The Teaching of Buddha | 精神療法士ミミネコのブログ:Let there be light     

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地球が光溢れる場所になることを願って。

すべてことばには、時にかなったことばとかなわないことば、柔らかなことばと粗いことば、有益なことばと有害なことば、慈しみあることばと憎しみのあることば、この五対がある。


この五対のいずれによって話しかけられても


「私の心は変わらない。粗いことばは私の口から漏れない。同情と哀れみとによって慈しみの思いを心にたくわえ、怒りや憎しみの心を起こさないように。」


と努めなければならない。



昨日、東京の一泊したのですが、ホテルで朝4時ごろ目が覚め、なんとなく、聖書と一緒に置いてあった本を手に取ってみると、The Teaching of Buddha(和英対照仏教聖典)という本でございました。おお、聖書は普通、どのホテルにも置いてあるが、仏教の本もまねをして置いてあるぞ、と思い、パラパラと見てみると、なんかとても興味深かったので、つい、最初から最後まで、読み流して、目がすっかり冴えてしまったミミネコでした。


朝4時から仏教経典に読みふけっていたのは、日本中で、ミミネコと、どこかのお寺の真面目なお坊さんだけだったと思われます。


そんでもって、いくつか、特に肝に銘じたいと思った箇所をメモって、大阪に戻ってきたミミネコでした。


それにしても、この仏教経典、文化背景が古代インドになっているが、結局、聖書の教えとよく似ていますね。


聖書では、「愛」というのを、仏教では、「慈悲」に置き換えてありますが、どちらも同じ意味だと思います。あと、仏教は、心に生じる煩悩が苦しみのもとなので、欲に支配されず、どんな状況でも安定した心を得られるようになるのが幸せの秘訣である、ということを繰り返しうたっています。


この欲(この本では、「愛欲」)と言及)というのを、英語では、「lust」と訳してあるのが興味深かったです。なるほど、desireではなく、lustなのね。desireというのは、欲するという意味だけど、意志するというニュアンスもあり、意志すること自体は悪いことではないもんね。意志することなくして、創造はありえないから、むしろ、必要なものでもある。lustというのは、もっと低いレベルの情念にとらわれた欲のことをいいます。


つーか、この本、どっかに売ってないかなあ。和英対照で、英語の訳も書いてあるのがとてもよい。クライアントさんで、仏教に興味がある人も結構いるので、そういう人たちのために、役に立ちそうだなあ、と思いました。(売ってなさそうだけど。仏教伝道会みたいなところが配っているものらしい。)


とかなんとか書いてるうちに、もうすぐ、また、大阪のダウンタウンに出かけねばならん。アメリカから帰ったばかりなのに、すぐに東京にでかけ、さらに、本日昼前に東京から戻ったばかりなのに、席の温まる暇もなく、また出かける、東西に奔走する姿、もしかして、ミミネコは東国原知事なみの行動力と忙しさではないでしょうか(←うそやけど(^^ゞ。だって、いうても、バケーションやし。)


東京で、短い滞在の間に、色々と面白いことがありましたが、それはまた後ほどということで。