世代間交流?!
近頃、Let's Talk!でひそかに流行っているのは、
学年の違う子ども達が交流すること。小学生と中学生、中学生と幼稚園児、小学生と大人など。
先日、こんなことがありました。
小学校低学年クラスの2人が、レッスンで何かと「対決しよう!」と燃えていて、「今日の対決は?」と私にリクエストします。様々に形を変えて英語のカルタをしたり、外で「英語の初頭音どっち?」を走って当てたりするゲームをしたり。ライバルがいて競ることで、気がつくとどちらの力もついているからスゴイ。
ある日、一人の生徒が「イースターのスタッフに審判になってもらって、対決したい!」とアイディアが浮かんだよう。英語絵本の読み対決をして、中学生に審判になってほしい、というわけです。この”スタッフ”と言うのは、今春イースターパーティの際にスタッフとして手伝ってくれた中学2年生3人のこと。小2の生徒は、パーティで会い 、憧れの気持ちもあったのかな、また会いたかったのかな・・・
具体的に、どんなところを審査してほしいかを確かめ(大きなこえ、はつおん、ひょうじょう、なそうです。)
その事をスタッフの中学生に話すと、快諾!
部活がなく早く学校が終わる日に、レッスンに来てくれることになりました。
ところが!
すっかりその約束を、部活やテストの忙しさで忘れていたスタッフ達・・・「おねさまたち来なかった。」と小2の2人はがっかり。
中学生達は、ごめんなさいのお手紙を書きました。次は必ず来るから、と約束の日を書いていました。
そのメッセージを受け取った小2の2人が、お返事を書きたいと。
「〜の本を読むよ。楽しみしていてね。」と色ペンや絵を工夫して、
描いていました。
そして、中学生スタッフを審査員に2人の「英語の読み対決」は来週行われます。
こうして、お互いにお願いしたり謝ったりしながら、対面することになった小学2年生と中学2年生。低学年の生徒は憧れの気持ちを抱いて、中学生の生徒は妹、弟のような愛おしさを抱いて。
年の離れた子達の交流は、どうやら面白いようです。
コニュニケーション力を鍛え中🩷
話す練習を、コミュニケーションの練習を。
コロナ禍の3年間を過ごした子どもたちが、これから
どのように成長していくか気がかりです。
人と会うことを制限され、学校行事はことごとくキャンセルとなり、
マスクをする毎日、楽しみの給食さえ話してはいけない・・・
挙げればキリがないほど、子ども等を取り巻く環境は厳しかったと思う。
周りの大人が不安だったりイライラしていると、子どもたちは無言のメッセージを大人から受け取っている。子どもはちゃーんと大人を観ているし、感じているから
コロナ禍で閉塞感があり、先が見通せない日々では、夢を描くことも難しかった。私もあんなに子どもたちに、「キミの夢は?」「英語をどんな風に使っていきたい?」と繰り返し聞いていたのに、知らず知らずのうちに聞けなくなっていた。大きな未来を夢見るより、まずは今日1日を無事過ごすことができますよう願う日々だった。
この春頃から、私も会いたかった人に会い、友人とよく話すようになった。中高生と日々接している何人かの友人とよく話すことは、
「コロナ禍を経て、この頃の中高生はどうか。」ということ。
おとなしくなった。
”いい子”が多い。
臆病になった。
指示まちが多い。
感性が鈍っている。
感情表現を素直にできない。
あえて、人と関わろうとしない。
などなど。
このような現状をふまえ、目の前の生徒に対して私にできることをいつも考えている。
さて、月曜日の中学2年生クラスでは、4月から「話す練習」をすることに
した。英語が話せるようになりたい・・・と人は言うけれど、何を誰と話したいのでしょう。英語学習以前に、話す中身が大事。当たり前だけれど、話したい中身がないと話せない。おしゃべりな人ほど、英語も上手くなるのは当然で、話したいから話しているうちに英語も上手くなっていく。
さてこの「話す練習」のルールは、
①1レッスン一人づつ、順番にスピーカーが回ってくる。
②話す内容は自由。
③英語でも日本語でもよい。
一人が話して、他の3名は聴く。
時々反応したり、時々質問したりしながら。
ケガしたこと、視力が落ちたこと、おすすめスムージーのこと、
いつも観ているYou Tube動画のこと・・・
中学生の視点が面白くて、時々私は目を見開いて”What???!!"
私も彼らオススメのYou Tubeを観たり、スムージーを買いに行ったりして、暮らしに彩りができた。ありがとっ!
こんなこともあった。
「重い話だけどいいかな・・・。」と
話しにくそうに、この前までお世話になっていた方が亡くなった話をした生徒。その話を受けて、みんなで身近な人が亡くなった時の経験をシェアしながら、生と死について、静かに話をした。言いにくいことを
話せる仲間、場と言うのは、とても大事だと思う。私はこの話をシェアした彼に、Thank you.の手紙を書いた。それは、彼のおかげでみんなが、誰もがいつか死ななければならないこと、生きていることについて考え、伝え合うことができたから。
先週は、あまり自分から積極的に話さなかった1人が
「ま、いつでも何か話すことはあるから。」とかるーく呟いていて、
驚いた。
初めの頃は、話すことも聴くこともぎこちなく表情もあまりなかったけれど、ここ何回かは随分楽しそう。今週のレッスンでは、全員が何らかの受け答えや質問をして、話していなくてもキチンと存在感があった。Active Listenerになっていた。レッスンが終わっても話は尽きなくて、しばらく4人で笑いながら話していた。コミュニケーションがとっても自然体。
いいな、こういうの。
最初は、”ネタ探し”をしていた中学2年生の4人がが”何でもネタにする”ようになったことが、とてもうれしい。
さて、この話す練習は来週から次の段階に進める予定・・・
バスルーム(お風呂)に行く??!
ある日の小学4年生クラスでのこと。
使える”英語表現”を練習していると、
"Can I go to the bathroom?"
という表現が出てきた。
「バスルームに行く???”お風呂に行っていいですか?”ってどういうこと?!」とクエッションマークがいっぱいの表情のA。
この文は、トイレに行っていいですか?という意味であることを伝え、
私がアメリカに住んでいた家や、訪ねた家のバスルームの様子を伝えた。
湯船に入るのは、日本人の習慣であり、アメリカでは朝シャワーを浴びることが多い、などの話も添えて。
「へーー・・・。」と分かったような、わからないような顔の子どもたち。
来週は、海外の映画の中のbathroomを見せたいと思う。「あーーこう言うこと!」と子どもたちがヴィジュアル化できれば嬉しい。
映画に加えて、アメリカやヨーロッパのショッピングモールのトイレの場所や、バスの旅途中で入ったマレーシアのトイレで困ったことなど、私が見聞きした海外のトイレ事情を伝えたいと思う。
言葉を学ぶことは、文化を学ぶこと。
たかがbathroom、されど bathroom。
一つの質問から、思いがけず広がった好奇心の翼よどこまでも。
何で?!どういうこと?と疑問に思うこと、好奇心を働かせること、
それを口に出していう。「不思議だから、知りたいから。」と自発的に
学ぶことが、学ぶ面白さであり、身についていく学びだと思います。