僕がお酒をやめた理由 | 『タイ楽面生活』 金なしコネなしスキル無しでも、海外で楽しく快適に生きる秘訣!

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タイの片田舎に住みながら、何気ない日常からも、刺激的に学び続け、素敵な方達と出逢い、語り合う事で経済的自由を手に入れ、
世界中どこへ住んでも自由気ままに面白おかしく生活出来ることを夢見て活動する金本 たけしの日常

突然ですが、お酒やめました。



お酒を止めて10ヶ月になります。



何かの参考になればと思い、

僕がお酒を止めた過程をエッセイ調に書いてみました。





僕は広島の田舎生まれ。

幼少の頃から祭りになるとおじいちゃん家で親戚一同集まって酒盛りするのが

当たり前の世界で育ちました。



小学生も高学年にもなると、一端に日本酒を飲んでいた記憶があります。

美味しいもの食べて、みんなでワイワイ騒いで、

ほんわか酔って昼間から横になって眠る。

子供ながらにすごく楽しい幸せなひとときでした。



中高校時代も大学時代もタイに移住してからもずっとそれは続いていました。

人が集まるとお酒を飲むことが当たり前で、お酒をセーブするという考えはあっても、

飲まない、完全に絶つという選択肢は夢にも浮かばない状態でした。



そんな時、突然体を壊しました。

26歳の時でした。急性肝炎でした。

下手すると命なくしてるよ!と医者にも言われました。



それから丸2年間お酒を絶ちました。

体調も悪いし、お酒を飲みたいとも思いませんでした。

命に関わることなので、選択の余地もありませんでした。



療養中、仕事で飲みの席にも度々顔出しましたが、

しらふでいることに対して本当の自分でないような気がしてとても違和感がありました。

何をするにしても遠慮しているような感じで、

楽しいけれど、今ひとつ盛り上がれず、ずっと冷静で周りを見ていました。



お酒の席にいる、お酒を飲めない人が気になるようになりました。

彼らがどうしているのか、何を考えいるのか、興味津津でした。



お酒を飲まなくて何が楽しいのかなぁと思ったりもしました。

時にその人たちは酒飲みに絡まれて迷惑そうにしてました。

飲めないから飲まない。それだけのことかなぁと単純に考えていました。



飲んだらコミュニケーションも弾むし、それによって人間関係も円滑になるし、

飲めない人は損だ、位に考えていました。



2年が経ち、調子も戻りまた前のようにお酒を飲み始めました。

久しぶりに仲間達とワイワイできて楽しい気分でした。



でも一度傷ついた肝機能は完全には戻らず、

悪酔いと2日酔いがきつくなりました。

たまに記憶をなくすこともあり、人に迷惑をかけることもありました。

それでも、惰性で飲んでいました。



それ以外の選択肢が浮かばなかったからです。

完全に飲むことにフォーカスしている状態でした。



とても不安になってきました。

記憶なくす前に適量で飲むのをとめられないか考えるようになりました。

色々トライしたけど、うまくいかず、飲む行為が楽しくなくなってきて、

飲む回数も次第に減っていきました。



飲むのは久々の再会を祝ったり、ごく親しい人達との飲み会、

あとはビジネスでのお付き合いだけいう感じで、

新たにアルコールとの付き合いが始まりました。



ビジネスは全く問題ありませんでした。

そもそも楽しむことを目的としてお酒を飲んでいないので。



問題は前者でした。



楽しい席での楽しいお酒。



これで盛り上がらない訳がなく、

限度を超えることが度々起こるようになりました。

嫁の信用も地に落ちてしまいました。



どうしよう、、、、。



、、、、。

、、、、。

、、、、。





ふと肝炎療養中に飲めなかった時のことを思い出しました。



『あの時飲みの席でどう振舞ってたんだろう?』

『飲めなくて、何がよかったんだろう?』



2つの質問が浮かびました。



あの時は体調が悪くドクターストップでお酒を飲むことができなかったので、

飲まないという選択肢が当たり前のようにありました。

だから飲まないことにフォーカスしてすべてが回っていたようです。



飲まないからと言ってぽつんと黙って座っているわけではなく、

いつも以上に相手の話を聞いて話を膨らませたり、

(酔ってないから話がよく分かる)


愚痴を聞いてあげたり、周りを見渡してお酌をしたり、

料理を取り分けたり、会計時の計算とか、酔っ払いの介抱とか、諸々やってました。

それって、飲みの席では一番喜ばれる役割ではないでしょうか。



この時初めてそのことに気づきました。

これまで自分が飲まなかったから違和感があっただけで、

(しらふで今までそんなことを考えたこともなかったので。)

やってることってすごいいいことだったんだって。





じゃあ、次に飲めなくて何がよかったのか?



次々に浮かんできました。



飲まないので悪酔いはしない、

2日酔いにならない、無駄なお金を使わない、

酔って物をなくしたりすることはない、

絡んだり、吐いたりして人に迷惑をかけることもない、

もちろん記憶をなくすこともない、

記憶をなくした次の日、何かしでかしてないか、不安で憂鬱になることもない、

酒気帯び、飲酒運転もすることもない、

嫁にいらぬ心配をかけることもない、

生活のリズムが狂わない、

家に遅く帰っても普通に読書とかできる、などなど、、、、。



考えてみて初めて、『いいことばかりじゃん!』って気づきました。



はっとしました。

なんだ、簡単なことなんだって。



お酒を飲むのを止めれば全てはハッピーになるんだって。



あまりに当たり前すぎて、今まで何してたんだろうって呆然としました。



子供の頃の楽しい思い出にずーっと引きづられていただけだったのだと。



人は皆過去の経験に引きづられて生きています。

今ある観念の多くも幼少時代の体験に基づいて形作られています。

なかなか気づきませんが、そうなんです。



だけど今は、子供の頃の楽しかった思い出はそのままに、

お酒を飲まないことで得られる安心感に満足しています。



結局、僕が得たかったものは、お酒を飲む行為ではなく、

仲間との一体感であり、和やかな雰囲気であり、ワイワイガヤガヤと皆と語り合う事、

ただそれだけで、そこにアルコールは必要ではなかったということ。



これからこの感情がいつどう変わるか、今はわかりません。

いつか大事な人と成功の祝杯をあげたいとおもう気持ちはあります。

だけど、無茶をすることはもうないでしょう。



自己の過去の経験の構造を探求し、最適な意味づけが出来たから、、、。