毎年のことですが、花粉の季節がバリバリです。軽い風邪のような症状が続きます。
建国記念日で会社が休みだったので、午前中窓を開け放して掃除をしていたら、クシャミが止まりませんでした。
…あれ?ハウスダストかも?
昨年の今日は、会社が休みであることに気がついていませんでした。
なぜなら父が緊急で入院し、ドラマでしかみたことのない『お会いになりたい方がいたらすぐに呼んで下さい』な状況だったからです。
聞きたくなかった言葉に全身が硬直したことが未だ忘れられません。
突然の入院に、親切にしてくれたのは病棟で担当してくれた女医さんだけで、外来担当医は全く役に立ちませんでした。国立病院あたりで急性期を担う医師は、終末期には使えません。参考までに。
早いとこ緩和の医師と懇意にしておくべきだったと今になって思います。
医師だって人間です。
あからさまな差別はしないとはいえ、顔も知らない患者よりは、顔見知りの患者のほうが親身になるだろうことは、今となっては想像に難くありません。
あらかじめ緩和外来に罹っておき、ペインコントロールを委ねつつ、やがて迎えなくてはならない終末期の過ごし方の希望をしっかりと伝えておくべきでした。
それが、いまだに、そして、いつまでも残る私の後悔です。
そんなこともあり、昨年は『緩和』という言葉を考えさせられた一年になりました。
患者側にペインコントロールとしての緩和とターミナルケアとしての緩和の認識の違いがしっかり浸透していないことを、医療者側はもっと真摯に受け止めるべきです。
父の件でもですが、友人たちに聞いたところでも、医師に緩和外来を受診するよう勧められて戸惑ったり躊躇ったりしている患者の気持ちを理解して欲しいと感じたことが一度や二度ではありません。
自分たちの理屈や常識だけで動く医療者があまりにも多い。
面倒がらずにゼロベースの相手に合わせて説明をしていく、という部分が省かれているような気がしてなりません。
そこまで給与に含まれていないと思うような医療者はプロとは呼べないと思うわ、とプンプンしちゃうのは、私の逆恨みでしょうかね。
入院するまでずっと一緒に眠ってた、『おとーさん』のこと覚えてるかな、と時折ふと思います。
今月下旬には、一周忌の法要とともに納骨の予定です。
分骨用に小さい骨壺を用意してみました。
猫たちが乗れないくらいの小さいサイズになりますが、まだもうちょっとお家にいてもらうことになりました。
気持ちの問題、ということで。