4歳の娘によく聞く。

 

Who do you like? (誰のことが好き?)

I love Mommy, Daddy, and Hinata!
(ママとダディと、ひなた!)

 

私はこの答えを初めて聞いた時、とってもびっくりした。

「誰が好き?」って聞かれて、自分自身を選択肢に入れたことなんてなかった。

 

優しいから、家族だから、
可愛いから、かっこいいから、
仲良しだから、ずっと一緒にいるから、
好き。

 

好きにはいろんな形があるけど、
私は私自身のことを、好きだと思ったことはあったのかな?

自分自身を好きだと言える勇気。


子どもはそんなこと、疑う余地もなく、ただ純粋に自分が好きなんだろう。
かっこいいな、素敵だな。

 

 

クラウドソーシング「ランサーズ」

今日、あと少しで寝そうな娘が、
「おとなは、なんでもできるよね」
と言ったので、
「おとなだって、できないことはあるよ」
と言ったら、
「まちがうこと?」
と。

なんと、深い(笑)。

 

そうだね。
ほんと、そうだね。
大人は、間違うことができないね。
子どもの方が間違うことが上手。
そして間違えば間違うほど、いろんなことを覚えていく。

私たちはいつから間違えられない世界で生きてるんだろう?

 

学校でテストの回答を間違える?
バイトでミスをする?
新卒で働いた場所で失敗する?

 

小さな期待やプレッシャーが積み重なって、
いつしか「間違えられない」人生になっていく。
そしてその先に、出産・子育てが来たとき、
「育て方を間違っちゃいけない」と必死にもがく。
完璧になんてなれないのに、
誰かに「もう頑張らなくていいよ」と言われるまで、
いや、言われても、綱渡りのような人生を送ってしまうこともある。

 

でも、我が子はそんなこと、期待していない。
だって、間違いですら子どもたちの世界では、「できた!」に入るのだから。

 

「間違えることのできるお母さん。」
それは、子どもを愛してない母親でも、ダメな母親でもない。
子どもと対等に向き合える、一人の人間。


良いとか、悪いとかじゃなく、ただ目の前で人生を送っているお母さん。
我が子にとって、かけがえのないお母さんに変わりはないんだ。
それは、間違いなんかじゃないんだ。

 

 

 

クラウドソーシング「ランサーズ」

今日は春だなぁというような暖かいお天気で。
娘と夫が公園に行ってる間に、一人でスーパーへ。
最近またずっと聴いてるaikoを聞きながら歩いていたら、
学生の時の思い出がバーッとよみがえってきて。

「milk」という曲が出たとき私はカナダにいて、
母親にCDをわざわざ送ってもらって、通学途中に聴いてた。
特に大学寮生活になってからは、
寮から食堂までの雪道を一人で5分ほど歩いた。
その時にずーっと聞いていたのが「milk」。

 

この歌が耳に入ってくるだけで、その時の「気持ち」を思いだす。
あの人が好きで好きでたまらなかった、甘くて辛い時間。
かなわないと知っていて、必死で追いかけた自分が好きだった日々。

そんなことをふと思いだしていて、気づいた。

記憶に一番近いといわれる五感は「嗅覚」。
におい。
でも、においで思い出すものって、「気持ち」より「風景」な気がして…

乾いた砂ぼこりのにおいは、
なぜか落ち着いて好きだった薄暗い冷たい体育館の倉庫を思い出す。
雪柳のツンとするようなホッとするようなにおいは、
学生のころ、英会話教室帰りに自転車で一生懸命こいだ坂道を思い出す。

 

音の記憶とにおいの記憶って、
違うところにつながってるのかな。

 

言葉は想いを運び、
においはシーンを運んでくるのかな。

 

そんなことをふと思いながら、スーパーで娘の好きなキウイを買って帰った。
果たして、娘が大人になってこの果物を食べたら、
幼いころを思い出すのだろうか。
味覚は、どんな記憶を思い起こしてくれるんだろうか。

 

あなたの記憶は、どんな時によみがえりますか?