ガレキ受け入れ反対派の「京都の子供たちを殺すのか」という抗議
「京都の子供たちを殺すのか」
「放射能をまき散らすな」
これは、京都駅で行われた東日本大震災で発生したガレキの処理を被災地以外に呼びかける環境省主催の街頭イベントでの反対派の抗議だ。
この反対派には震災以降、日本各地で言われた「絆」の心はない。
日本人の心の中に、ホントに「絆」があったかどうかは分からないが。
唯一、反対派の抗議を正当化できるのは、
震災から1年もたって、こんなイベントをする環境省が間違っているってこと。
やるならもっと早く、出来れば震災発生半年後までにやるべきだったんだ。
「絆」の心が冷める前に。
まずはそれを環境省は反省するべきだろう。
と、反対派の擁護はここまで。
後はエゴ丸出しの大バカもん達のタワゴトだ。
特に「京都の子供を殺す…」という抗議はヒド過ぎ。
そもそも”子供”を抗議に出すことがズル過ぎだよ。
思うにこの世の中、どんなにイヤなことでも、どんなに不条理なことでも「仕方ない」「しょうがない」ってことが多々ある。
被災地のガレキ処理の受け入れは、まさにコレだと思うよ。
だって、被災地だけでガレキ処理してたら100年以上もかかるんだわ。
そしてこの反対派の抗議は、暗にそれをしろ!と言っているようなもん。
それはそれで問題でしょ?
特にそれを分かった上で抗議してるのなら。
最後に、この反対派の人達にこう言いたい。
明日は我が身…
良い悪いは別にして、この考え方が「絆」のベースだと思う。