ホビットの冒険 オリジナル版/J.R.R.トールキン/瀬田貞二訳/岩波書店

「ホビットの冒険」は、日本では岩波のハードカバー版と少年文庫版、そしてこのオリジナル版の3種類が出ています(山本史郎先生訳の原書房版「ホビット」もあるけど、あれは読み物としては読めない)。

ハードカバーと少年文庫版は日本のイラストレーター寺島竜一の挿絵。そしてこちらのオリジナル版は、原作者トールキン自らの挿絵です。
どうせ買って持っておくならオリジナル版のほうだよなと思い、こちらを購入(品切れ重版未定だったので、アマゾンで中古を買ってしまいました【¥828ナリ】。ごめんなさい)。

まず見て思ったのは、…トールキン先生絵がうめえ(笑)。
表紙の1枚からしてすばらしいです。ほんとうに綺麗な本で、手に持ったときにほれぼれしてしまいました。思えば昔の作家は絵心も持ち合わせている人が結構いたよね。

Librarian Nightbird
表紙。

Librarian Nightbird
背表紙。背表紙から本のなか(奥)へ入っていけるような絵柄になってるんですね。

Librarian Nightbird
なかみの絵も良いです。


ストーリーのほうはというと、突然たずねてきたおかしな魔法使いガンダルフと13人のドワーフ軍団によって、竜退治の旅に連れ出されてしまう、体の小さなホビット族のビルボ・バギンズ(「指輪物語」の主人公フロドの叔父さんですね)が主人公。
奇妙な生き物に襲われたり森のエルフに捕まったりしながら、竜のすみかをめざします。

「指輪」よりずっと明るく楽しげな雰囲気で進んでいくストーリーなのだけど、ただ楽しいファンタジーではなく、スマウグが死んだ後の展開が妙にリアルで残酷で哀しいために、なにか心に刺さって抜けなくなってしまう部分も持っています。

「指輪」でもすごく魅力的だったホビット族ですが、この話の主人公ビルボもとても魅力的。
ストーリーの最初では単なるチョロチョロした頼りないやつだったビルボが、経験を積んで少しずつ新たな面をあらわにしていくようすには心動かされます。
彼が何とかドワーフ、人間、エルフ3種族間の戦争を止めようと奔走するあたりでは、思いがけず、どの種族も持っていないような聡明で純粋な顔を見せて驚かせてくれます。

「ホビットというのは、まことに驚嘆すべきともがらじゃ。わしがかねていっておった通りじゃぞ。ホビットの暮らし方ぐらい一ヶ月もあれば知り尽くせる。ところが、百年付き合ってみたって、いざという場合のホビットたちには驚かされるほかはないな」
(「指輪物語 旅の仲間」)

ガンダルフのこのせりふに深くうなずいたしだい。



なお、問題のサウロンの指輪はこの「ホビットの冒険」でゴクリとともに初登場するわけですが、これに関しては、指輪がまだサウロンに見出されていなかったので、単なる「姿隠しの指輪」以上の機能をほぼしなかった、という解釈でいいのだろうか。
「指輪」のフロドはだいたい指輪をはめるたびに恐ろしいめにあってましたが、こちら「ホビット」のビルボは特に危険なようすもなく、指輪をはめるたびに姿を消して大活躍します。

そして大活躍の末にひと財産つくり、その後指輪を破壊する役目のほうは甥っ子に譲って裂け谷でのんびり書き物などして余生を送った後、最終的には指輪の持つ不老長寿効果で130歳まで長生きするんですよね。指輪の主はゴクリもフロドもサウロンさえもみんな破滅したのにビルボマジ勝ち組。




ところで最初に述べたとおりこの「オリジナル版」はすごく素敵な本なんだけど、残念なことがふたつ。
まず、文字が「横書き」(買ってまずぱっと見た時は、これは別に気にならないなと思ったんですが、いざ読んでみるとスーパー読みづらい)。

そしてもうひとつ、ほかのバージョンに収録されている翻訳者瀬田貞二さんのあとがきが収録されてない。

「ホビットの冒険」の瀬田貞二さんのあとがきは読んでて気持ちよくなるような名調子で、あとがきというより「後口上」。これは持っておきたいと思うような文章だったので、なかったのは残念です。
実は手元に、職場から借りてきた岩波少年文庫版の「ホビット」もあるので、そちらから少しそのあとがきをひいてみます。


こういうファンタジーですから、近頃良く見かけるような、かよわい蝶のはばたきやら星のかけらやら夢のなごりやらを追いかける、気まぐれファンタジーの逃避的な小作品とはまったくことかわって、
さながら天界地界のまんだらをまざまざと織り込んだ、手のこんだ壁掛刺しゅうの大画面のように、堂々と実態をそなえた物語世界が、一つの別宇宙としてくりひろげられます。
それは山あり谷あり、地の底や川の上、はては火ぜめのスリルまであってさいごの合戦にいたるまで、
時にゆるく、時に早く、いよいよ早くなって局面ががらりと変わるところに、明暗のリズムを配したすばらしい物語絵をなしています。
この壁掛は、この世とちがう図柄とはいえ、
その生地は草木や鉱物からとり、色どりは古代錦、
また織り方が、今の小説とはちがう物語文学のうずたゆまぬ語り織りとなっているので、すこぶる丈夫で強いものです。

(岩波少年文庫「ホビットの冒険」下「訳者のことば」より 適当に改行入れました)


こうやってあらためて見るとこの人は本当に文章がうまい。物語を読んでいると、物語の内容のほうについ集中するからそこにあまり目がいかないんだけど、こうやって文章単品で見るとよくわかる。
日本語の語彙が豊かで単語の選び方やたとえがうまいし、リズムがむちゃくちゃいいから、センテンスがすごく長い文章でもするっと読める。
こういうの、落語や講談などの「語り」の芸をよく耳にしていた世代の訳者さんならではのリズム感なのかなあ。
英語のできる翻訳家はいっぱいいるけど(あたりまえですね)、日本語のほうをこれだけうまく(かつやさしく)使える人はなかなか…



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