前回、息子のADHDの話を書いたが
我が家は転勤族で、
もちろん周りに親、親族はないところで
子育てをスタートさせた。
出産も里帰りするには距離があり
妊娠中トラブルも多かったので
移動ができず、母に2週間ほどだけ
手伝いに来てもらった。

主人も仕事が忙しく
朝、8時に出て行ったきり
日付けが変わってから帰ってきていた。

そのため息子が1ヶ月弱位からは
二人三脚で過ごしてきた。

2歳までは1度、明け方に熱性けいれんを
起こしたが、けいれんも5分以内で治り
その後、救急病院にはかかったが
熱はあるもののスヤスヤと眠っていたので
心配はいらないと言われた。

3歳に少しなる前に
息子は熱を出した。
薬をもらって2人で家にいた。
昼食も食べ、少し熱も下がってきていた。
16時ころ、眠そうだったので
抱っこしてあげてると
片目からだけ涙が出ていた。
目も虚ろ。
眠いだかだと思い
早めにご飯を食べさせて薬を
飲ませようと息子を横にならせて
台所へ立った。

カウンターキッチンだったので
リビングにいる息子はよく見えた。
ただちょっとだけお粥を煮ていた間に
目を離した。
お粥を混ぜて、息子を見ると…
寝かせた場所にはおらず
慌ててリビングに出ると、
窓に顔をピッタリ付けて倒れていた。

熱も物凄く高い。
口からは泡が出ていた。痙攣だ。
取り敢えず横向きにならせて時計を見た。
震えも酷い。

救急車だ!と思い救急車に電話をした。

救急隊員の人の指示に従い
脇にタオルで巻いた保冷剤を
当ててあげた。
変わらず意識は無く、震えなのか痙攣なのか
小刻みに震えていて、口からは泡がでていた。

電話して5分~10分で
救急車が来たが息子の状況は変わらず。
隊員さんに息子の名前を聞かれ
答えると、ずっと息子の名前を呼んでくれた。
がんばろうな。もう少しだぞ!と  

息子がどうにかなるんじゃ…と私は
涙がとまらなかった。

お母さん、落ち着いてね。
保険証と子ども医療受給者証を
持ってきて。

と言われ救急車に乗った。

息子は相変わらずガタガタと震えていた。
震えと痙攣でどの位の頻度で
痙攣が来ているのかがわからない。との事で
市で一番大きな病院へ搬送された。

搬送される間も息子に意識はなく
隊員さんから
お母さんも名前を呼んであげてね。
心配だろうけど僕たちも搬送先の先生も
できる限りのことを精一杯やります。
お母さんも今できることをやっていきましょう!
と。

息子の足をさすりながら
名前を呼んだ。

痙攣だ。と気づいてから30分以上たっていた。

病院に着いてからは
診療の手続きのため息子と離れ
私は診療用紙を書いた。
涙がとまらなく、手も震えていた。
1人で、たまらなく不安だった。

それからどれ位たった分からないが
主人がやってきて
先生が説明によるやってきた。
血液検査や色んな感染症の検査をし、
心配な感染症にはかかっていなく
血液検査もそれほど悪くないとのとこ。

脳波を撮ろうとしたところ
意識が戻り、
今は点滴のシールを剥がそうと
指を動かしています。
ご覧になります?と言われた
息子の元へ行った。
目は焦点も合わず、こちらを見ることは
なかったが無心にシールを剥がそうと
していた。

先生いわく
指先がこれだけ器用に動くので
脳の方は大丈夫かと思います。
可能性は低いですが
ただもう1度痙攣が起こると
良くないので、少し経過観察をして
お家のほうへ戻られたらいかがでしょう?と。

そうします。と話して

そのまま経過観察の部屋へ移動させられた
息子は呼びかけにも応じず
目も虚ろ。
本当に大丈夫なのか…心配だった。
2時間ほど経ち、うとうと眠ったり
起きたりしていた息子が
徐々に目もしっかりしてきて
先生が、うん。大丈夫そうですね。
この点滴が終わったら戻って大丈夫ですよ。
と言われた。

正直、不安だった。

だが点滴の終わる寸前に息子が

かぁか。

と私を呼んだ。
涙が溢れて抱きしめた。
点滴の終わった息子を抱いて帰った。

何の感染症かわからなかったが
その後、1週間は熱が40℃と38℃を
行き来し、微熱に下り平熱へと
2週間近くかかった。

生きた心地のしない2週間だった。

そんなこともあり
息子の熱には敏感で
風邪を引くと1人で看病することが
不安でしょうがなかった。

小学校に上がるまでに
もう1度熱性痙攣をおこしたら
時間を問わず救急車を呼んでくださいと
言われていたので
幼稚園、一応小学校にも伝えていた。

出張の多い主人がいる時に
風邪ひいてることは少なく
いつも居ない時ばかりで
蕁麻疹も出やすい息子。
今でこそ大分落ち着いたが、
息子の食欲のない夜は
どこか調子が悪いんじゃ…と
眠れず不安だった。

こういった生活が
去年、診療内科にかかるようになった
要因の1つになった。