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北朝イスラエル王国の滅亡
ソロモン王の建設した神殿は、南朝ユダ王国の領土内の「エルサレム」にあった。そのため、北朝イスラエル王国は「ゲルジム山」に、別の聖地を設け神殿を作った。しかし、この神殿に祀られていたのは、異教の神を祀り崇拝していた。
紀元前8世紀ごろ、メソポタミア地方に「アッシリア帝国」が勢力を拡大してきて、次々に周辺国家を滅ぼし、紀元前722年、首都「サマリア」がアッシリアによって陥落し、北朝イスラエル王国は滅亡した。
アッシリア帝国の支配下におかれた北朝イスラエル人は、アッシリア軍にメソポタミアに捕囚される。代わって、ほかの国から連れてこられた民族を、入植させた。これが「サマリア人」と呼ばれる人々である。
「旧約聖書」には、北朝イスラエル王国が滅亡したのは、絶対にしてはならない偶像崇拝を、イスラエル10士族はしてしまった天罰として、王国は滅ぼされたと記されている。
南朝ユダ王国の滅亡
北朝イスラエルを滅ぼしたアッシリアは、南朝ユダ王国にまで攻めてきたが、おりしも、神が奇跡を起こしアッシリア軍を討ったため、なんとか危機を脱した。
南朝ユダ王国も、偶像崇拝を行い始めた。預言者「イザヤ」らの警告もむなしく、イスラエル人は堕落していく。アッシリア帝国に代わって、メソポタミア地方に「新バビロニア王国」が台頭。強大な軍事力を持って、他国への侵略を開始し、南朝ユダ王国にも矛先が向けれた。
紀元前605年:偶像崇拝を犯してしまった南朝ユダ王国に、もうはや神の奇跡は起きず、エルサレムは包囲され、多くのイスラエル人が囚人として、首都「バビロン」へ連行されたのが、有名な第一回「バビロン捕囚」である。
紀元前586年:ついにエルサレムのソロモン神殿は破壊され、南朝ユダ王国は滅亡し、イスラエル人はみな捕囚されてしまうこととなった。
ユダヤ人の誕生
紀元前538年:メソポタミア地方に勢力を伸ばしてきた「アケネス朝ペルシャ」が、新バビロニア帝国を滅ぼし、世界帝国として君臨することとなった。
ペルシャ人は、もともとイスラエル人に対して好意的であった。新バビロニア帝国がペルシャによって滅亡すると、ペルシャの大王「キロス2世」は、捕囚されていたイスラエル人が故郷へ帰ることを許した。
捕囚から解放されたイスラエル人は、故郷のパレスチナに向かい、エルサレムに集結。国を滅ぼされたのは自分たちの神にそむいた報いと信じたイスラエル人たちは、以前にもまして強固な信仰を守り、独特の宗教体系を形成することとなる。
今日、私たちが知る「ユダヤ教」は、歴史的に見て、ちょうどこの頃に成立した。
パレスチナに戻ったイスラエル人は、北朝なきあと、「ユダ王国」を樹立する。とくに、このころユダ王国は「ユダイヤ」「ユダヤ」と呼ばれるようになる。
そして、ユダヤに住むイスラエル人は「ユダヤ人」「ユーダイオス(ユダヤ教徒という意味も含む)」と呼ばれるようになる。