起業家たちは「ネットは虚業だ」「投資家に死んでおわびしろ」と責められた。

 藤田、堀江両社長も買収の危機にさらされていた。2人は赤坂の看板の出ていないレストランに松島さんを呼んで「残念会」を開いた。電車賃にも事欠いた松島さんに、いつも強気の堀江社長がしんみりと声をかけた。「これで自由になれるじゃないか。うらやましいよ」

 03年秋。ライブドアは売上が前年から2倍の100億円に達した。松島さんはIP電話の営業に行く。アポイントを取ったのは役員だったが、堀江社長が出てきた。互いに昔話は切り出さない。堀江社長は「何か一緒にできればいいですね」と言った。しかし商談は進まなかった。

 松島さんは上海に渡り、再起を図ったが軌道に乗らず、香港にたどり着いた。何が3人の明暗を分けたのか。藤田社長は今も紙一重としか思えない。

(from 毎日新聞)
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彼の人生が詳細に綴られている、秀逸な記事。(上記のリンクに続きありなので一読を)

ってかこのストーリーだけ引き延ばしても一冊の本になるんじゃないかなって思える、失敗から学べる話。

成功と失敗は紙一重、何がそれを分けるのかは分からないけど、一瞬で成功者へと駆け上がる決断をする人と、そうでない人がいたことが良くわかる。

自分はこれからどんな決断をして、それがどんな結末に繋がるのだろうか、、、。